念仏を勧めるのは

25年間も論点スライドをしている、という事実は極めて重いの中で講師と何人かの学徒の対談を載せましたが、その中で、


学徒:ところがおかしなことに、念仏を称えることは勧めるそうですよ。

学徒:19願は不要だが、20願は必要ということ?

学徒:それじゃあ、二願転入だ。



という彼らの発言について触れたいと思います。


念仏を勧めるというと、20願という発想が親鸞会会員の頭にはあるようです。私も会員の時はそのような理解でした。



念仏(南無阿弥陀仏)には「我をたのめ(南無)必ず救う(阿弥陀仏)」という阿弥陀仏の願いがこめられています。それを口で称えることは、絶えず迷いの中にいる私を呼び覚まして下さる、本願招喚の勅命を聞いていることなのです。

「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀 つれてゆくぞの 親のよびごえ」(原口針水和上)とは、それを詠まれたものでしょう。念仏を称えることは、そのまま聴聞なのです。

南無阿弥陀仏には阿弥陀仏の五劫思惟、兆載永劫の御修行が皆おさまっています。そして阿弥陀仏は成就以来十劫の間、お立ちづくめで御苦労されています。
それは何の為の御苦労かと言えば、ひとえに私一人を助けるためです。

仏法修行の器にあらず、絶えず迷いの世界を流転輪廻している私を見るに見かねて、本願を信じ念仏する者を仏にするという、類い稀なる誓願を発して下さいました。その誓願は、既に南無阿弥陀仏となって届いていますから、私としては計らいなく聞き受け念仏申すのみです。後は、命のある限りは弥陀大悲のご恩に念仏を申して報謝の生活をさせて頂き、この世の命が尽きたなら速やかに報土往生し、仏の悟りを開かせて頂くのです。

念仏とは弥陀大悲招喚の勅命であり、本願を信じ念仏申すその一声一声が称名正定業であり、易く弥陀に助けられた嬉しさに称える御恩報謝だということです。


だから念仏を勧められるわけですが、念仏の勝れていることをきいていながら本願を計らいなく聞き受けていない人は、念仏を自分の善根としてとらえ、念仏の功徳で何とか後生助かろう、浄土に往生しよう、報土は無理でも化土くらいは往けるだろうという思いで称えます。仏智を疑惑して称える念仏です。これがいわゆる第二十願の念仏と言われるものです。

親鸞聖人は仏智疑惑和讃を二十三首も詠まれて、ひたすら十八願他力の念仏を勧められています。二十願真門の自力念仏さえ厳しく誡めておられるのですから、まして十九願要門の自力諸善を勧めておられないのは当然です。

昔は高森会長も二十願を厳しく戒め、十九願や二十願の教えではなく、十八願一つ教えねばならないことを自著の『顕正』に書いていました。(参照:時代と共に変わる教え(2)
しかし、本願寺に宿善論の誤りを指摘されて善(献金と人集め)を勧める根拠が欲しかったのか、「大沼は三願転入を根基として話をして居るのだ」という大沼教学をパクり損なって、「三願転入の教え」などという珍しき法を制作、宣伝してしまいました。

三願転入の御文のどこを読んでも、十九願の勧めはありません。親鸞聖人は善知識方のご勧化に従って、万行諸善の仮門を出て離れたのです。ですから、この御文によって、善知識方は「万行諸善の仮門を出て離れなさい」と教えられていることがわかります。
そして親鸞聖人は、正定業である念仏一行を一心に称えよとご教示を受けました。ところが、自力が廃らない間は、十八願のつもりで二十願に止まっておられたのです。
しかし今、その方便の真門も出て離れ、選択の願海に転入し、報土往生を遂げる身になったと告白されています。

親鸞聖人が『教行証文類』を書かれたのは建仁元年から随分後のことですし、直前に「愚禿釈の鸞」とご自身のお名前を書かれていることからも、三願転入の御文は親鸞聖人が獲信の現在から過去を振り返って仰っているお言葉であって、これから阿弥陀仏に救われようと願う人に「十九願の善をやって、二十願の念仏を称えて、十八願の世界に入りなさい」というお勧めではありません。

三願転入は親鸞聖人が初めて仰ったもので、三願転入という概念は善導大師、法然聖人の時にはありませんでした。また、覚如上人や蓮如上人が三願転入に触れていないことから、親鸞会が言うように三願転入を「教え」としてしまって、

十九願→二十願→十八願

と進まなければ助からないということはありません。

三通りの念仏についてテレビ座談会で解説されていたようですが、念仏と聞いたら二十願だ、称名正因だと決めつけ、十九願を通っていないと見下すようでは、罪福心の虜になっていて永遠に念仏に込められた阿弥陀仏の大悲の願心を撥ね付け続けることでしょう。
会員の皆さんには早く「三願転入の教え」などという珍しき教えから離れ、只今救う弥陀仏の本願念仏を称えて頂きたいと思います。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

会長の説法の中で、南無阿弥陀仏のおいわれ、法蔵菩薩の五兆の願行が説かれることは少なかったですよね。
何年も会長から聴聞していても「覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪」の意味を知らない会員さんは多かったくらいですから。
だから平気で念仏を馬鹿にするんだと思います。

いま思うともったいない、申し訳ないばかりです。
南無阿弥陀仏

>Rudel様

親鸞会では「阿弥陀仏の御恩、ご苦労」ではなく、「高森先生のご恩、ご苦労」が強調されます。財施や破邪顕正を促す時、また弁論大会などは決まってこれです。会員の心情は「一向専念高森会長」というのが実状でしょう。

専ら18願の行信を勧められた方が親鸞聖人です。そのお勧めに従い、本願を信じ念仏申しましょう。

南無阿弥陀仏

No title

「善因善果 悪因悪果 自因自果」の因果の道理は、間違っていることも正しいことも証明できないと言われますが、浄土真宗の教えでは、「善因善果 悪因悪果 自因自果」に狂いはないのでしょうか。
浄土真宗とS会における因果の道理の教えについて、違いがあれば教えていただけないでしょうか。

No title

とてもわかりやすいです。ありがとうございます。

淳心房様が布教師だったらよいのに・・!と前から思っておりますが、こういう文章を読むとあらためてそう思います。
(勝手な願望です。)

ブログ、いつも楽しみにしています。
時々内容もコピーしたり、書き写したりして使わせて頂いております。

因果の道理については

>名無し様

因果の道理につきまして、私は不勉強のために申し述べることができませんが、以下のサイトに詳説されていますのでご覧下さい。素人目に見ても、仏教で説かれる因果の道理と、S会が説く因果の道理では違いがあることが分かります。


親鸞会教義の誤り

『親鸞会は諸行往生6』
http://shinrankaiuso.blog76.fc2.com/?mode=m&no=25

『親鸞会は諸行往生7』
http://shinrankaiuso.blog76.fc2.com/?mode=m&no=30

それと、『親鸞会は諸行往生6』のリンク先です。

>mary様

コメントありがとうございます。私もブログ拝見させて頂いています。よく「わかる~!」って共感する所、なるほどと思う所がありますが、コメントは大半がし損ねています(汗)

私が布教師などとんでもございません(;^_^A 「助けるぞ」の仰せをそのまま「はい」と頂くばかり。結局これしか言うことはありません。文章は梯和上の著書や諸先輩方のご指導があってのことです。
ただ、阿弥陀仏に帰命せよと勧める使としての生き方は、していきたいと思っております。

使える所があればどうぞお使い下さい♪ 共に仏徳を讃嘆致しましょう。

南無阿弥陀仏
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード