【ツッコミ】テレビ座談会のコメント

とにかく親鸞会では会員に布施(親鸞会への献金と人集めの勧誘)をさせたいことが伺えます。
F館財施も再度募られ、さらに絵画やブラジル会員へのカンパ名目でも募財活動がなされるようです。
海外参詣者の為にということもあってテレビ座談会が設けられたのではなかったのかと疑問が出てきます。
2月は「大雪」で法話を中止しておいて、気候が落ち着いてきたらまた二千畳へ集結しましょうでは、命かけて足を運ぶほどのものではありませんね。

阿弥陀仏の救いに布施などの善は関係ないのですが、親鸞会は関係づけて話をしていますので珍しい教えだと非難されています。

1月16日のテレビ座談会では3通りの念仏と布施について話がされたようです。コメントを読むと、このようにして会員は救いと関係ない活動に勤しみ、親鸞会の思うがままになっていく様子が伺えます。
その結果、会員は目的の信心決定は果たせず、親鸞会の造った円形トラックをぐるぐる延々と走らされて、時間ばかりが過ぎ、不満・疲労ばかりが蓄積していくという状況です。
ところが、「高森先生は教えを説き切られている。自分が真剣に聞けないことに問題がある」と思考停止していますので、文句を言うこともできず、前向き発言して頑張っていくしかない状態です。
一体いつまで活動すれば気が済むのでしょうか?
今日明日にも無常の殺気が迫っているかもしれないのに、そんな悠長にしてて間に合うんでしょうか?
永遠に流転の身となる前に何とか気づいてほしいと思います。



以下は、テレビ座談会のコメントを抜粋し、ツッコミを加えてみました。
外に出て眺めるとこんなにおかしな集団かと分かるのですが、中にいると分からないものです。

親鸞会ブログ ポータル
親鸞会 1月16日(土)テレビ座談会コメント欄より
(携帯の方は親鸞会 1月16日(土)テレビ座談会 コメント欄から接続下さい)

S.H.

先回のテレビ座談会では宿善について、今回は3通りの念仏について教えて頂きました。1月3日の初聞法会の時、久しぶりにお会いした教学に詳しいある方に、一つの質問をしました。
それは、
「阿弥陀如来の救いはただ今の一念ですが、その一念の救いに値うまでは時間がかかるという理解でよろしいでしょうか」
というものでした。
その質問に、先生がお答え下さっているとしか私には思えません。
 「頂くことばかり考えている」「与えることだけ考えればよい」「法施は何千万円渡すよりも相手のためになる」とお聞きしました。親鸞聖人の教えを正しく学んでお伝えする。そのことだけを考えたいと思います。



この人が聞きたいのは「一念の救いに値うまでは時間がかかるのか、かからないのか」ということのはずですが、このコメントをいくら読んでも答えは分からないですね。本人も本当に分かったのか微妙なところです。
阿弥陀仏は名号を回向して私を助けようとばかり考えておられるので、私はその阿弥陀仏の御心をお聞きすればよろしいのですが、「頂くことばかり考えている」「与えることだけ考えればよい」「法施は何千万円渡すよりも相手のためになる」と聞かされ、親鸞会の為にせっせと金と人を集める道具にさせられているようです。

私もS.H.さんのようなことを思っていましたので、代わりにお答えします。
一念の救い=只今の救いですから、時間はかかりません。
本願の仰せは、名号となって既に私に届けられているのですから、私は計らいをまじえずに本願を聞きうけるのみです。

救いと関係ないどころか、遠回りの方法を教える知識の元から離れ、「法施や財施をやればそれだけ救いに近づく」という悪い心がけは捨てて、私一人を救う本願を仰いで下さい。



群馬1号

仏教で一番重視するのは心、と繰り返し教えて頂きました。

いつも聞かせて頂いていることですが、心を置き去りにし、見せかけ・言い方などの表面だけを良くして、自分は正せているといい気になってはいないか、反省せずにおれません。

善をするのは当たり前のこと。

どんな心でしているのか、その心をよく見つめ、問題にしていかねばなりません。

常に布施のことを考えると幸せになれる、逆に取ることばかり考えると不幸になるとお聞きしました。

周りを見ても、布施する人は恵まれ、布施の心がない人は苦しんでいます。布施の精神の有無で、運命が大きく変わることが知らされます。

親鸞学徒は、探さずともいくらでも布施させて頂ける有難い環境にあります。

この大きなチャンスを無駄にせず、常に与えることだけを考え、実践していきたいと思います。



浄土真宗は何かを実践する宗教ではなく、阿弥陀仏が私を助けようとするおはたらきをお聞きし、お念仏を申し、阿弥陀仏の徳の尊さを同胞にお伝えする宗教であることが「真宗宗歌」から伺えます。
善を実践して進んでいく教えなら、進んだ先に救いがあるので、只今救われるということはないわけです。
自分の心の動きを問題にするより、「必ず助ける」の如来の勅命を計らいなく聞いて下さい。

日常生活の心がけとして相手のことを考え親切に徹するならよいですが、18願の救いとは関係ないことを再度申し上げておきます。また、そのような生き方についてならば、親鸞会よりも他で沢山教えられていますから、親鸞会で聞く必要はないと思います。



chan

 布施について詳しく教えていただき、心からの布施行がどれだけできていたか、とても恥ずかしく、申し訳なく思いました。

 与えることだけを考えればいい、と教えていただきました。

 相手の喜ばれることを考え、心から実行することがいかに難しいかと知らされます。

 しかし、人生の目的に向かって一刻たりともおろそかにできない、一歩でも半歩でも進ませていただかねばならない、と大きな大きなエネルギーを賜りました。頑張ります!!



「親鸞会に与えることだけを考えればいい」というのが会の本音でしょう。

彼らの語る「人生の目的」を果たすためにということで、人と金を集める道具になってしまっている会員の皆さんが不憫でなりません。いくら熱心に活動したところで救いとは無関係であることを、繰り返し申し上げておきます。





布施を心がければ、自ずと知らされてくる自己の姿があります。

やれば分かることでも、やらねば観念の遊戯に終わるだけ。

迷った心で迷った心を見つめても、正しい見解に達するはずもなし。空回りするばかりです。

善の勧めを否定する人たちの、知らされたと言う「自己」はどんなものか。聞いていると、うら悲しくなります。

よき知識に会うことも、よく聞くこともまた難し……。



仰る通り、「迷った心で迷った心を見つめても、正しい見解に達するはずもなし。空回りするばかり」です。自己にばかり心をかけていないで、私を助ける本願を聞いて頂きたいと思います。

しかし、自己の姿を知らされるために布施をするのでしょうか?
では会員の皆さんは布施をして自己の姿が知らされているのでしょうか?
知らされていないとしたら、「布施を心がければ自己の姿が知らされるはずだ」と観念の遊戯をしているだけです。
罪悪観と機の深信を混同しているから、こういう考えに陥ってしまうのでしょう。
18願に救いと関係づけた善の勧めを肯定する人たちの、知らされたと言う「自己」はどんなものか、ぜひ聞いてみたいですね。
本当に、仰る通り、よき知識に会うことも、よく聞くこともまた難し……。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

親鸞会では、そのうち会員の感想を掲載しなくなりそうですね。
いくら会長の話を隠蔽しても、誤魔化しても、会員の感想で全部筒抜けですからね。
そのうち、感想言うのも禁止になったりして(苦笑)

>名無し様

信心の沙汰をしなければなりませんし(F館建設の目的ですから)、感想やコメントのない記事では「多くの反響があります」とは言えませんので、掲載はなくならないと思います。ただ、当たり障りのないコメントしか掲載されなくなるかも知れませんね。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード