親鸞聖人は「一切衆生必堕無間」などと教えられていません

『尊号真像銘文』の、「易往而無人」についての親鸞聖人のお言葉は、『教学聖典8号』(43)に載っています。しかし、原文でその後を確認した会員の方はいらっしゃいますか? 続きは以下の通りです。

然れば源信和尚は「報土に生るる人は多からず、化土に生るる人は少なからず」とのたまへり。


これは『尊号真像銘文』だけではなく、『高僧和讃』にも同じことが教えられています。

報の浄土の往生は
おほからずとぞあらはせる
化土にむまるる衆生をば
すくなからずとおしへたり



一切の衆生が必ず無間地獄に堕ちるならば、化土に生まれる衆生が少なからずということはありません。
元々経典にない言葉を使い、不安を煽って「助かりたかったら教えを聞け」というのが親鸞会の論法です。


彼らは、「一切衆生必堕無間」は経典に根拠がないことを指摘されると、

1、『観経』に「応堕地獄」と説かれている。これは必堕無間と同じ意味だ。

2、【経典に釈尊は、「一切衆生、必堕無間」とこれを説かれています。(こんなことが知りたい1)】とは、【「一切衆生、必堕無間」という意味のことを釈尊は経典に説かれている】ということだ。


と逃げます。これが果たして答えになっているのでしょうか?


まず1については、確かに「応堕地獄」と『観経』に説かれています。しかしその前後を見てみると、

仏、阿難及び韋提希に告げたまはく、「下品中生」とは、或は衆生有りて、五戒・八戒及び具足戒を毀犯せん。此の如くの愚人、僧祗の物を偸み、現前の僧物を盗み、不浄説法して慚愧有ること無く、諸の悪業を以て自ら荘厳せん。此の如きの罪人、悪業を以ての故に応に地獄に堕すべし。命終らんと欲する時、地獄の衆火一時に倶に至らん。

と教えられています。
釈尊は、善悪因果の道理に基づいて「こういう行いをする人はこういう報いを受けますよ」と説かれています。それを運命論的に男も女も、赤子も老人も、それだけでなく一切衆生ですからあらゆる衆生(当然、人間界以外の衆生も含まれる)が無間地獄に堕ちるというのは、因果の道理に反する謬見です。


次に2についてですが、これは私がY支部長に質問した所、このような解答があったので取り上げました。とても納得がいきませんでした。というのは、
【経典に釈尊は、「一切衆生、必堕無間」とこれを説かれています。】
という文章を読んで、
【「一切衆生、必堕無間」という言葉はないが、それと同じ意味のことが説かれている】
と解釈する人があるのかどうか、甚だ疑問だったからです。もし高森会長が本当にそのような意味で書いているとしたら、なぜこんな誤解を与えやすい文章をそのままにしておくのか、私には分かりません。


あくまで「高森会長が絶対に正しい」が前提の下に経典やお聖教を解釈しているから、苦しい言い訳をしなければならないのです。


果ては『教行証文類』総序や信文類に書かれているお言葉を、無理やり「一切衆生、必堕無間」の根拠にして、いたずらに聞く者の不安を煽って会に縛り付けているのが親鸞会です。
会内で活動している間は段々と後生への驚き、不安も慣れていきますが、活動についていけずに辞めようとする時にこの呪いの言葉に畏れて、辞めるに辞められなくなる人もあります。

苦笑の独り言のコメント欄に、

「会に留まるも地獄、しかし辞めても地獄」という精神状態

と書かれていましたが、会員の状態をよく表していると思います。


浄土真宗とは、浄土に往生する真実の教えということであり、必ず救う阿弥陀仏の本願、南無阿弥陀仏が前提です。仏教は地獄必定の一大事を知ることに始まるとは、親鸞聖人は教えられておりません。そしてその一大事の解決のために、献金や勧誘をせよとは教えられておりません。


先程の『観経』のお言葉を見ると、「これは親鸞会の会長始め幹部、講師部、会員のことではないか?」と思えてなりません。
浄財で御殿をいくつも作ったり、組織を私物化したり、部下との不倫疑惑が囁かれたり、行動が言行不一致だったり、平気で嘘をついたり・・・そして珍しい教えを「唯一絶対にして真実の宗教だ」と信じ込んで弘めたりして慚愧有ること無く、諸の悪業を以て自ら荘厳しているのは、どこの誰でしょうか?

此の如きの罪人、悪業を以ての故に応に地獄に堕すべし。

ですから、釈尊の教説通りそういう罪人は地獄に堕ちることは言うまでもありません。


しかし、そういう人でも、善知識に教えを受けて阿弥陀仏の本願に救い摂られたならば、地獄の猛火も清涼の風と変わり、往生できると教えられています。
早く珍しき教えを説く悪知識の元から離れ、阿弥陀仏の只今の救いに救われて頂きたいと思います。





【補足】
親鸞会教義にはここで挙げた「一切衆生必堕無間」の他、「獲信の因縁としての修善の勧め」「善知識に無条件服従せよという教義」など、様々な問題点がありますが、私もmixi 信仰と対話 トピック*「三願転入」議論継続トピック*(携帯の場合はmixi 信仰と対話 トピック*「三願転入」議論継続トピック*から)のあつしさんの主張に全面的に賛成です。

1、「一切衆生必堕無間」という教義
2、善知識には無条件服従しなければならないという教義
3、三願転入、宿善という名目で、異常な献金、違法なまでの勧誘活動を正統化させる教義
4、某会についてもし批判するのであれば、既成伝統諸団体は、自らの腐敗やぬるま湯についても厳しい自己反省や検討をすべきである。
5、sutybiさんのように詳しい内部事情を知っている人は別にして、よく知らないで一知半解で、自分自身の信心や知識を棚上げにした人間が、他人に対して失礼な言動をすることは厳に慎む。


私自身の見解を申すならば、1の「一切衆生必堕無間」は、もし信心決定しない人は必ず地獄に堕ちるという意味で言われているならば、間違っていると思います。
地獄も含む六道輪廻のいずれかを経巡ってきたから今の自分がある、という自覚は念仏者に芽生えてくるということはあるかもしれませんが、他に対して信心決定なくば堕地獄という風には言わないし、言うべきでないと思います。

次に、2の善知識に無条件服従というのも、おかしなことと思います。
自発的にこの人の言葉ならば信じてついていきたいということは昔もあったかもしれませんが、同じ人間である善知識に服従しなければ救われないなどということはあろうはずがありません。

3については、そんなにお金をかけなくても救われるのが浄土真宗だということを、教義からも、また実際に何か良い法話や御座の縁を与えることで、示していくしかないと思います。
布施に功徳があるということ自体は、仏教の教義であり、それを悪用するかどうかはまた別の話と思います。

4については、4がもし十分になされて、きちんと既成の伝統諸団体が活発な活動がなされていれば、わざわざそのように高額なお金がかかるところに多くの人が赴くこともなかったのではないかと思っているので、3の問題を論じるためにも不可欠なポイントと思います。

5については、そのような人は19願の行者以前の問題だということは、はっきりさせないと、あたら良いことを自分はしているつもりで、悪業ばかり積むことにもつながりかねないのではないかと危惧しております。
親鸞聖人の御消息や蓮如上人の御一代聞書をもっと丹念に読んだ方が良いのではないかと思う方があまりに多いように思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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