FC2ブログ

悪人正機説に触れながら、「そのまま(悪人のまま)では助からないから、宿善を求め宿善を修めて(善人になって)、阿弥陀仏の救いに向かってゆきなさい」と、悪人正機とは真逆なことを説いていることに全く気付かない高森顕徹会長

先日12月8日(日)は富山で高森顕徹会長の講演がありました。『歎異抄』第三条を取り上げての講演でしたが、頂いた情報からその内容を推するに

一 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。

ここの部分を取り上げて、後はいつもの高森教を説いたようです。


まず第三条に表されている「悪人正機」説は、

・阿弥陀仏の本願は、悪人を救済の正しき対象とする
・阿弥陀仏の大悲は、幸せな善人よりも、すべての人に見捨てられていく不幸な悪人のうえにその憐れみは深く、重くかけられている
・阿弥陀仏の救いは、ひとえに如来の慈悲心の必然として恵みあたえられるものであって、人の功績に応じて与える褒美ではない


ということを、特に浄土のご法義を正しく受け止め、理解しているであろう弟子を選んで、その弟子のみに口伝された教えです。ご法義をよく理解していない者が表面的に浅く受け取って、自他共に悪道に堕さないようにとの配慮から、書ではなく、口伝えで伝えられたご法義だということをまず理解すべきです。

そのことをよく理解しない高森会長のような者がこの第三条を読みますと、悪人正機でありながら善人正機のような教えになってしまうのでしょう。そして、親鸞会の「善」の名の下に真実を伝えるためならどんな悪も許されるということで、他人の著書の剽窃を始めとし、執拗な本願寺批判、法要を妨害しての座り込み抗議、大学での偽装勧誘、偽装ベストセラー、息子の不倫疑惑事件もみ消し、上司のセクハラパワハラ、あいまいな会計報告、その他私も知らない、挙げ切れない様々な問題が親鸞会から発生しているのだと思われます。


さて、しかして高森会長は善人よりも悪人を目当てとして救う本願というよりは、ほどんど「真実の自己」の話をして一日の講演を終えました。『大無量寿経』五悪段 五悪

心につねに悪を念ひ、口につねに悪をいひ、身につねに悪を行じて、かつて一善もなし。

や、いつもの身口意の三業の話、心の行いを重視する話をし、

仏法を聞くとは、法鏡に向かうこと。法は真実。真実を映し出す鏡に近づくこと。
最後、真実の自己、悪人が知らされる。
自惚れている善人でさえ、救われるのだから、悪人と知らされた者はなおさら救われる。


などと話していたようです。


親鸞会では宿善の薄い者がそのままで助かるということはあり得ず、宿善を求めて、薄い宿善がやがて厚くなって、そして救われるのだと教えます。その宿善のものがらの一つが聞法で、それは宿善が厚くなる行為であると共に、法鏡に向かって進み、真実の自己が知らされてゆく行為だというのです。また、聞法のみでなく、五正行の実践と称した朝晩のおつとめ、六度万行の実践と称した布施等の善も勧められます。

前にも言いましたが、「善人」とは宿善の厚い人、「悪人」とは宿善の少ない人、つまり宿善の薄い人です。

宿善のあつきものは今生にも善根を修し悪業をおそる、宿善すくなきものは今生に悪業をこのみ善根をつくらず。宿業の善悪は今生のありさまにてあきらかにしりぬべし。『唯信鈔』【15】)

ですから、高森会長の説くところは、そのまま(悪人のまま)では助からないから、宿善を求め宿善を修めて(善人になって)、阿弥陀仏の救いに向かってゆきなさいということだと分かります。そして法鏡まで辿り着いた者を救うということですから、そこまで求めた者に論功行賞的に救いを与えるのが阿弥陀仏の本願だということになります。これは悪人正機の完全否定です。

勿論、浄土の教え、阿弥陀仏の救いはそんなものではありません。『唯信鈔』には続いて

しかるに善心なし、はかりしりぬ、宿善すくなしといふことを。われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず、宿善すくなしといへどもふかく本願を信ぜり。

と宿善(過去の善根)すくない身でありながら「ふかく本願を信ぜり」と、他力の信心を獲て摂取不捨の光益にあずかったことを述べられています。この記事で述べたように「ふかく」=「他力」です。


聞法とは、高森教が言うような宿善を厚くする善とか、阿弥陀仏の救いに向かってゆく手段ではなく、既に成就し、私に向かってはたらきかけていて下さる南無阿弥陀仏の救いの法をお聞かせ頂き、これを計らいをまじえずに領受させて頂くことです。真宗の聞法に自力的な意味はありません。念仏にしても同様です。それを自力の聞法、自力の念仏に貶めているのは聞く側、称える側の問題です。

阿弥陀仏は「ここまで求めて来い」と言うので無しに、「お前を待ちきれずにここまで来たぞ」と、南無阿弥陀仏と成って真如の世界より届いて下さった仏様なのです。今、ここにいる、この私の元に、既に来て下さっている仏様なのです。

私には、迷いを離れることも、さとりを開くこともできません。永久に迷い、苦しみ続けていくしかない凡夫です。その私目がけて

一切の善悪の凡夫ひとしく生れ、ともにねがはしめんがために、ただ阿弥陀の三字の名号をとなへんを往生極楽の別因とせんと、五劫のあひだふかくこのことを思惟(『唯信鈔』【4】)

して、その願成就してはたらいていて下さるのが南無阿弥陀仏の名号法です。宿善が厚かろうが薄かろうが、そんなものは救いと関係ありません。私達はただ、この深重なる誓願を計らいをまじえずに受け容れて、仰せの通り南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と阿弥陀仏の御名を称えて往生一定と期するのみです。


高森教では、「どこそこまで進んで行け」というばかりで、今、ここにいる、この私は救われません。今、ここにいる、この私を救うのが阿弥陀仏の本願です。それは、廃悪修善によって仏に近づいていく善人や聖者よりも、むしろ仏に背を向けて苦しみ続けていくしかない悪人である私を目当てとして建てられたご本願ですから、その教えを「悪人正機」と言われるのです。会員の皆さんは早く「悪人正機」を完全否定する高森教から離れ、本物の「悪人正機」説に出遇って本願を信じ念仏申して頂きたいと思います。



【参照】
『浄土真宗本願寺派 報徳寺』聖典セミナー 『歎異抄』第三条 ~悪人正機の伝承~
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード