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お念仏いかがでしょう

先日、妻から勧められて

珈琲いかがでしょう(コナリミサト (著) )

という漫画を読みました。上下二巻なので長編でもなく、すぐに一読できました。

最初はたかだか漫画だと甘く見ていました(コナリミサト先生ゴメンナサイ)が、最終話での次の会話を読んで深いことを言ってるなぁと感動しました。

みやび「珈琲って平等ってこと歌いたくて」
グリス「平等?」
みやび「男の人も女の人も 若い人もそうでない人も 
     明るい人も暗い人も いい人も究極言ったら悪人も
     珈琲飲んでるその瞬間は 「珈琲飲んでる人」ってことで平等じゃないですか」
グリス「平等かなぁ?」
みやび「平等ですよ 珈琲から見たら」(赤字は淳心房の強調)


一体どんなシチュエーションの会話なんだ? みやびって誰だ? グリスって誰だ? と興味を持った方はぜひご一読下さい。こち亀とかワンピースとかではないのですぐに読めると思います(笑)


さて、この会話を本願力回向という観点から伺うと、次のようなことを読み取ることができます。

一つには、念仏は一切衆生に平等に与えられている往生の行だということです。男の人も女の人も、若い人もそうでない人も、明るい人も暗い人も、いい人も究極言ったら悪人も、分け隔てがありません。

二つには、(本願を信じ)念仏する人は、男の人も女の人も、若い人もそうでない人も、明るい人も暗い人も、いい人も究極言ったら悪人も、一声一声が無上の徳をもった本願の名号を称え、計らいをまじえずに仏にまかせている人という点で平等です。また、「正定聚の位に定まり、必ず真実報土に往生する人」「如来の眷属」という点で平等です。

三つには、念仏は称える人の能力や善悪の違いを問題にしないということです。弥陀の本願は、男の人も女の人も、若い人もそうでない人も、明るい人も暗い人も、いい人も究極言ったら悪人も選びません。賢い人も愚かな人も、高貴な身分の人も卑しい状態に身をやつしている人も、若くて元気な人もたとえ臨終間際の人でさえ、本願の救いに漏れている人は一人もありません。念仏は誰もが歩める最高にして唯一の「往生のみち」です。

四つには、「阿弥陀仏から見たら」私達は平等です。『日本国憲法』憲法第14条には

1.すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(


とありますが、私達は生まれながらにして不平等です。両親も違えば性別も違えば、貧富、賢愚、美醜、強弱、住居、思考、性格、年齢、才能、能力・・・挙げればキリがありませんが、人の数だけそれらは違います。日本国内でも違うのですから、まして世界で見たら億差兆別、平等とは言葉だけの美辞麗句とさえ思えます。

しかし、阿弥陀仏だけが、すべての不平等を超えて、怨親平等の世界があることを知らせ、実際に自他一如のさとりを与えて下さいます。真如一実の功徳宝海と言われる、浄土より届いた真実の言葉が「南無阿弥陀仏」という念仏です。本当にさとり得るのは浄土に往生した後ですが、本願の念仏を頂いてこれを称える者は仏願に信順していますから、わずかではありますがそういう世界の存在を知らせて頂けていると思います。


箇条書きにしたものの、かぶる部分もあると思いますが、このように念仏の持つ意味を探ってみました。珈琲とは違って色も形も無い、匂いも味もない真如法性の世界なので、私がいくら言葉を尽くしてもサッパリ分かって頂けないであろうことが歯がゆいです。まぁ要らんこと考えず、要は

お念仏いかがでしょう

ということです(笑) 念仏は、これを頂いて称える者の身に速やかに往生成仏の因を満足せしめる、至易にして最勝の本願の行です。尽十方無碍光如来の名の如く、本願力のはたらいていない処はありません。

そして、珈琲は所定の場所に飲みに行くか、自分で淹れるか、どちらにせよ造作が要ることですが、お念仏はいつでもどこでも、この口一つ動かせば称えられます。一声に一秒もかかりません。お金も要りません。難しい教義を知る必要もありません。心が静まっていようと散り乱れていようと構いません。

ただ、念仏に込められた「助けるぞ」「我にまかせよ」の如来の大悲心を聞き受ける信心が肝要です。念仏は、私達の欲望をかなえてもらおうなどと如来様を利用する道具でも、称えた対価として往生させてもらえるという取引条件でもありません。念仏とは、

「どうぞ南無阿弥陀仏と申して浄土に生まれてきてくれよ」
「必ず浄土に迎えるから、安心してまかなさい」

という如来様の願いです。願いが「南無阿弥陀仏」という仰せとなって届いているのです。ですから念仏を申すとは、私達の側から言えば、如来様の願いを私達の口で称え聞いて、我らが今度の一大事の後生を疑いなく安心してまかせることなのです。

それは死んでからでは間に合いません。今、ここで、如来様の仰せを計らいをまじえずに聞き受け、後生おまかせすることが大事です。今、ここが、本願の念仏を称える道場、如来様の仰せを聞き受ける道場です。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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