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【考察】念仏の勧めについてⅡ(3)

稲城選恵著『浄土真宗の再興』によると、親鸞聖人は法然聖人の遺弟として専修念仏の正意を明らかにするところに生涯がかけられていました。

宗祖においては法然上人から伝承された専修念仏の正意を明らかにするところに生涯がかけられていた。また蓮師の上では宗祖聖人によって明らかにされた浄土真宗の正意を正しく伝承し、鮮明にするところに使命があった。(p.19)


同書では、続いて親鸞聖人の時代はどのようなことが問題となっていたのか、それに対して蓮如上人の時代はどうかということが書かれています。今は前者について同書より紹介します。

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 宗祖の上では他宗である当時の既成教団の聖道仏教が問題となっていたのである。恩師法然上人が浄土宗を独立し、専修念仏の道を明らかにされた。一切のもののすべてが念仏一行でたすかることを明らかにした為、『高僧和讃』「源空讃」には、

 「本師源空世にいでゝ 弘願の一乘ひろめつゝ 日本一州ことごとく 浄土の機縁あらはれぬ
  承久の太上法皇は 本師源空を帰敬しき 釈門儒林みなともに ひとしく真宗に悟入せり」
                             真聖全、宗祖部 五一二~三頁

とあり、男女老少、賢哲愚夫、釈門儒林、皇室等の高貴のものも、一般の庶民と等しく、念仏の法に帰依したといわれる。ここに衰退化しつつある当時の既成教団に刺激を与えたのである。しかし法然上人の教団の中にも、造悪無碍の如き異端者もあり、さまざまな世間の批判をあびたのである。それ故、興福寺僧綱の九ヶ条の念仏停止の奏状の中にも「釈衆を損ずるの失」をあげている。専修念仏の徒は囲碁、雙六なども公にし、肉食妻帯をしても往生には妨げとならない。反道徳的なことを許容するように思われたのである。このような批判は法然上人自らも『和語灯録』巻四に次の如くある。

 「……たとへば人のおやの、一切の子をかなしむに、そのなかによき子もあり。あしき子もあり、ともに慈悲をなすとはいへども、悪を行ずる子をば目をいからかし、杖をさゝげて、いましむるがごとし……悪人までもすてたまはぬ本願としらんにつけても、いよいよほとけの知見をばはづべし、かなしむべし……」
                              真聖全、拾遺部上 六四二頁

とあり、『西方指南鈔』下本にも光明房の造悪無碍に対しての法然上人からの御消息を出されている。

 更に法然上人の入寂後、専修念仏に対しての最もきびしい批判は明恵上人の『摧邪輪』であろう。明恵上人―一一七三~一二三二―は宗祖と出生時が同年であるが、華厳宗の学僧であり、学徳兼備、当時の既成教団の急先鋒ともいうべき方であった。師と北条泰時のエピソードは有名であり、彼を立派な政治家にしたのは明恵上人であったといわれる。泰時が生き仏のように尊敬していた明恵上人が『摧邪輪』のはじめには次の如くある。

 「髙辨年来於聖人深懐仰信以爲所聞種々邪見在家男女等仮上人髙名所妄説未出一言誹謗上人、説雖聞他力之談説未必信用之、然近日披閲此選択集、悲嘆甚深、聞名之始㐂礼乎上人妙釈、披巻之今、恨黷乎念仏真宗、今詳知、在家出家千万門流所起種々邪見皆起自此書……」
                                  浄全巻八 六七五頁

とあり、明恵上人は『選択集』を目にするまでは法然上人を大変尊敬していたようである。世間の噂さ等を聞いても信用していなかったといわれる。しかし『選択集』を拝読して驚き、在家、出家、千万の種々の邪見はすべてこの書より起るとまで激怒している。この『選択集』への難点を二つあげ、一つは菩提心を揆去するの過失、二に聖道門を以て群賊に譬えている過失である。この『摧邪輪』三巻は「建暦二年十一月二十三日」と末尾にある。法然上人は建暦二年一月二十五日―一二一二―に入寂されているから十ヶ月後に出されたものである。更に建暦三年六月には『摧邪輪荘厳記』一巻を著わし、十六の失を出し、批判されている。「たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候」―『歎異鈔』第二章―とある法然上人の『選択集』を罵詈打倒され、看過することは出来得ない。宗祖の『教行信証』撰述の理由は正しくこのような聖道門の学僧の批判に対することは勿論である。更に法然上人の『選択集』を一言にしてつくすと、専修念仏の義を鮮明にするところにある。それ故、『摧邪輪』の具名は「於一向専修宗選択集中摧邪輪」とあり、一向専修とある。また日蓮上人の四ヶの格言の「念仏無間」も正しく専修念仏にあった。それ故、当時の既成教団、聖道仏教に刺激を与えたのは専修念仏の専修にあったと思われる。更に建仁寺栄西禅師―一一四一~一二一五―は宗祖より三十二才ほど先輩で、法然上人より少し後輩であるが、わが国の臨済宗の開祖である。師は中国で禅宗の第六祖慧能禅師の『六祖法宝檀経』により、西方浄土を批判されているのである。西方十万億仏土の浄土を批判し、十万は十悪をいい、十悪を離れると我心即弥陀であり、西方に浄土あると思うものは愚人であるという。

 また比叡山の宝地房証真―生歿年次不詳―は法然上人とも交流があったといわれる。彼は法華三大部私記三十巻を註釈し、『法華玄義私釈』で西方十万億仏土の極楽浄土を厳しく批判しているのである。それ故、宗祖の『教行信証』をみると、明恵上人に対しては特に「信巻」に菩提心釈を出し、更に「信巻」別序では栄西禅師の『六祖法宝檀経』の批判として、「自性唯心に沈んで、浄土の真証を貶ず」といわれ、批判されている。更に宝地房証真に対しては「真仏土巻」には数量によって表現されず、西方十万億仏土の極楽という用語は略されている。数量による表現は次の「化身土巻」の内容とされているのである。師の影響であることが明らかにしられる。その他、天台教義が常に念頭にあり、題号の教行証も天台家等に用いる用語である。このような意味において宗祖の教義は対聖道門を主とするものといわれる。

 また法然上人門下の異流も看過することは出来ない。『末灯鈔』十九通にも、

 「……浄土宗の義、みなかはりておはしましあふて候。ひとびとも、聖人の御弟子にてさふらへども、やうやうに義をいひかへなどして、身もまどひ、ひとをもまどはかしあふてさふらふめり……京にもおほくまどひあふてさふらふめり。……」
                               真聖全、宗祖部 六八七頁

とあり、更に『御消息集』一通にも、

 「……京にも一念多念なんどまふすあらそふことのおほくさふらふやうにあること、さらさらさふらふべからず。……」
                                    同上 六九五頁

とあり、『一念多念文意』の末尾にも、

 「……これにて一念多念のあらそひあるまじきことは、おしはからせたまふべし。淨土真宗のならひには、念仏往生とまふすなり、一念往生・多念往生とまふすことなし。……」
                                    同上 六一九頁

とあり、その他、『西方指南鈔』『歎異鈔』等によると、法然上人入寂後、特に一念義、多念義の分派がそれぞれ争っていたことが知られる。このように、対外的には天台教義をはじめ、聖道門に対し、また対内的には法然上人門下の異流を背景としている。更に当時の既成教団の現世の祈禱卜占の呪術思想等をその背景としているのに対し、真実なる法然上人の念仏往生の奥義を明らかにせんがためといわれる。
(p.20~p.25)
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親鸞聖人の問題として、

①他宗である当時の既成教団の聖道仏教
②法然上人門下の異流
③当時の既成教団の現世の祈禱卜占の呪術思想等

の三点が挙げられています。中でも、親鸞聖人の御時には①、天台宗や真言宗、華厳宗や法相宗などの対聖道門が大きなウエイトを占めていたのです。



【参照】
引用中の『摧邪輪』の読み下し文
↓↓↓
高弁、年来、聖人において、深く仰信を懐けり。聞ゆるところの種種の邪見は、在家の男女等、上人の高名を仮りて、妄説するところなりとおもひき。未だ一言を出しても、上人を誹謗せず。たとひ他人の談説を聞くと雖も、未だ必ずしもこれを信用せず。しかるに、近日この選択集を披閲するに、悲嘆甚だ深し。名を聞きしの始めには、上人の妙釈を礼せむことを喜ぶ。巻を披くの今は、念仏の真宗を黷せりと恨む。今、詳かに知りぬ、在家出家千万の門流、起すところの種種の邪見は、皆この書より起れりといふことを。(日本思想大系巻十五『鎌倉旧仏教』岩波書店刊『摧邪輪』より)
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No title

お世話様です。

念仏の勧めについての記事が再開されたようなので、またぼちぼち質問させていただこうと思います。

以前と比べて、コメント欄も落ち着いているようですし、攻撃的な雰囲気もなさそうなので、周りを気にせず、ゆっくりわからない点をお聞きするつもりです。

よろしくお願いします。

・法然上人の教えと親鸞聖人の教えは違う
・信心が往生の因であり、念仏は往生の因ではない
・阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っていない
・念仏往生と平生業成は違う
・『歎異抄』の教えは親鸞聖人の教えではない
・『教行信証』以外の親鸞聖人の著作や御消息は法然上人の教え

ということを今も問題にされているようですが、

記事を読ませていただくと、それを親鸞聖人の教えと言わずに、蓮如上人の教えと言っていればあながち間違いでないと理解されていると、受け取りました。

そういうことでよろしいでしょうか。

つまり、Jさんが書かれていることを上記と対照できるようにわたしなりにまとめてみると、

・法然聖人の教えと蓮如上人の教えは違いがある
・蓮如上人の教えでは、信心が往生の因であると教えられたが、念仏は往生の因とは顕わに教えられなかった
・蓮如上人は、「阿弥陀仏は念仏を称えよ」ということを顕わに教えられなかった
・法然聖人の教えられた念仏往生と蓮如上人の教えとは違いがある
・『歎異抄』の教えは蓮如上人の教えとは違いがある
・教行信証以外の親鸞聖人の著作や御消息は、蓮如上人の教えとは違いがある

というようになります。

そういう理解をされているということでよろしいでしょうか。

No title

揚げ足取りですかね。
基本的なこととして親鸞聖人と蓮如上人の教えに違いはないです。
法然上人と親鸞聖人・蓮如上人の教えには若干違いがあります。教えられ方の違いとも言えますが、余り詳しいことはここでは言わないでおきましょう。それを言うとまた揚げ足取りに夢中になるでしょうし、学術的なことより実際の救いが重要なら、同じと言っても問題ないです。
一つ言っておくと蓮如上人は往生の因としての念仏を勧められています。信心の何たるかが分からないとこの意味も分からないでしょう。

Re: まだな様

私も揚げ足取りなのではと思わざるを得ません。そして、まだなさんが私の理解を知ってどうしたいのかも分かりません。

法然聖人と親鸞聖人、蓮如上人とでは退会者さんが仰るように教えに少し違いが見られますが、報土往生が目的であるならば、教えられ方の違いで本質的には御三方の教えは同じと言っていいと思います。時代背景や当時問題となっていたこと、当時の教化の人々などによって教えられ方は違いますから、そういう点では違います。

あと、記事にてどなたかを中心とした主張を列記しましたが、それはその通り理解して下さい。別に私の主張ではないので。

No title

質問に答えていない!と勝ち誇ったように言ってくるでしょうから、私が代わりに答えておきます。

・法然聖人の教えと親鸞聖人・蓮如上人の教えは違いがある(往生即成仏など)
・蓮如上人の教えでは、信心が往生の因であると教えられたが、念仏は往生の因とも顕わに教えられた
・蓮如上人は、「阿弥陀仏は念仏を称えよ」ということを顕わに教えられた
・法然聖人の教えられた念仏往生と蓮如上人の教えとは違いがない
・『歎異抄』の教えは蓮如上人の教えとは違いがない
・教行信証以外の親鸞聖人の著作や御消息は、蓮如上人の教えとは違いがない

Re: 退会者様

ありがとうございます。まだなさんはそのように勝ち誇るような方ではないと思いますが、人によっては「逃げた」と捉える方もあるでしょうから煩わしいことです。

なお、お分かり頂けているかと存じますが、私が蓮如上人の上では顕わに往生のための念仏の勧めは説かれていないと言ったのは、あくまで『御文章』の教化上です。

> 特に蓮如上人の『御文章』の上では信前は弥陀をたのめ、南無阿弥陀仏の六字のすがたを心得よという勧めばかりで、顕わに往生のための念仏の勧めは説かれていません。

と書いた通りです。『御文章』では法然聖人や親鸞聖人のように「口に南無阿弥陀仏ととなえば」「御念仏候ふべし」という直接的な表現で念仏を勧められてはいないという意味です。ですが「専修専念なれば」等とあるように、「真実の信心で念仏せよ」と念仏を勧められています。退会者さん含め、他の方々もそのようにお心得下さい。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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