FC2ブログ

悪口、不平不満ばかり言うその口で南無阿弥陀仏を称えるのだ

山家の伝教大師は
 国土人民をあはれみて
 七難消滅の誦文には
 南無阿弥陀仏をとなふべし

一切の功徳にすぐれたる
 南無阿弥陀仏をとなふれば
 三世の重障みなながら
 かならず転じて軽微なり
『浄土和讃』現世利益讃

この前、上のような現世利益讃を拝読している内にこのようなことを考えました。

淳心房、お前、口を開けば人の悪口ばかり言うておるじゃないか。不平不満ばかり言うておるじゃないか。その口で南無阿弥陀仏を称えるのだ。南無阿弥陀仏と称えることは仏を誉め讃えることになる。それはまた、罪を懺悔することにもなる。

『尊号真像銘文』には次のようにあります。

「称仏六字」といふは、南無阿弥陀仏の六字をとなふるとなり。「即嘆仏」といふは、すなはち南無阿弥陀仏をとなふるは仏をほめたてまつるになるとなり。また「即懺悔」といふは、南無阿弥陀仏をとなふるは、すなはち無始よりこのかたの罪業を懺悔するになると申すなり。

南無阿弥陀仏を称えることは、「仏をほめたてまつるになる」「無始よりこのかたの罪業を懺悔するになる」というのです。こちらは別して仏を誉め讃えたり罪を懺悔したりするつもりでなくとも、そうなると教えられています。これがありがたいところです。

私には申し訳ないけれどもそのような殊勝な心がありません。起きてきません。造悪は止まず、その報いで苦しむしかありません。それが念仏することは嘆仏、懺悔となって下さるというのですから、今後も悪業を造って苦しむはずであった果報は自ずから変わってくるはずです。


法のお育てを受けていきますと、少しずつですが、仏さまを中心とする考え方というものができてきて、自然と悪を慎むような心がけができてきます。勿論、造作も無く縁によってむさぼりの心、怒り、腹立ち、憎しみの心が出てくるのは変わりませんが、それを恥ずかしい、申し訳ないと反省、懺悔するような心も起きてくるのです。

本来そのような性分でなかった私にそのような心が起こってくる。これは、阿弥陀仏や諸仏方、菩薩方や神々の護念摂護にあずかっているから、そのおかげによって起こさしめられるのではないかと思うのです。

・七難消滅の誦文には南無阿弥陀仏をとなふべし
・三世の重障みなながらかならず転じて軽微なり


以前はそんなこともあるもんかいなと考えていましたが、このように考えてまいりますと今は故あることではないかと思われます。勿論これは私の味わいなので、そのように捉えて頂きたいと思います。尤も、現実の悪果が善転することを期待して念仏するというのは本末転倒です。念のため。


色々申しましたが、要はつべこべ言わずになんまんだぶせいということだと味わいました。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

Abcです

Sub Title:南無阿弥陀仏ととなふれば

こんにちは、ここには久方ぶりの書き込みとなります。Abcです。
まことにお恥ずかしながら、私も淳心房さんの娘様から言われるのなら「なんまんだぶ おじさん」です。(笑)

さて、親鸞聖人は「南無阿弥陀仏ととなふれば」という『和讃』をいくつも残しておられます。以下に示すのはそのひと部分であります。

『浄土和讃』
 南無阿弥陀仏をとなふれば この世の利益きはもなし
 流転輪廻のつみきえて 定業中夭のぞこりぬ

 南無阿弥陀仏をとなふれば 梵王・帝釈帰敬す
 諸天善神ことごとく よるひるつねにまもるなり

南無阿弥陀仏をとなふれば 炎魔法王尊敬す
 五道の冥官みなともに よるひるつねにまもるなり

…… などございます。

また、「~に帰命せよ」、「~に礼すべし」という和讃もございます

『浄土和讃』
 三塗苦難ながくとぢ 但有自然快楽音
 このゆゑ安楽となづけたり 無極尊を帰命せよ

信心歓喜慶所聞 乃曁一念至心者
 南無不可思議光仏 頭面に礼したてまつれ

聖道権仮の方便に 衆生ひさしくとどまりて
 諸有に流転の身とぞなる 悲願の一乗帰命せよ

…… などございます。

【追記】
このように阿弥陀さまは私たちに対して「私の名を称えなさい」と仰せであります。では、阿弥陀さまは「どこでその願を立てられ、誰が値われる」とされたのでしょうか?

同じく『浄土和讃』には
 如来興世の本意には 本願真実ひらきてぞ
 難値難見とときたまひ 猶霊瑞華としめしける

 弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど
 塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ

 南無不可思議光仏 饒王仏のみもとにて
 十方浄土のなかよりぞ 本願選択摂取する

とございます。「饒王仏のみもとにて」とありますから饒王仏(世自在王仏)のみもとにて阿弥陀さまは法蔵菩薩の因時に、誓われました。

 そして「どのような方を」という対機には

 『浄土和讃』
 無碍光仏のひかりには 清浄・歓喜・智慧光
 その徳不可思議にして 十方諸有を利益せり

とございますことから「十方諸有を利益せられる」願とされております。これが17願・18願にて誓われている「十方衆生」でありましょう。

 また、「罪深き女人」のためにと「18願にて値われる」としながらも猶お「35願にて値われる」とされていますのは、

『浄土和讃』
 弥陀の大悲ふかければ 仏智の不思議をあらはして
 変成男子の願をたて 女人成仏ちかひたり

とあらわられております。「変成男子の願」、「女人成仏の願」はどちらも第35願のお誓いであります。


むすび

これまで、いくつかの『和讃』をこちらに示しました。どれも「阿弥陀さまの功徳を顕わされている和讃」であります。こちらで紹介しきれなかった『和讃』もございますのでお時間が許すのでしたら
『浄土和讃』 また 『浄土高僧和讃(高僧和讃)』 『正像末法和讃(正像末和讃)』などもご覧くださいませ。

 浄土真宗とはこの『和讃』に顕わされているように

『浄土和讃』
 念仏成仏これ真宗 万行諸善これ仮門
 権実真仮をわかずして 自然の浄土をえぞしらぬ

と「真宗は念仏往生である」のいわれであります。(正しくはこの「真宗」とは「浄土まことの教え」をいわれており、宗旨名を言われたものではありませんが「浄土の教え」を言われたところであります)

 「念仏ないから信心ひとつ」、「念仏は信後に限る」など阿弥陀さまが私たちにご用意なされた「念仏(法体名号)」に「私の側から注文を付ける」ことは「一器の水を一器に移すがごとく」にあい違いていることを留意せねばなりません。


なもあみだ、なもあみだ
 Abc

Re: Abc様

Abcさんは「なもあみだおじさん」ですね(笑)  如来からの最高の褒め言葉と受け取っておきましょう。
子供は素直ですから我々の称名がそのまま口に上ります。その称名の声を聞かせてもらうのは有難いことです。

我々は今はなんまんだぶ/なもあみだおじさんですが、命のびれば「なもあみだおじいさん」となり、この世の縁尽きれば「なもあみだ」と成らせて頂く。いやぁ、お互い、生まれてきた甲斐がありましたね。


親鸞聖人は現世利益和讃を15首も詠まれています。最初はそんなこともあるもんかいなと思っていましたが、気がついてみれば恵まれているなと感ずることがしばしばあります。尤も現世利益が目的になっては本末転倒ですが、かと言ってウソを並べて書かれている親鸞聖人ではありません。今回は、後々になって少しずつ分かってきたこととしてその味わいを綴りました。


挙げて頂いた御和讃の如く、真宗は念仏往生、念仏成仏の法です。念仏の一行に奉え、我をたのめとの仰せのままに仏にまかせまいらせて、今度の一大事の往生を遂げる同行が一人でも多く現れてくれたらと思います。

なもあみだ、なもあみだ、なもあみだ・・・

只の死の後の言わず称える念仏ですね!

ありがたや~
ありがたや~
d=(^o^)=b
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード