FC2ブログ

親鸞聖人が問題にもされていないことを問題にし、親鸞聖人がされてもいない本願の説明をして、真宗を捻じ曲げ独自の高森教を説いている高森顕徹会長

90歳を過ぎても精力的に活動を続ける高森会長は、先日の降誕会に引き続いて座談会をしています。ただ、

『飛雲』高齢者による事故が問題になっていますが、高森顕徹会長の話も重大な事故です

に挙がっているように内容はひどいもので、暴走し、誰も止めることができず、手の施しようもありません。

一応演題について紹介しますと、今回もいつもの

映画『なぜ生きる』の質問
「『聞く一つで、大船に乗せる』ということは、阿弥陀仏の命を懸けたお約束だからです」
とは、どんなことでしょうか。


でした。これで話をするのもあと少しでしょう。今後は映画『歎異抄をひらく』の質問に答える形式の座談会に取って代わられることは容易に想像できます。


それにしても、『飛雲』に紹介されている高森会長の以下の迷言

・阿弥陀仏の本願は、「死んだらどうなるか判らぬ心を無くす」お約束
・苦しみの根源が、「死んだらどうなるか判らぬ心」
・日々煩悩で苦しんでいるが、それは葉や花のことで、苦しみの根幹でない


等は完全に事故です。浄土真宗はおろか、仏教でも何でもない、ただの高森教です。

この記事でも触れましたが、善知識方は「死んだらどうなるか」を明確に教えられています。例えば『往生要集』には地獄界から天上界までの苦悩の相が書かれていますが、その内三悪道に堕する因について詳しく教えられています。まず等活地獄に堕ちる者は

殺生せるもの、このなかに堕つ。

と仰せられ、更に細かく分類して「昔、鹿を殺し鳥を殺せるもの」は屎泥処というところに堕ち、「昔、物を貪りて殺生せるもの」は刀輪処というところに堕ちる等と詳しく書かれています。続いて黒縄地獄、衆合地獄と順々に説かれ、阿鼻地獄という欲界の最底の処に堕ちる者は

五逆罪を造り、因果を撥無し、大乗を誹謗し、四重を犯して、虚しく信施を食らへるもの

であるとその因を明らかにされています。ちなみに餓鬼界は「慳貪と嫉妬のもの」が堕ち、畜生界は「愚痴・無慚にしていたづらに信施を受けて、他の物を償はざるもの」がその報いを受けると教えられています。貪瞋痴の三毒の煩悩は、まさしく三悪道に堕する因であるということです。煩悩は「葉や花のことで、苦しみの根幹でない」などという説示はありません。勿論親鸞聖人の教えにもそんな珍説は存在しません。

一方で、善趣に属する人間界は

それ人間界の生を受くることは、まことに五戒をたもてる功力によりてなり。『御文章』2帖目7通

とあるように五戒を守ったことにより得られる果報であり、天上界は更に加えて十善業を行った結果として享受する楽なる果報です。修羅界は少し調べてみましたが、真宗系ではヒットしませんでした。『摩訶止観』では、

もし、その心、念念に常に彼に勝れんことを欲し、人に下るに耐えず、他を軽んじて己れを珍むこと鴟の高く飛びて下し視るがごとく、しかも外は仁義礼智信を揚げ、下品の善心を起すは、阿修羅道を行ずるなり。

【現代語訳】
また、他人より、なんとかして勝ちたいと願って、人に負けることを嫌い、とんびが高い空の上から下界を見下ろすように自分を高くし、他人を軽べつする。しかも外面は五綱と尊ばれている仁義礼智信を堅く守る賢人のように見せかける。これは、阿修羅の道を行じているのである。

と説明しています。仁義礼智信という善行を修めてはいるが、内心は勝他の執着心が強く、下品の善心であるような者は修羅界の報いを受けるというのです。

尤も、よく修羅界を省略して五道、五悪趣などと説かれるので、そこまで修羅界について詳しく知る必要はないでしょう。私達にとって大事なのは報土の因です。これを知ることが大事です。


このように、仏教では「こういう因を造ればこういう世界に生まれる」と死後の因果が詳しく教えられています。そのような仏説をまことと信ずることは仏法者にとって当然のことです。ですから、親鸞聖人は

死んだらどうなるか判らぬ心

など問題にしていないのです。自力疑情無明の闇についてそんな説明も、それに近い説明もありません。

そして、我々は際限なく流転輪廻して苦悩から離れられないことを知り、穢土を厭い離れて浄土を欣い求めること、これが浄土教の出発点です。ところが、親鸞会の出発点は『親鸞学徒信条』にあるように

一、われら親鸞学徒は、人生の究極の目的は、絶対の幸福を獲るにあり、絶対の幸福は、真実の宗教を信ずることによってのみ獲得できることを信じます。

ですから浄土教でも何でもありません。ですので、親鸞聖人の教えを聞くきっかけにはなるかも知れませんが、仏教の目的である成仏、浄土教の目的である浄土往生(そして成仏)を果たすには場違いです。

その証拠に高森会長は話の中で

「死んだらどうなるか判らぬ心」を「無明の闇」とも言われる。阿弥陀仏はその闇を破り、「至心信楽 欲生我国 乃至十念」にしてみせると約束されている。
これは「信楽にして念仏を称えさせよう」ということ。絶対の幸福にしてお礼の念仏も称えさせるということ。


などと言っていたようですが、これによって親鸞聖人が問題にもされていないことを問題にし、親鸞聖人がされてもいない本願の説明をして、真宗を捻じ曲げ独自の高森教を説いていることが分かります。

18願は「信楽を獲た人を浄土に生まれさせる願」であって「信楽を獲た人を信楽に生まれさせる願」ではありませんし、「信楽」は本願に対して疑蓋間雑なき心相であって「絶対の幸福」だとかいう幻想的な楽ではありませんし、念仏は本願の行であり本願招喚の勅命であって単なる信後のお礼でもありません。


「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。「信心歓喜乃至一念」といふは、「信心」は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。『一念多念証文』

と聖人は仰せですが、こんなにも間違った「本願」「如来の御ちかひ」を聞いていて、それに「疑ふこころなき」状態になれると思いますか? 会員の皆さんはよく考えて頂きたいと思います。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード