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【お知らせ】ルパンさんと元会員さんのコメントを拒否する設定にしました

毎度毎度のことですが、親鸞会の会員とはまともな議論になりません。根拠は高森会長の珍説であり、それに自分の考えを混ぜた独自の教えであって、聖教を根拠に親鸞会教義が正しい浄土真宗であると証明できないのです。加えて、いくらこちらが根拠を並べて親鸞会教義の誤りを示しても一向に聞く耳を持たず、高森教義の垂れ流しを延々繰り返すのみです。

ルパンさんには親鸞聖人が19願を勧められた根拠を求め、元会員さんには自分で言い出した「弥陀の呼び声」について質問していましたが、両者ともまともに答える気がありませんでした。ルパンさんは度重なる忠告にも関わらず根拠を示さず、元会員さんは自ら申し出てきましたので、両者をコメント拒否設定にしました。
(ちなみに「元会員」なる人物は、スマホやマイパソコン等の固定回線ではなく、複数のインターネット回線からの書き込みのため、コメントが承認される可能性があります。ネットカフェや漫画喫茶等からの書き込みかと思われます。スマホでポチポチとかも大ウソです。なお、似た回線から「gugyaku」、「文章長いから読んでません」と名乗る人物からの書き込みがあり、これらは全て同一人物と考えられます)

お二人には、もし、今後まともに答える気になったらメールを頂きたいと思います。コメント拒否設定を解除し、議論を再開します。ただし、相変わらず高森教義の垂れ流しで聖教の根拠を示さない場合は、メールを頂いても返信もしませんしコメント拒否設定も解除しませんので悪しからず。


さて、親鸞聖人は真実報土に往生する真実の行信と、それに対して方便化土にとどまる方便の行信のあることを『正信偈』の偈前に教えられています。

おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行の願は、諸仏称名の願(第十七願)なり。その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願)なり。これすなはち選択本願の行信なり。その機はすなはち一切善悪大小凡愚なり。往生はすなはち難思議往生なり。仏土はすなはち報仏・報土なり。これすなはち誓願不可思議一実真如海なり。『大無量寿経』の宗致、他力真宗の正意なり。

ここから、真実の教・行・信・証・真仏・真土が明らかに知られます。

真実の教 - 『大無量寿経』
真実の行 - 念仏一行 諸仏称名の願(第十七願)
真実の信 - 信楽一心 至心信楽の願(第十八願)
真実の証 - 難思議往生
真実の仏 - 報仏(不可思議光如来)
真実の土 - 報土(無量光明土)


阿弥陀仏の選択本願(第十八願)の行信因果を五願六法に開き、真実の教・行を第十七願、真実の信を第十八願、真実の証を第十一願、真実の仏と浄土を第十二願・第十三願のそれぞれ五願に配当して開示されています。『教行証文類』前五巻の内容は、この短い偈前の文におさまると見ることができます。

こうした真実の行信に対して、方便の行信があることを、聖人は「化身土文類」にて顕かにされています。ここで誤解してはならないのが、「化身土文類」は真実の行信を獲る手段、方法論として説かれたのではないということです。「化身土文類」には、真実の行信を直ちに受け容れない者を暫く仮に導くために設けられた権仮方便の教説であるということを述べている一面と、速やかに方便の行信を捨て離れよと、方便の行信を顕かにすることで真実の行信を反顕して勧めている一面があるのです。

それはあたかも、白であることを強調するために敢えて黒を持ち出して比較するという説き方であると言っていいでしょう。それを捻じ曲げて、黒が必要不可欠であるかのように説いているのが親鸞会です。黒が不要である証拠には、『教行証文類』の要約である『浄土文類聚鈔』には「化身土文類」に相当する文がありませんし、親鸞会の強調する三願転入もありません。他の親鸞聖人のお書きになられた書物のどこを読んでも、19願を勧められたお言葉もなければ、三願転入に該当する御文もありません。つまり、親鸞会流「三願転入の教え」は、高森顕徹会長が組織拡大活動の源泉である「善の勧め」を従来の「宿善」よりも強力に推し進めるためのデタラメ創作教義に過ぎなかったということです。

『教行証文類』は、仏の側から仏の救済をあらわしている約仏の書なので、自己を主体として読もうとすると途端に解らなくなります。善巧方便、権仮方便とは仏の巧みな衆生救済の手段であって、私達衆生が軽々しく扱うことのできないものなのです。ですから、善知識方は方便と仰る場合は仏が衆生を方便されるということで、あくまで仏の手段だということで用いられています。例えば、

顕といふは、すなはち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。しかるに二善・三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。「化身土文類」隠顕釈

釈迦は要門ひらきつつ
 定散諸機をこしらへて
 正雑二行方便し
 ひとへに専修をすすめしむ


釈迦・弥陀は慈悲の父母
 種々に善巧方便し
 われらが無上の信心を
 発起せしめたまひけり
『高僧和讃』善導讃

蓮如上人仰せられ候ふ。方便をわろしといふことはあるまじきなり。方便をもつて真実をあらはす廃立の義よくよくしるべし。弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をばうることなるよし仰せられ候ふと[云々]。『御一代記聞書』(176)

等とあるように、仏の手段という意味で使われています。最後の「弥陀・釈迦・善知識の善巧方便」という使われ方は異例で、弥陀、釈迦の他に「善知識」も含まれた形です。この「善知識」がどのような方を意味するのかは定かではありませんが、狭義では諸仏や菩薩、広義でも七高僧や親鸞聖人といった、浄土真宗の祖師方のことと見るのが妥当でしょう。ともあれ「弥陀・釈迦・善知識の善巧方便」によって真実の信を獲るのであって、「弥陀・釈迦・善知識の権仮方便」によって真実の信を獲るのではありません。善巧方便、権仮方便ということについては、記事下の参照にリンクを貼っておきますのでそちらをご覧下さい。方便とは私達のような凡夫が駆使することができるような代物でないことだけは確かです。


方便だからやりなさい、といって親鸞会が勧めている19願や定散二善は「権仮方便」で、方便化土へ往生する道であって、真実報土へ往生する道ではありません。真実の行信によって真実報土へ往生する、方便の行信によって方便化土へ往生するのであって、方便の行信によって真実の行信を獲るとか、真実報土へ往生すると教えられた箇所は一箇所もありません。

方便の願(第十九願)を案ずるに、仮あり真あり、また行あり信あり。願とはすなはちこれ臨終現前の願なり。行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり。信とはすなはちこれ至心・発願・欲生の心なり。この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す。「化身土文類」三経通顕(真仮分判)

このように19願の行信を顕かにされた後、これは方便化土の業因であって、阿弥陀仏の光明はこのような雑行を修める者を照らし摂めることはないと結論づけ、19願は真実18願を受け容れない者に仮に説かれた教え、浄土を願ったことのない聖道門の修行者に浄土を慕い願わせるための教えであったと言われています。

経家によりて師釈を披くに、雑行のなかの雑行雑心・雑行専心・専行雑心あり。また正行のなかの専修専心・専修雑心・雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。ゆゑに極楽に生ずといへども三宝を見たてまつらず。仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。仮令の誓願(第十九願)まことに由あるかな。仮門の教、欣慕の釈、これいよいよあきらかなり。「化身土文類」雑行釈

あくまで「仏が」「衆生を」導く手段が方便であって、これを『教行証文類』もまともに読んだことがない、親鸞聖人の仰せとことごとく反することばかり説いて、『仏敵』が根本聖典であるという善知識様が使うことができると信じていること自体が噴飯物なのです。今回の記事は会員には難しかったかも知れませんが、

「方便だからやりなさい」と19願を勧めることは、親鸞聖人の仰せにない

ということが判って頂けたらそれで十分です。方便の行信に迷って、真実報土へ往生できないということがないように、会員の皆さんには親鸞会教義についてきちんと真偽検証して頂きたく思います。



【参照】
『WikiArc』トーク:方便
『21世紀の浄土真宗を考える会』善巧方便と権仮方便
『当ブログ』善巧方便と権仮方便について
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Abcです

ただ五逆と誹謗正法とをば除く。(唯除五逆誹謗正法。)」という但し書きがあるのは、48願のうち18願だけでありますが、親鸞は、聴聞にこられている方に、「あなたたちは五逆の者ではない」といわれ、また、「誹謗(正法)の者はその心を翻して(回して)聴きなさい、ただ、その「翻す(回す)」ことも、弥陀回向である。」と言われております。

さて、

>「化身土文類」には、真実の行信直ちに受け容れない者を暫く仮に導くために設けられた権仮方便の教説であるということを述べている一面と、速やかに方便の行信を捨て離れよと、方便の行信を顕かにすることで真実の行信を反顕して勧めている一面があるのです。

・真実の行信を直ちに受け容れない者を暫く仮に導くために設けられた
 権仮方便の教説 について

→源空はこれについて、「すでに先に余行を説くといへども、後に「一向専念」といふ。あきらかに知りぬ、諸行を廃してただ念仏を用ゐるがゆゑに一向といふ。」(『選択集』より)と記されております。ここに「すでに先に余行を説くといへども」とあるように、
 「これ一向念仏のための所以なり。初めの義はすなはちこれのために説く。いはく諸行は廃せんがために説く念仏は立せんがために説く
次の義はすなはちこれのために説く。いはく念仏の正業助けんがため諸行助業を説く。後の義はすなはちこれのために説く。いはく念仏諸行二門を説くといへども、念仏をもつて正となし、諸行をもつて傍となす。」 といわれております。

・速やかに方便の行信を捨て離れよと
、方便の行信を顕かにする教説 について

→源空は、「浄土宗の学者、先づすべからくこの旨を知るべし。たとひ先より聖道門を学する人といへども、もし浄土門にその志あらば、すべからく聖道を棄てて浄土に帰すべし。」(『選択集』より) といわれ、

 道綽禅師は、「その聖道の一種は、今の時証しがたし。 一には大聖(釈尊)を去ること遥遠なるによる。 二には理は深く解は微なるによる。
 このゆゑに『大集月蔵経』(意)にのたまはく、「わが末法の時のうちに、億々の衆生行を起し道を修すれども、いまだ一人として得るものあらず」と。
 当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。 ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり。」(『安楽集』より) とあり、親鸞はこれを受けての『和讃』、

本師道綽禅師は 聖道万行さしおきて
 唯有浄土一門を 通入すべきみちととく」 (『浄土高僧和讃』より)

と記されております。

 また、「一には大聖(釈尊)を去ること遥遠なるによる。 二には理は深く解は微なるによる。」について源空は、『選択集』に
 「『安楽集』の上にいはく、「問ひていはく、一切衆生はみな仏性あり。遠劫よりこのかた多仏に値ひたてまつるべし。なにによりてか、いまに至るまでなほみづから生死に輪廻して火宅を出でざるや。  答へていはく、大乗の聖教によらば、まことに二種の勝法を得てもつて生死を排はざるによる。」と道綽禅師のこの文を引用されております。

>黒(方便)が不要である証拠には、『教行証文類』の要約である『浄土文類聚鈔』には「化身土文類」に相当する文がありませんし、親鸞会の強調する三願転入もありません。他の親鸞聖人のお書きになられた書物のどこを読んでも、19願を勧められたお言葉もなければ、三願転入に該当する御文もありません。

→「黒(方便)が不要である証拠」としましては、林遊さんが「略選択」とされている「三選の文」、

「はかりみれば、
それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて選びて浄土門に入るべし。
浄土門に入らんと欲はば、二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛てて選びて正行に帰すべし。
正行を修せんと欲はば、二業のなかに、なほ助業を傍らにして選びて正定をもつぱらにすべし。
正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑなり。」 でありますし、

そのほかといたしまして「念仏付属章」なげられましょう。
 なぜならば、もし、諸善(諸行)字]であったならば、「散の諸行を付属せず、ただ念仏をもつて阿難に付属した/太字]」とはされないでしょうし、仮に「どちらも大事(必要である)」としたら叡山から攻撃(非難)されることはなかったでしょう。

 ですが、源/色]は「三選の文」や「浄土宗の学者、先づすべからくこの旨を知るべし。たとひ先より聖道門を学する人といへども、もし浄土門にその志あらば、すべからく聖道を棄てて浄土に帰すべし。」(『選択集』より)といわれ、
「正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑなり。」といわれているのであります。

 また、以上の事柄を親鸞は「さればわれとして浄土へまゐるべしとも、また地獄へゆくべしとも、定むべからず故聖人[黒谷源空聖人の御ことばなり]の仰せに、「源空があらんところへゆかんとおもはるべし」と、たしかにまはりしうへは、たとひ地獄なりとも故聖人のわたらせたまふところへまゐるべしとおもふなり。このたびもし善知識にあひたてまつらずは、われら凡夫かならず地獄におつべし。しかるにいま聖人(源空)の御化導にあづかりて、弥陀の本願をきき摂取不捨のことわりをむねにをさめ、生死のはなれがたきをはなれ、浄土の生れがたきを一定と期すること、さらにわたくしのちから。たとひ弥陀の仏智に帰して念仏する地獄の業たるを、りて往生浄土の業因ぞと聖人授けたまふにすかされまゐらせて、われ[色:FF0000]地獄におつ
といふとも、さらにくやしむおもひあるべからず。」(覚如『執持抄』より) と伝えられたとされております。

 おわりに
 今回、淳心房さんのエントリーに目を通させていただき、いくつか抜き出して『お聖教』と合わせてたが、いかがでしたでしょうか。
 「仮に設けられた教説」と「黒(方便)が不要である証拠」は「どちらも同じ箇所」ですので、記すのは本来は1つでよかったのですがあえて分けさせていただきました。「同じ箇所」を2度読んでいただいたほうが、浅学であっても「ここは重要なのだな」とわかっていただけたら、との思いであります。

よろしくお願いします。

なもあみだ、なもあみだ
Abc

Abcです

連投もうしわけございません、Abcです。

先ほどのコメントは、長すぎたのか正しく表示されていませんので、「最後の箇所(緑文の箇所)」を今一度記します。

なぜならば、もし、諸善(諸行)が大事であったならば、「定散の諸行を付属せず、ただ念仏をもつて阿難に付属した文」とはされないでしょうし、叡山から攻撃(非難)されることはなかったでしょう。

 ですが、源空は「三選の文」や「浄土宗の学者、先づすべからくこの旨を知るべし。たとひ先より聖道門を学する人といへども、もし浄土門にその志あらば、すべからく聖道を棄てて浄土に帰すべし。」(『選択集』より)といわれ、
正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑなり。」といわれているのであります。

 また、以上の事柄を親鸞は「さればわれとして浄土へまゐるべしとも、また地獄へゆくべしとも、定むべからず故聖人[黒谷源空聖人の御ことばなり]の仰せに、「源空があらんところへゆかんとおもはるべし」と、たしかにまはりしうへは、たとひ地獄なりとも故聖人のわたらせたまふところへまゐるべしとおもふなり。

 このたびもし善知識にあひたてまつらずは、われら凡夫かならず地獄におつべし。しかるにいま聖人(源空)の御化導にあづかりて、弥陀の本願をきき摂取不捨のことわりをむねにをさめ、生死のはなれがたきをはなれ、浄土の生れがたきを一定と期すること、さらにわたくしのちからにあらず

 たとひ弥陀の仏智に帰して念仏する地獄の業たるを、いつはりて往生浄土の業因と聖人授けたまふにすかされまゐらせて、われ地獄におつといふとも、さらにくやしむおもひあるべからず。」(覚如『執持抄』より) と伝えられたとされております。

誠にもうしわけございません。

Re: Abc様

『選択本願念仏集』を用いての詳細な解説、ありがとうございます。

親鸞会の誤りの最大の特徴は、「仏が」「衆生を」導くという権仮方便の教説を、「高森会長が」「会員を」導くと主語と目的語を入れ替えているところです。仏を高森会長に置き換えているのですから、会員は高森本仏論者と言ってもいいでしょう。そのようにとにかく「誰が何と言おうと高森先生が正しい」信心に支配された会員ですから、中々こちらの言葉を聞く耳がありません。そうやって騙され続ける本人も周囲も実に自損損他の咎、逃れ難く候であります。

仏の論理と人間の論理

ども、林遊@なんまんだぶです。

高森親鸞会の方との議論では、どこかでも書きましたが言葉の定義が従来の浄土真宗の用例と異なっているのでした。
一時は「一向専念無量寿仏」を喧しく言うので、一向専念無量寿仏ってひとむきに専ら、なんまんだぶを称えることやな、と言うと、会員の方は、一向専念無量寿仏は一向専念無量寿仏です、と同語反復されるので頭がウニ(寿司ネタのウニは柔らかいのでうまく握らないとぐちゃぐちゃになりやすいことから頭が混乱して訳が判らなくなること)になったことがありました(笑
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%B8%80%E5%90%91%E5%B0%82%E5%BF%B5%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E4%BB%8F

その意味では、高森親鸞会の教義は「なんちゃって真宗教義」になっているので会員の方との会話や議論が成立しません。
おまけに、高森顕徹氏の「創作短冊聖典」を刷り込まれているので、これが真実の仏教思想だと勘違いしているので困ったものです。
https://kotobank.jp/word/%E5%88%B7%E3%82%8A%E8%BE%BC%E3%81%BF-85210

また、同じ球技といってもサッカーと野球はルールが違うのですが、サッカーの話をしている時に、突然に野球のルールを主張するので訳がわからない議論になります。例えば仏道としての「廃悪修善」に対する浄土門と聖道門の捉え方の違いをよく解らない為に、聖道門のルールで浄土門の教説を解釈しようとするのでした。
浄土真宗では「別途不共(べつず-ふぐ)」(途は道の意)と云って、聖道門仏教(別途)とは全く別な論理(不共、共にしない)によって仏果を得ることを目指す法義なのですが、高森親鸞会では意図的にこれをぐちゃぐちゃにさせるから、なんまんだぶを称える信心の行者(浄土真宗の「行」とは、なんまんだぶを称えること)を生み出すことが出来ないのでした。

ある意味では聖道門の論理は、人間の理屈で理解できる法義ですが、浄土門の論理は阿弥陀仏の論理による法義ですから人間の頭では理解不能です。御開山は、これを仏智不思議という言葉で表現されていました。

要するに人間の論理を使うか、仏さまの論理を使うかの主体の転換を厳しく要求されるのが浄土真宗というご法義なのでした。←これ重要

これを古来から浄土真宗では「安心は廃立にあり」と言い慣わしてきましたが、どこに安心(心を一処に安置して不動なこと。安定した心のこと)を置くかの決断を厳しく迫るのが浄土真宗が難しいといわれる所以です。自己の主体を放棄してしまうのですから、これほど難しいことはないですね。

越前の山奥で只管打坐された道元禅師に、

 自己ヲハコヒテ萬法ヲ修證スルヲ迷トス。萬法ススミテ自己ヲ修證スルハサトリナリ。
  {中略}
 佛道ヲナラフトイフハ。自己ヲナラフナリ。自己ヲナラフトイフハ。自己ヲワスルルナリ。自己ヲワスルルトイフハ。萬法ニ證セラルルナリ。

「正法眼藏現成公案」
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2012/T2582_.82.0023b27.html

という語があるそうですが、私という疑いの立場を放擲した時に、なんまんだぶという「名体不二」のご法義が判るのかもです、知らんけど。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

Re: 秘密コメントの元会員様

やっぱコメント拒否設定しても通っちゃうか~。固定回線じゃないようだから仕方ないな。

それで、どうせコメントしてくるなら「弥陀の呼び声」についてきちんと答えなよ。
1.弥陀の呼び声の「そのまま来い」とは「どこへ」来いということか?
2.弥陀の呼び声の「そのまま来い」の「そのまま」とは「どのまま」か?
3.二河白道の譬えで言えば、どこで弥陀の呼び声を聞くのか?
a.東の岸にいる時
b.白道を中間ほどまで進んでから
4.声なき声、片手で打つとは?(二河白道の譬えで言えばどれに当たる?)

1はようやく答えたけど、あとはまだだよ。尤も、1は君の言う通りで弥陀の浄土だから、この世で「絶対の幸福」にしてやろうなんて呼び声でないことは明らかだけど。

全て聖教に基づいて答えてね。君が言い出したことなんだからな。

Re: 秘密コメントの元会員様

熱心な(実態は不良の)高森教徒ゆえ、高森教の用語しか知らないか。

鏡の如き経典や聖教をちゃんと読みなよ。・・・読解力無いから無理かw

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Re: 秘密コメントの元会員様

> 御文章1-2
> 罪は十悪・五逆・ぼうほう・せんだいのともがらなれども云々
>
> どう読む?
>
> 私は私の事と拝読しますが・・・
>
> 貴方は?

⇒なるほど、だから君は正法を誹謗して恥じないわけだ。

俺は、十悪であるとは思うが、五逆、謗法、闡提ではないな。過去はどうか知らんがね。

あと君は、「衆生の根性に決定ある」、つまり私たちが固定不変な無間業をもっていると思っていると思われるがそれは間違いだよ。

http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-290b.html

Re: 秘密コメントの元会員様

> ついでに
>
> そのまま来い
>
> 十悪・五逆・ぼうぼう・せんだい・のまま

⇒謗法闡提回心皆往を知らんようだな。

http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/cat73547461/index.html

謗法と闡提の者は、謗法・闡提の心を翻して謗法・闡提で無くならないと往生できないんだな。無知の極みw
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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