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西山浄土宗の開会のような理論で善を勧めるが、実態は倫理道徳の善すらまともにやっているとは言い難い高森顕徹会長と愉快な仲間達

法然聖人が説かれた浄土の教えは、それぞれお弟子方に引き継がれ、その後様々に分派してゆきます。現在では大きく分ければ浄土宗、浄土真宗、時宗ですが、浄土宗と呼ばれる宗派でも、

日本において浄土宗の家々をたてて西山・鎮西・九品・長楽寺とて、そのほかあまたにわかれたり。2帖目15通

と蓮如上人の時代には数多に分かれ、その浄土宗から西山派証空上人の孫弟子に当たる一遍上人が時宗を立てて分派しています。浄土真宗も法然聖人の弟子である親鸞聖人を開祖として分派していますが、更に門徒集団によっても性格が異なり、今では真宗十派と呼ばれるように様々に枝分かれしています。

浄土を願い、念仏を称えて往生するという大筋のところではどの宗派も同じですが、細かく見ていくと教義は浄土宗、浄土真宗、時宗では所々異なり、更に浄土宗、浄土真宗、時宗の各派内でも、共通する所もあれば違う所もあるといった状況です。

今は浄土真宗を一つとして扱っていきますが、この浄土真宗と非常に似ている宗派が西山浄土宗です。例えば鎮西浄土宗では全分他力を否定しますが、西山派では真宗と同様に全分他力を説きます。また、『御文章』に度々出てくる機法一体の語は証空上人が出処とされ()、更に称名報恩義もあります。

ただただ念佛を称えるのではなく、往生できることを信じ、それに感謝してお念仏を称えるのです。
このように安心が得られたからには、歓喜と報恩の心が自然に沸き起こって日々の生活に念仏が喜ばれ、口に称えるばかりではなく、動作の中に、言葉の中に、心の中にも念佛が実践されて、生活全体が念佛の現れとなります。
『瑞林山 長善寺』浄土宗西山禅林寺派の教えより)


本当にパッと見、素人目ではどこが違うのか分からない位、両者はよく似ています。

そのような西山派と真宗ですが、教義的違いの一つに定散諸善と念仏の関係が挙げられます。親鸞聖人は定散諸善と念仏を廃立の関係で見られていますが、証空上人は開会の関係でこれを見られています。→開会

西山義によれば、三心具足の上には三業起行の諸善は正行であり、念仏に開会されて、往生の因となると教えられています。自力の執心さえなくなれば諸行即念仏と開会され、定散諸善はそのまま他力念仏の一法に帰するというのです。

観門(定散二善の十六観門)領解以前には諸行は雑行と捨てられたが、弘願に帰すれは諸行は悉く念仏に帰し往生の因となる、弘願に帰すれば諸行は悉く善の体として念仏に開会されて往生の因となり、往生を得る、というのが証空上人における諸行と念仏の領解のようです。


さてこれ以上詳しいことは他に譲りますが、親鸞会はこうした西山浄土宗の回し者かと思わせるのが、信後の諸善の位置づけについてです。親鸞会では、

「雑行」も「諸善」も、その行体は変わりませんが、
「往生の役に立てようとする自力の心でやる諸善」は「雑行」と嫌われ「捨てよ」
と言われます。

その自力の心が、他力の心に切り替えられて、広大な仏恩に感泣し動かされる諸善は、報恩行となるのでしょう。

同じ諸善が、自力の信心でやるか、他力の信心かで、雑行ともなり報恩行ともなるのではありませんか。
『親鸞会.NET』「雑行を捨てよ」の真意(8)より)


「自力の心」さえ廃れば、「諸善」は「雑行」とも言われず、捨て物でもなく、「御恩報謝の行」となり、身を粉に骨砕きてもの、恩徳讃の活動になるのだ。
(『顕真』2011年6月号 『飛雲』『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り24より)


等とあるように、信前は心がけが悪いから諸善は雑行と嫌われ捨てよと言われるが、信後は御恩報謝の行となると教えています。自力が廃る以前は諸善は雑行と捨てられたが、自力の心さえ無くなれば諸善は御恩報謝と開会する、とでも言わんばかりの主張です。以前に林遊さんが

お前らは西山派の「開廃会」の論理かよ

ツッコミを下さいましたが、親鸞聖人においては開会の理論はありません。信前の諸善は勿論、信後の諸善は御恩報謝の行だからやりなさいと諸善を勧められた根拠はありません。親鸞聖人においては

念仏1つ、獲信に善は不要

この通りであり、造悪に対する誡めはありますが、善をせよ、廃悪修善に励めとの勧めはありません。あるのは真実信心で念仏せよとの勧めのみです。


なお、浄土真宗では自力の心の無い、世俗の善は勧められています。蓮如上人は、

外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先とし3帖目11通

まづほかには王法を本とし、諸神・諸仏・菩薩をかろしめず、また諸宗・諸法を謗ぜず、国ところにあらば守護・地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をいたし、そのほか仁義をもつて本とし3帖目13通

と、生活規範として儒教に説く五種の倫理徳目を守り、その国その国の支配者・統治者が定めた法律を第一とせよという言い方で門徒衆を教導しています。往生・獲信とは無関係に倫理道徳の善を勧め、国の法を守りなさい、諸神・諸仏・菩薩を軽しめることがないように、諸宗・諸法を誹謗しないように、守護・地頭に向かってはぞんざいな振舞をせず、年貢をきちんと納めなさい、というのです。

その一方で、仏教で説かれる諸善は勧められていません。「諸善」「諸行」「万行」「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「廃悪修善」などという名目で善を勧められていないです。仏教で説かれる諸善は、聖道門では成仏を、浄土門では往生を目指して修める修行徳目であり、浄土往生を目指してやる善は「雑行」であるからです。そう、仏教で説かれる諸善は浄土真宗では「雑行」なのです。ですから、

親鸞会がもし本気で善を勧めたいのであれば、蓮如上人と同様に、儒教の善(仁・義・礼・智・信)を勧めるでしょう。


親鸞聖人、蓮如上人の教えられた通りに話をするつもりが少しでもあるならば、

・三願転入の教え
・宿善論
・善をしなければ信仰が進まない
・微塵の善もできないものと知らされるまで善に励まなければならない


などの「自力の心」を捨てて、法律を守り、親兄弟子供を喜ばせ、職場や学校の関係者から好かれるような言動をしなさい、ボランティアに積極的に参加しましょう、と言えばいいのです。


親鸞会は仮にも親鸞聖人の教えと言うならば飛雲さんが言われている通りにすべきです。しかし、

これらは言葉では勧めていても、実際には”後生の一大事のためには、世間事を犠牲にしてでも”と倫理道徳の善を反故にする”悪の勧め”となっているのです。


盗作・浄財の私的流用・不倫・万引き・惨敗法論の捏造改竄等を平気で行っている


これが偽らざる親鸞会の本当の姿です。親鸞会で言う「善」とは、ほぼ「親鸞会に都合がよいこと」という意味なので、実態は多くが「組織拡大のための悪業悪行」です。西山浄土宗の開会のような理論で善を勧めるが、実態は倫理道徳の善すらまともにやっているとは言い難い、というのが高森顕徹会長と愉快な仲間達です。こんな体たらくで本願寺や退会者に楯突いているのですから、お笑いを通り越して失笑ものです。

多くのブログを荒らし続け、詐欺サイトを運営している(いた)異星の教祖も同様です。信前は宿善を厚くするために善をせよ、信後は御恩報謝のために善をせよと善の勧めまつりですが、やっていることがいることなのでちっとも説得力がありません。彼には、まず法律を遵守し、倫理道徳に反したことを止めるところから始めることを勧めます。しかし、日本語が分からないし、改める気も毛頭無いので、いくら言っても暖簾に腕押しでしょうが。

ちなみにルパン火星人金星人からのメールはありません。飛雲さんなど、他の方々へも同じでしょう。それでいて脱会ブログ等に陰口を叩いているありさまです。まるで学校裏サイトで気に入らない先生や生徒の悪口を書き連ねている中学生のようで、いい大人があさましいにも程があります。言葉の上では善を勧めていても、実際やっていることは悪ばかりです。本当に、あさましあさまし。



【参照】
『WikiArc』開廃会
『同』定散二善と念仏
『同』法然聖人の他力思想
証空の念仏観 ―念仏開会について―
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いつもありがとうございます

いつも記事の方拝見させて頂いております。コメントするのは初めてかもしれないですね。親鸞会脱会ブログにてルパンさんにツッコミを入れている親鸞会元会員の元学徒です。

ハッキリ言ってルパンさんの言っていることは浄土真宗の教えではないですね(笑)親鸞会の教義からも最近は外れていますし。根拠の提示を求めてもめちゃくちゃで、真面目に勉強されていないことも明らかです。

私も惑わされた一人ですが、親鸞会の方々にはぜひとも浄土真宗の正しい教えを聞いてほしいですね。

浄土門の各派

ども、林遊@なんまんだぶです。

昔から真宗と西山は、朱紫の違いといふようによく似ているのですね。
法然聖人亡き後の聖道門(既成仏教)の強烈な浄土教批判に対し、法然聖人の浄土教を守る為に聖道門の理論との折衷派が鎮西派と西山派でした。
「鎮西」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E9%8E%AE%E8%A5%BF
「西山」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%A5%BF%E5%B1%B1

鎮西では念仏も諸行も往生すると二類各生説を建て、西山では念仏と諸行を開廃会の論理で解釈します。ですから西山の念仏一行を信ずるといふところが同じだが義(開廃会)によって違うので朱紫の違いと言い慣わしてきました。
西山系の書とされる『安心決定鈔』の帰還命根説からは当然に一遍上人が生まれるのだと思ふ。
「帰命」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%B8%B0%E5%91%BD

これに対して、法然聖人の直意を承けられて念仏と諸善は、全く違う本願の法門であるとされたのが、幸西大徳であり御開山でした。
法然聖人の念仏一行から御開山の信心正因への流れが判らなかったのですが、梯實圓和上の幸西大徳の『玄義分抄講述』を読んで行から信へのミッシングリンクを発見したと思ったものです。
「幸西大徳の一念義」
http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E5%B9%B8%E8%A5%BF%E5%A4%A7%E5%BE%B3%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%BF%B5%E7%BE%A9

もちろん、御開山も幸西大徳もなんまんだぶの上で信心一発を説かれておられるのですが、「垂名示形」のなんまんだぶを呪文としか捉えられなかったのが高森顕徹氏であり親鸞会の会員でした。どぅでもいいけど。
「垂名示形」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%9E%82%E5%90%8D%E7%A4%BA%E5%BD%A2

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

Re: 元学徒様

ルパン君へのコメントは度々拝聴しています。その文面から元学徒さんの人となりや、誠実さが伺えます。

彼は体験至上主義であり、高森教をもじっただけの火星教の教祖です。人の話は聞かず、一方的に自分の考えのみを言いますので、まともに相手をしていたら疲労あるのみです。他すずめさんやAbcさん、高森先生(笑)など、本当にお相手大変だと思っております。

高森教は勿論、派生の火星教などにも煩わされることなく、会員の皆さんには本願を信じ念仏して往生して頂きたいものです。

Re: 林遊@なんまんだぶ様

> 聖道門の理論との折衷派が鎮西派と西山派でした。

このように言われると納得です。

・様々な勝行をさしおいて、称名念仏一行というのか

ということを中心に、聖道門からは強烈な法然批判が上がっていましたからね。致し方ない面もあると思います。

後ほど、リンク先の『玄義分抄講述』見させて頂きます。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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