『教学聖典(1)』の問44ー「呼吸の頃すなわちこれ来生なり」の御文

親鸞会発行の『教学聖典(1)』の問44を取り上げます。

問(44)
吸う息吐く息と触れ合っているのが「後生の一大事」だ、と教えられている『教行信証』のお言葉を記せ。

答(44)
○呼吸の頃すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いぬれば万劫にも復らず。この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。願わくは深く無常を念じて、徒に後悔を貽すことなかれ。



実はこのお言葉は、親鸞会は「まわり道をしなければ近道には入れない」と説いているのですで紹介した、

「仏号はなはだ持ち易し、浄土はなはだ往き易し。八万四千の法門、この捷径にしくなし」

に続いて出てくる御文です。

『行文類』のお言葉を前後を含めて拝読してみましょう。

『楽邦文類』にいはく、「総官の張掄いはく、〈仏号はなはだ持ち易し、浄土はなはだ往き易し。八万四千の法門、この捷径にしくなし。ただよく清晨俛仰の暇を輟めて、つひに永劫不壊の資をなすべし。これすなはち力を用ゐることは、はなはだ微にして、功を収むることいまし尽くることあることなけん。衆生またなんの苦しみあればか、みづから棄ててせざらんや。ああ、夢幻にして真にあらず。寿夭にして保ちがたし。呼吸のあひだにすなはちこれ来生なり。ひとたび人身を失ひつれば万劫にも復せず。このとき悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまはん。願はくは深く無常を念じて、いたづらに後悔を貽すことなかれと。浄楽の居士張掄縁を勧む〉」と。

現代語訳(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』90頁より)

『楽邦文類』にいっている。
 「総官の職にあった張掄がいう。<仏の名号ははなはだたもちやすく、浄土ははなはだ往きやすい。八万四千の法門の中で、これ以上の近道はない。明け方のわずかな時間をさいても、ぜひ、永久に損なわれることのない功徳をたくわえるべきである。仏の名号をたもつのは、力を用いることがはなはだ少なくて、功徳を得ることがはかり知れない。人々は何の苦しみがあって、自らこのような尊い法を捨ててしまい、修めようとしないのであろうか。ああ、人生は夢幻のようであり、真実のものは何一つない。寿命ははかなくて、長くたもつことができない。わずか一呼吸ほどの間にすぐ来世となる。ひとたび人としての命を失えば、もはや一万劫を経てももとにはかえらない。今この時目覚めなかったなら、仏にも、わたしたち衆生をどうすることもできない。どうか、深く無常を思って、いたずらに悔いを残すようなことはしないでほしい。浄楽居士張掄、縁のある人々に勧める>」



八万四千の法門の中で最も成仏の近道である念仏の法を捨て、修めようとしないことを嘆かれていることが分かります。そして、「呼吸のあひだに~」と続くのです。
親鸞聖人も同じ御心であったから、『行文類』に引文されたのだと拝察されます。

だから、『教行証文類』総序でも、本願力回向の行信を勧められているのでしょう。

しかれば凡小修し易き真教、愚鈍往き易き捷径なり。大聖一代の教、この徳海にしくなし。穢を捨て浄を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。」

吸う息吐く息と触れ合っているのが後生なのですから、生死を離れる最も近道をいくことが聖人の御心にかなうのだと思います。


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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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