私があるがままの姿で救われる本願

仕事柄、お子さんとお母さんのやり取りを毎日見ます。また、昨年子供が生まれ、自らも子供と接しておりますが、その中でよく耳にしますし、自分でも言ってしまう言葉があります。
それは、「○○しなさい」「○○しちゃダメ」というような言葉です。

「泣いちゃダメ」
「ちゃんと言うことを聞きなさい」
「ほら、邪魔だからそこをどきなさい」
「勝手にいじったりしたらダメよ」
「遊んでないで早く家に入りなさい」
「いい加減ゲームするのやめなさい」
「宿題やらなきゃダメ」

このような事を誰しも言われて育ったのではないでしょうか? そして大人になれば、子供にこのようにすべき事としてはならない事を教えると思います。
勿論子供のためを思って言うのですが、子供の側としては制約ばかりで不自由を感じてこなかったでしょうか? 私はそうでした。


「○○しなさい」「○○しちゃダメ」というのは、親子の間だけではなく、学校や会社など、社会全体で言われています。世の中、「○○しなさい」「○○しちゃダメ」という注意事項ばかりです。生きるほどにこうした制約に縛られている気が致します。

個人個人が思うさまに振る舞っていたら共存はできません。社会秩序を守るためのルールは、皆が共に生きていくためになくてはならないものです。
とは言え、不自由を感じ、時に私を殺してやり過ごさねばならないこともある世の中は、正直生きづらさを感じてしまいます。

そんな中で、誰しも「自由に生きたい」「自分らしく生きたい」と願っていることでしょう。やりたいことをやり、言いたいことを言って、自由に、自分らしく生きている人を見てうらやましいと感じる人は多いと思います。



そういった自由、自分らしさというのは、往生の障りにはなりません。私達の生き方だからです。
少なくとも阿弥陀仏に救われたいと思っている方であるなら、自由を願い、自分らしさを表現したいという思いをもって親鸞聖人の教えを聞いても全然オッケーです。
元々人間は愛憎の煩悩に迷い、そういうことしか頭にありません。阿弥陀仏はそんな事は当にお見抜きで、そういう私を助けると誓っておられます。

救われるのに「○○しなさい」「○○しちゃダメ」と私達に制約を課す阿弥陀仏ではありません。私が、私であるままで救われる本願です。
「救われたいなら善をしなさい」「悪をしたら助けない」とは仰っておられません。雑行、自力の計らいが捨てものであって、「自由」「自分らしさ」は必ずしも捨てたり、押し殺したりしなくていいものです。

また、救われた後も「○○しなさい」「○○しちゃダメ」とは言われません。
大学合格、会社の内定などは、その人が重大事故や事件を起こしたら取り消される場合があります。故意にせよ過失にせよ、罪や過ちを犯さない人間などありません。ですから、一度救われても犯した罪によって見捨てられてしまうような救いでは安心できません。私達のことをお許しの機と言われるのは、阿弥陀仏の救いが、その後の人生でどんな過ちを犯してしまったとしても、それによって救いが取り消され、見捨てられるということがないからでしょう。

何と申し訳ない、かたじけないことでしょうか。阿弥陀仏は私の全ての罪咎を「そのまま任せよ」と仰って下さいます。阿弥陀仏に救われるために、或いは救いから捨てられないために「○○しなさい」「○○しちゃダメ」という条件や注意事項、制約はないのです。このような御方はどこを探しても阿弥陀仏の他にはおられません。

但し、これは私と阿弥陀仏の間のことであって、社会生活を営む上ではそうはいきません。勿論、私達が生きていく上で社会のルールを守ることは当然です。それが自他共に暮らしていくのに重要なことですし、全て自分の思う通りに振る舞っていてはなりません。また、倫理や道徳に反するような行動は慎み、周囲に迷惑をかけないようにしていくべきです。罪や過ちも徒に犯してはなりません。



阿弥陀仏の救いと、生き方の区別が、「正統な親鸞学徒」を自称する人にさえついていない気がしてなりません。自他共に幸せになろうとして自由を願ったり、自分らしさを発揮したりして生きていくのは大変よいことだと思います。

反対に、「自由」「自分らしさ」を捨てて、捨てよと言われる雑行を拾えと教えるような、親鸞聖人の教えに反する教義にいくら無条件に従っていたところで、救いには遇えません。それでは人生を台無しにするだけではなく、またしても流転を重ね、阿弥陀仏のご苦労を増やすだけです。

私達が善根功徳を重ねて救われる、救いに近づいていく教えではなくて、阿弥陀仏が成就して下さった善根功徳の総体である南無阿弥陀仏を回向されて救われる教えが浄土真宗です。私達の生き様のことは、救いとはまた別であり、決して「自由」「自分らしさ」を捨てて教えに従うロボットにならねば救われないのではないことを繰り返し申し上げておきます。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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