これが「地獄必定の一大事」を警鐘乱打された親鸞聖人の御言葉なのか?

後生の一大事について(3) 親鸞会.NET仏教講座に、次のように書かれています。


「一切の群生海、無始よりこのかた、乃至、今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心なし」(教行信証信巻)

「無始よりこのかた、一切群生海、無明海に流転し、諸有輪に沈没し、衆苦輪に繋縛せられて、清浄の信楽なく、法爾として真実の信楽なし」(教行信証信巻)

「然るに、微塵界の有情、煩悩海に流転し、生死海に漂没して真実の廻向心なく、清浄の廻向心なし」(教行信証信巻)

繰り返し繰り返し、地獄必定の一大事を警鐘乱打されたものです。



これらの御文は、『信文類』の至心釈信楽釈欲生釈に出てくるお言葉ですが、どこにも「地獄必定の一大事」ということは教えられていません。参考までに、『聖典セミナー 教行信証 信の巻(梯實圓著 本願寺出版)』(以下同書)から、上記の部分の現代語訳を紹介します。


生けとし生けるすべてのものは、はかり知れない遠い昔から、今日ただいまに至るまで、醜い煩悩によって心は汚染されて清らかな心はなく、虚しい偽りと諂いに満ちていて、生死を超えるようなまことの心はまったくありません。(同書 152頁)

無始以来、生死に迷う一切の衆生は、無明の大海を果てしなく流転しており、さまざまな迷いの境界に沈み、次々と襲ってくる苦悩の世界に縛り付けられていて、その迷界から脱却するための清浄な信心がありません。また本来の性質からいっても、真実の信楽をおこす能力をもっていません。(同書 195-196頁)

しかるに、数限りない世界に生存している無数の生きものは、果てしない煩悩の海のなかを流転し、生死の苦海を漂い沈んでいくばかりで、無始よりこのかた、安らかな涅槃の境界に向かおうと願う真実の回向心はなく、清浄な回向心もありませんでした。(同書 216頁)



上にリンクしておきましたが、親鸞聖人のお言葉を見ると、上記のように本来まことで清らかな心、真実の信楽、真実の回向心がない我らであるから、如来がまことで清らかな心(至心)、この上ない功徳をおさめた清らかな信(信楽)、衆生を救済する大悲心(欲生)を完成され、衆生に施し与えて下さるのだということが書かれています。
至心は至徳の尊号(南無阿弥陀仏の名号)をその体とし、信楽は他力回向の至心をその体とし、欲生は如来招喚の仰せを疑いなく受けいれている信楽をその体としています。このことから、他力の信心といっても南無阿弥陀仏を疑いなく受容している相に他ならないことがわかります。

至心釈、信楽釈、欲生釈を通して読んでみても、どこにも「だから地獄必定の一大事があるぞ」などと警鐘乱打しておられず、「だから如来が名号を施し与えて助けて下さいますよ」という如来の救いしか説かれていません。読者の皆様もぜひ『教行証文類』を拝読してみてください。意味が分からなければ上でリンクしたサイトから現代語訳を見ることができます。


御文章2帖目2通の御言葉と、帖外御文の御言葉をもって「後生の一大事」=「地獄必定の一大事」とし、釈尊はじめ善知識方が誰も教えてこられなかった「一切衆生必堕無間」という珍説を唱え、助かりたかったら教えを聞いて無条件服従せよと言って、会員に献金と人集めをさせているのが親鸞会です。

親鸞聖人の御言葉を部分的に切り取って前後の文章を全く無視し、「繰り返し繰り返し、地獄必定の一大事を警鐘乱打された」お言葉にしてしまっていては、とても「正統な親鸞学徒」とは言えないでしょう。






【補足】
参考までに、「一切衆生必堕無間」は仏説ではないことが、一切衆生は必堕無間なのかに詳しく書かれておりますのでご覧下さい。
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ひたすら機を責めるような話をするばかりで、法の話が全く抜けていますよねぇ。
罪悪観と自力無功とを混同している事も見て取れます。わざとなのか、無知ゆえなのかはわかりませんが。

会長は会員さんを阿弥陀様のすくいにあわせたいのか、金集めをさせたいのか、意図が透けて見えますよね。

>Rudel様

仰る通りと思います。

飛雲「正しい三願転入」
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1305709/1323088/61370281
にもありますが、親鸞聖人の教えを聞き、18願による往生(救い)を求める人には、19願、20願の権仮方便の教説は廃捨されるべきものです。
方便がすべて「我々を真実に近づけ、真実を体得させるに絶対に必要なもの」ならば、聖道門も釈迦が説かれた立派な方便の教説です。会員は聖道門ができない自分であると、やってもいないのに知らされたのでしょうか? 半身不随的理解、観念の遊戯なのはどちらなのか、会員の皆さんにはよく考えて頂きたいですね。

19願を根拠に「獲信の因縁として」善を勧める事は親鸞聖人が教えられていない珍説ですから、救いに遇わせようという気があるはずがありません。
昔は曲がりなりにも18願一つ説いていたようなんですが、「大沼は三願転入を根基として話をして居るのだ」のパクり損ないで、「三願転入の教え」なるものを制作してしまったのでしょう。秘密の法門のような気が致します。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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