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仏、菩薩の教えは「阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っていない」という教え?

私も、他人の主張を批判するからには当然批判を受けることは覚悟しています。ただ、それにしても正法誹謗はひどいなぁ・・・。しかし、意味が分かってその言葉を使っているのかしら?

問うていはく、なんらの相か、これ誹謗正法なるやと。
 答へていはく、もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法といはん。かくのごときらの見をもつて、もしは心にみづから解り、もしは他に従ひてその心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと。
「信文類」

【現代語訳】
問うていう。正しい法を謗るとは、どのようなことをいうのか。
 答えていう。仏もなく仏の教えもなく、菩薩もなく菩薩の教えもないというような考えを、自分自身でおこしたり、他の人に教えられて、その通りと心に定めることを、みな正しい法を謗るというのである。


私は、「阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っていない」という説を批判しています。それは仏説、師説に反するでしょうと。それとも、仏、菩薩の教えは「阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っていない」という教え?

あるいは、「阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っていない」と振れ回っている人は仏か菩薩?


「行文類」親鸞聖人の六字釈に、未だ誰もしたことの無い珍釈を施しておいて、『教行信証』が読めているつもりの人物を、私は仏や菩薩だとは思いません。尤も、本願の念仏と信心をもっと深く理解しなさいと促しておられる還相の菩薩と味わうこともできますがね・・・

まぁ私が『教行証文類』を読めている、全て理解しているとは口が腐っても言いません。まだまだ勉学の途上ですが、現段階でも分かることは分かります。

「行文類」の決釈は、本願の念仏は凡聖自力の行ではなく不回向の行だということと、念仏成仏の勧めです。それに導かんがための七高僧方を始め数々の引文があり、その途中で出てくるのが親鸞聖人の六字釈です。念仏は浄土真実の行であり、選択本願の行であって、弥陀、釈迦、諸仏の本意にかなった大行であるということを証明しようとしているその最中に、「阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っていない」などという意味の釈を施すはずがないでしょう。


私に言われた位で自説を撤回するような人でないことは予想していましたが、自説を批判する者を正法誹謗とまで仰るとは思いませんでした。自説に都合の悪い根拠を全て無視し、親鸞聖人のお言葉に珍釈を施すだけでなく、弥陀仏の本願念仏を本願から抜いてしまうような説を聞いてしまったからには、私は無視できません。

親鸞聖人のお勧めは、一心一行の選択本願の行信であって、行を離れた信の勧めではありません。

・穢を捨て浄を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。(総序)

・しかれば真実の行信を獲れば、(中略)仰いでこれを憑むべし。もつぱらこれを行ずべきなり。(「行文類」)

・釈(散善義)に「専心」といへるはすなはち一心なり、二心なきことを形すなり。「専念」といへるはすなはち一行なり、二行なきことを形すなり。いま弥勒付属の一念はすなはちこれ一声なり。一声すなはちこれ一念なり。一念すなはちこれ一行なり。(「同」)

・宗師(善導)の「専念」(散善義)といへるは、すなはちこれ一行なり。「専心」(同)といへるは、すなはちこれ一心なり。(「信文類」)


等とある通りで、親鸞聖人の上では、念仏と信心は決して別々のものではありませんでした。そして、親鸞聖人の教えられた信心は念仏から別開した信心であって、念仏と無関係のものではありませんでした。

しかし、別開した信心を強調するのはよしとしても、元の念仏は「称えよと仰っていない」などということではありません。念仏と信心は、例えば財布の中から金を抜き出したからもうその財布は要らんみたいな、あるいは、念仏は信心に必ずついてくるオマケみたいな、そういう関係ではありません。信楽受持するのは弥陀仏の本願念仏です。阿弥陀仏から共に回向されるのが本願の念仏と信心です。そして、念仏の信心を別開して明らかにされたのが親鸞聖人です。

信の一念は、時間、空間を超えた普遍の法が、時間的、空間的に限定された個人の上に実現することを顕した機受の極要ですから大事なことに変わりはありません。ただ、領受した私の心に開き起こるのが信心ですが、開き起こしたのは法、すなわち念仏です。念仏はわずか一声称える者をも往生成仏させる正定業であると深信するのです。これが信心です。


その先生の説を信じる信じないは個人の自由ですから構いませんが、もし淳心房の主張は間違っているという方がありましたら、「阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っていない」という経、論、釈の根拠を提示して下さい。
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…正法誹謗…?

…さすがに、かの大先生も《誹謗正法》では(約仏だから)マズイと思って、
(私の側の言葉として使っても差し支えない)《正法誹謗》とされたのでは?
…と、教学に乏しいまあちでさえ勘繰りたくもなります。

Re: まあち様

誹謗正法=正法を誹謗する

ですから同じことですね。私の行為が正法誹謗なら

「正法」=「阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っていない」という教え

とでも言うのでしょうか? もしそうなら、聖人の数々のお言葉はどうなるんですかね? かの先生は「あれは法然聖人の教えだ」とか理由をつけて突っ撥ねるんですけど、それが浄土真宗の布教使の態度なんでしょうかね? 疑問は尽きません。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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