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弥陀をたのむ人生を

保育園の、親同士の飲み会の席のことである。

その会はほとんどママさんで、旦那はいないためにしばしば旦那への愚痴話が聞かれた。どんな仲むつまじい間柄だって相手への不足や不満の一つや二つはあるんだから、パートナーへのそれは当然あるだろうな。まぁ愚痴をこぼすことによって少しでも日頃の鬱憤が晴れて前向きに生きられるならと思って聞いていた。

その中で、あるママさんが「旦那からの愛情が感じられない」と嘆いていた。一説によると、男性は愛情をしぐさで表現し、あまり言葉では表さないらしい。対して、女性は言葉でハッキリと愛していると伝えてほしいそうだ。―無論、全ての男性、女性がそうではないだろうが―

そのママさんは、冗談半分か、酔った勢いかは知らないが「浮気してやる~」と言っていた。それを見て、

「愛をたのむ人生を生きちゃダメだ。
愛をたのむよりは、弥陀をたのむ人生を・・・」

と密かに思った。


愛をたのむ人生は、常に期待と不安に揺れ動く。
確かに人生、愛がなくては生きてゆけない。

ところが、愛する人が自分を愛してくれるとは限らない。
愛しい人の愛を得られない苦しみは、愛が募る分だけ大きい。
愛が得られなければ、生きていても仕方がないと思わしめるほど。

ただし、幸いにして結ばれても、その愛の心は続かない。
人間の愛は、冷めもするし、心変わりもする。
悲しいことにウソと偽りと裏切りが付きもの。
とろけるような幸福感は、次の瞬間には崩壊につながっている。

そして最も悲しいのは、憎しみに転じかねないこと。
恋愛のもつれは勿論、家族、恋人同士で殺し合う愛憎の悲劇は後を絶たない。

しかして、どんなに愛し愛されていても必ず別れてゆかねばならない。
心中したとて、死んでゆくのは一人一人。決して一緒にはなれない。
詮ずる所、愛のみでは人間は幸福にはなれない。
まして生死苦悩を脱することは決してできない。

やはり、愛憎を超え、生死苦悩を超える道は念仏往生の一道よりなかろう。
同じく阿弥陀仏より賜るお念仏によってのみ、俱会一処とまた遇える世界のあることが知らされる。
同じく阿弥陀仏より賜るご信心によってのみ、怨親平等に救われる世界のあることが知らされる。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
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Abcです

こんばんわ、お久しぶりですAbcです。

「弥陀をたのむ」ですね。。。「あの会」にいたときから良く聞いていました

という事で「格助詞」をつけて、各々記したいと思います。
「格助詞」とは「をにがとよりでからのへや」のやつです。

「弥陀をたのむ」(弥陀をたのめ とも)
親鸞聖人は、「帰するの勧め(命)」から「帰せよの勅命」であると顕され、「真宗(南無阿弥陀仏)」こそ我々の「帰さしむる土」であるとあらわされました。

「弥陀にたのむ」
この文は、親鸞会でも言われているが、「我々→仏」を受け取られることも少なくない。ただ、「私に任してほしい」のいわれであるから、この謂れもある。
『御文』2-8には、
 「ただ、弥陀にかぎりて、」と「に」という格助詞が用いられている。
また、この文は「ただ~かぎりて」という限定の文節でもあることから、「弥陀にたのむ」は後述する「弥陀のたのみ」でもある。

「弥陀がたのむ」
これは阿弥陀さまが法蔵菩薩の因時に、世自在王仏の御前にて「たのむ」のも含むし、もちろん「衆生を済度させる」という決意の表れでもある。

「弥陀とたのむ」
これは、「真宗」の言い換えとも言えるかと思われる。「真宗=南無阿弥陀仏」であるから、「南無阿弥陀仏(弥陀)とたのませたまひて(たのま・せ―給いて)」をもいわれるように「真宗のすがた」である。

「弥陀よりたのむ」
これは、「仏のかたより往生は治定せしめたまへり」等とあるように、「阿弥陀さまのご回向」である。これを「他力回向」、「本願力回向」等と言われ、また「自然のこと」とも言われる「自然法爾」も挙げられよう。
「第十八の本願」より「済度衆生」へのたのみ である。

「弥陀でたのむ」
これも「弥陀にたのむ」に通ずる感じもあるが、これも「弥陀からのたのみ」とも見れる。

「弥陀からたのむ」
この文が、一番しっくりくるかと思われる。「真宗」の教義をは全て、「弥陀からのたのみ」であり、それを様々な謂れを以って浄土の同行は説明されている。

「弥陀のたのみ」
 「弥陀からたのむ」に同じ。

「弥陀へたのむ」
 これも「弥陀にたのむ」に通ずる感じもあるが、これも「弥陀からのたのみ」とも見れる。

(「や」は「並立の用法」のみなので、無し。)

ですかね。
今回は「格助詞」にて示させていただきました。
 なもあみだ、なもあみだ

Abc

Re: Abc様

お久しぶりですね。

『御文章』は平易な文章で書かれていますが、現代の語感で読むと浄土真宗の信心とは真逆な捉え方になり注意が必要ですね。「たのむ」「たすけたまへ」「たすけたまへとたのむ」など・・・。

今日は「ふかく」「あさく」について述べたので、今度はこれについて触れたいと思っています。

なもあみだ。なもあみだ。なもあみだ・・・
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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