【検証】これが親鸞会会員の三願転入の理解です(2)

【検証】これが親鸞会会員の三願転入の理解です(1)の続きです。

次に、

釈尊が説かれた一切経は、99%、十九願の御心を徹底して教えられたもの。
十九願は、修諸功徳の願と言われ、釈尊は善をすすめておられます。
善をすることによって、善が間に合って、救われて、
極楽浄土に行けるのではなく、
善を徹底的にやらなければ、信仰がすすまず、二十願には入れないのです。
何が善で、何が悪かも分からない私達です。
純粋な善など、到底出来そうもありませんが、
最初からやってもしょうがないからと、
開き直って何もせずに、ただ念仏を称えていなさいとは、
お釈迦様は仰っておられません。


という主張についてです。

十九願には諸善の勧めはあります。しかし、それは、『浄土三経往生文類』に、

観経往生といふは、修諸功徳の願(第十九願)により、至心発願のちかひにいりて、万善諸行の自善を回向して、浄土を欣慕せしむるなり。しかれば『無量寿仏観経』には、定善・散善、三福・九品の諸善、あるいは自力の称名念仏を説きて、九品往生をすすめたまへり。

と教えられているように、十九願で諸善を勧めるのは、方便化土の往生である九品往生の勧めているということなのです。
親鸞聖人がどこにも説かれていない「信仰」なるものを進めて、二十願に入らせるという意味ではありません。


「開き直って何もせずに、ただ念仏を称えていなさいとは、 お釈迦様は仰っておられません」と書いていますが、そんなことを釈尊が説いていないのは当然です。昨日、『散善義』のお言葉を示しましたが、「仏の本願に望むるに」とあるように阿弥陀仏の十八願に望み合わせて、釈尊は一向に弘願念仏を勧められたのです。

それにしても、「開き直って何もせずに、ただ念仏を称えていなさい」とは、念仏を軽視していなければ出てこない発言だと思います。親鸞聖人が念仏と諸善について、

しかるに教について念仏諸善比校対論するに、難易対、頓漸対、横竪対、超渉対、順逆対、大小対、多少対、勝劣対、親疎対、近遠対、深浅対、強弱対、重軽対、広狭対、純雑対、径迂対、捷遅対、通別対、不退退対、直弁因明対、名号定散対、理尽非理、尽対勧無勧対、無間間対、断不断対、相続不続対、無上有上対、上上下下対、思不思議対、因行果徳対、自説他説対、回不回向対、護不護対、証不証対、讃不讃対、付属不属対、了不了教対、機堪不堪対、選不選対、真仮対、仏滅不滅対、法滅利不利対、自力他力対、有願無願対、摂不摂対、入定聚不入対、報化対あり。
この義かくのごとし。しかるに本願一乗海を案ずるに、円融満足極速無碍絶対不二の教なり。(教行信証行巻)


と説かれていることを知らないのでしょうか?
現代語訳が、『用管窺天記』にありましたので参照して下さい。

このように念仏と諸善で、念仏が勝れていることをいくつも説かれているのに、念仏を軽視し諸善にばかり心をとどめているのは親鸞聖人の真意に背いているといわざるを得ません。

教学聖典にある断章されたお言葉だけでなく、親鸞会会員の皆様には自分で真宗聖典を開いて、断章せずに善知識方のお言葉を拝読して頂きたいと思います。



さらに、訳の分からない発言をしています。

十九願で、因果の道理のもと、全力を尽くして善行をやってみると、
善行をしながら、その心根にある悪性ばかりが知らされて、
何が善かも何が悪かも分からない、善など、ひとつも出来ない自分を知り、
こんな自分が救われるには、念仏にすがるよりほかない、、、


こう知らされた人は二十願に入るようですが、

悪い行為をしながら称えていても、助からないように思えるので、
廃悪修善、悪を慎み善を励んで、念仏しようとするのですが、
見えてくるのは悪ばかり。


と言って、念仏にすがるよりほかないはずとなったのに「廃悪修善、悪を慎み善を励んで」とまた善を励むようです。
これでは十九願の行信に念仏が加わっただけで、十九願のときと何か変化があるのでしょうか?


結局、「十九願の善に一生懸命励めば善のできない自分が知らされて二十願へ進み、念仏も称えきれない助からない自己が知らされて、その時十八願の世界に転入するのだ」と頭だけの理解、観念の遊戯をしているに過ぎません。
15年、30年と一筋に求めている講師部員すら「信仰」が進んでいない、「十九願の入り口にもたっていない」ようですから、一般会員は何百年かかることやら・・・
まして幽霊会員など救われる見込みは限りなく0に近いでしょう。
そんな観念の遊戯をしている間に今日が臨終となったらどうするつもりなんでしょうか? 命一刹那につづまる無常迅速の機は、どうして本願に救われるというのでしょうか?


阿弥陀仏は無常迅速の機、罪悪深重の者を目当てに本願を建てられたのですから、只今、無条件で救われます。
救いに私の善は間に合いませんし、関係ありません。
「必ず救う」本願の仰せ(南無阿弥陀仏)に対し、疑いを交えずそのまま受けいれて念仏するのみです。本願は既に南無阿弥陀仏となって私に届けられているのですから、いつどこにいても本願を計らいなく聞けば救われるのです。

その無条件の救いに、いくつもの条件をつけているのが親鸞会の説き方です。
・因果の道理に従って善をしなければ、、、
・後生に驚きが立たねば、、、
・自己の姿が知らされなければ、、、
・罪悪観が深まらなければ、、、
・信仰が進まなければ、、、
・三願転入の軌道にのらなければ、、、
などなど。これらは皆「すてもの」です。

十八願の意、本願力回向のご法義が説かれず、方便の善(実態は方便の善にもなっていないと思いますが・・・)ばかりが強調されているのが親鸞会です。

しかし、方便の善に心を止めている内はいつまでも方便願に止まり、真実の救いに遇うことはできませんので、会員の皆さん、そしてciel氏も早く救いから遠ざけられていることを知って頂ければと思います。
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>名無し様

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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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