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阿弥陀仏の薬

先日、麻薬や覚せい剤関係でまた芸能人が逮捕されたと聞いた。その人が有名な映画やドラマ、劇や舞台などに出演していればいるほど大変だ。未公開なものは演者や声優を差し替えて撮り直しを、今公開しているのであれば公演中止等を余儀なくされ、既に公開して出回っているものに関しては回収されることもあるらしい。まことに自損損他の咎逃れ難いことである。

ところが私は、麻薬や覚せい剤関係に手は染めていないものの、無明という酒にはついつい手を出している。飲んでは後悔し、後悔しては懲りずにまた飲むという毎日。本当にダメな父ちゃんだ・・・

また怒りにまかせて子供達を叱ってしまった。
また睡眠欲に抗えず子供達と十分に遊べなかった。
またあまりの仕事量にイライラして同僚に当たってしまった。
また惰眠をむさぼって聖典を読み進められなかった。
・・・すまぬ・・・

親鸞聖人は自らを「精進なるこころもなし、懈怠のこころのみにして・・・」と懺悔しておられるが、我が身の懈怠ぶり、精進の心のなさと比べたら「いやいやいやいや何を仰いますか聖人さま」と思ってしまう。

親鸞聖人を引き合いに出さなくても、妙好人として伝えられる浅原才市さんとか、無量精進仏の化身のような自分の先輩と比べても、自分の情けなさ、不甲斐なさが際立ってしまう。

実に根っからの悪人、真性の怠け者である淳心房。しかも、中々聴聞にも参れないときてる。そんな淳心房だからこそ阿弥陀仏の薬は手放せないし、これだけは切らしてはならないと強く感ずる。

まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。『末灯鈔』20通

あまりに欲や怒りが逆巻いて念仏する気にもならず、念仏していてもちっとも味気ないこともしょっちゅうだが、そのように欲や怒りしかないこの煩悩の只中に、よく阿弥陀さまの喚び声が届いて下さったものだなとも思う。

この口から出る一声一声が、知らず知らずのうちに心のブレーキになっていることに後で気づく。

普段、何気なく称えている一声一声が「まちがわさぬぞ」「助けるぞ」「安心して我にまかせよ」とのお喚び声であり、如来のお育てにあずかっていることだとは、何とも言えず有難く、かたじけないことである。

阿弥陀仏の薬をつねに好みめして生きていきたい。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・



【参照】
『本願力』金魚掬いの救いと磁石のはたらき
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行動意識と生活意識

ども、林遊@なんまんだぶです。

大谷派の金子大栄師は、善悪という感覚について、

 ですからして、今日浄土の教えというのは、生活に即しないということがいわれますが、どうしてそういうことをいわれるかという気分は、もちろんわかっております。しかし、私たちの会得しております浄土の教えというものは、これほど生活に即したものはないのである。行動の原理とはならぬが、生活に即するという点においては、おそらく仏教のうちにおいて、親鸞の真宗の教えよりほかにないのではないかと、こういいたいのであります。
 しからば、生活意識の場合と行動意識の場合と、どういうふうにちがうであろうかということを、今日とくに時間の許すかぎり、いろいろ述べてみたいのであります。
http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E3%81%AE%E6%A9%9F%E7%B8%81#.E4.B8.89

と、おっしゃて「行動意識における善悪」と「生活意識における善悪」の感覚の違いについて語っておられました。
もちろん判然と区別できるものではないのですが、高森親鸞会の会員は、会長や会の方針による活動、という「行動意識」の上で善悪の価値判断がなされているようにみえたりしてました。
この金子師の講話は、いわゆる安保問題で若者のアクティブな社会運動が鼓舞されていた時代のものですが、若い頃にじいさんの本箱からこの『親鸞の世界』といふ本を引っ張り出して読んで、浄土真宗の規範は日々の生活の中にあるのだと思ったものです。それでもモロトフカクテルの効率的な作成法の実験もしてましたけど、田舎ですから山の中で試すだけでした。これ時効だな(笑

ともあれ、真宗特有の、あさましい奴やな、とか、すまんこっちゃや、恥ずかしいという感覚は「生活意識」の中から出てくる感情でしょう。
男の場合は、外(家庭の外:世間)で働き家族を喰わせるという使命があるので、行動様式による善とか悪といふことを考えがちなのですが、一番大事なのは、かあちゃんと子供です。その生活感覚の中で、
「称仏六字 即嘆仏即懺悔 即発願回向 一切善根荘厳浄土(仏の六字を称せば即ち仏を嘆ずるなり、即ち懺悔するなり、即ち発願回向なり、一切善根浄土を荘厳するなり)」
と、なんまんだぶを称えるというのが、浄土を真とする浄土真宗でした。ありがたいこっちゃ。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%99%BA%E6%A0%84%E8%AE%83%E5%96%84%E5%B0%8E%E5%88%A5%E5%BE%B3%E4%BA%91%E2%80%A6

三人の女の子を育てている知人の女性が、林遊さん、この子達は悪魔ですよ。私の時間を奪い、私の行動を阻害してる悪魔です、と言って、にこやかに笑ってました。そんなこんなで、奥さんを大事にしますようにと「上から目線」(笑

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

Re: 林遊@なんまんだぶ様

> 真宗特有の、あさましい奴やな、とか、すまんこっちゃや、恥ずかしいという感覚は「生活意識」の中から出てくる感情でしょう。

私もそうだと思います。煩悩のままに生き、それを当然と思っていた私に変革をもたらしたのが仏法、そして南無阿弥陀仏のお念仏でした。


> 奥さんを大事にしますようにと「上から目線」(笑

耳の痛いメッセージです(笑) 妻も子供も、よくよく縁あってのことですから大事にしなければという気持ちはあるのですが、普段の慣れ、また忙しさや考え方の違い、仕事等のストレス、色々ありまして(一番は私の深い煩悩のせいです)、非常に「するは難し」であります。家の掃除など、何か一つでも心をかけて実践したいと思います。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

No title

当たり前の事が本当に幸せです。
こちらはかみさんにしかられっぱなしですが一向に治りません。
それでも生きているだけで丸儲けです。

親が死に 子が死に 孫が死に めでたきかな めでたきかな

仙厓の歌かどうか知りませんがこの通りです。
ただし、お念仏と共にですが。
後はお念仏を称えるだけです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

あたり前

ども、林遊@なんまんだぶです。

逆縁という通俗の言葉(順当に反したこと。年長者が年少者の、親が子の、子が孫の葬儀をする意)があります。
一休禅師が、孫が産れたので、めでたい祝辞を書いてくれと一休禅師にお願いしたところ「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」と揮毫したそうですが、依頼した人は目を白黒でしょうね。あたり前の幸せを論じただけなのに。
年をとると葬儀場に出ることが多いのですが、子や孫に先立たれた葬儀は辛いものです。日本では、年寄りの方は人前で感情をあらわすことはありませんから、感情は読み取りにくいのですが、ぎゅっと握りしめた拳に万感の思いを感じることでした。きっと家に帰って布団をかぶって嗚咽するのでしょうね。

>当たり前の事が本当に幸せです。

という表現から、河村とし子女史を想起しました。
女史は、真宗の救いって何ですか?という女学生に、
目を閉じてごらんなさい。何も見えないでしょ。じゃ目を開けてごらん、ちゃんと物が見えるよね。浄土真宗は、あたりまえのことをあたりまえと慶べることを教える宗教ですと学生に云います、と越前へ女史を招聘した時の法話で言われたものだ。
「キリスト教から浄土真宗へ」
http://blog.wikidharma.org/blogs/blog/2012/02/18/%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e6%95%99%e3%81%8b%e3%82%89%e6%b5%84%e5%9c%9f%e7%9c%9f%e5%ae%97%e3%81%b8/

浄土真宗のご法義を仏教思想の展開の上で見ようとする人は、すぐに空とか唯識に嵌るのですが、天台で仏教学を学んだ法然聖人や御開山は、それを超えたところの論理で浄土教をみておられるのであって、あの人達はただものではないのでした。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


コメント返信

とくよしみね様

ありがとうございます。
貴方は実に強く、そして素晴らしい感性の持ち主と存じます。
確かに仰る通りなのですが、私のような愚か者は失ってから当たり前の幸せに気づくのでしょう。
日々衆禍の波が押し寄せアップアップしています(苦笑)が、お念仏と共に当たり前の幸せを感じて生きていきたいものです。

> 親が死に 子が死に 孫が死に めでたきかな めでたきかな

林遊さんも触れていますが、一休禅師も「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」という言葉を書いたそうですね。
http://www.ryuutokuji.com/blog/2014/10/post-86.php

嬉しい時も、つらい時も、お念仏相続。念仏者はこれに限りますね。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・


林遊@なんまんだぶ様

リンク先の「キリスト教から浄土真宗へ」読ませて頂きました。
とても感動的な、そして有難いお話でした。浄土真宗もやはり仏教、優しいお慈悲な面だけでなく、厳しい智慧の面もあることを知らせて頂きました。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・

No title

淳心房さま

買いかぶり過ぎです。
ただの気の利かないおっさんです。
思った通り言い過ぎて失敗ばかりです。

ところで、歌に関して一休の作と高森顕徹会では言われていました。
確かに調べてみると一休が多くありましたが、仙厓もあありました。
歌が変形されていたので仙厓の名前を出してみました。

林遊さんは相変わらず博識ですね。感心してます。

それと別のブログで議論が続いていますが、どうしてあそこまでこだわるのか理解が出来ません。
念仏と阿弥陀様の願力は一体であり、後は人に応じた話し方だけで信前の念仏を否定する根拠は何処にも無いのですから。
ホントに良く分からない。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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