古くはこのようにして、一切衆生必堕無間を正当化していました

『顕正一口メモ(B)』(昭和五十四年六月三十日 初版発行)より

非難
◎ある人
大無量寿経に一切衆生、必堕無間という言葉はないではないか。

破邪
◎親鸞会の会員
言葉よりも、意味が大事なことを知らんのかね。




親鸞会では、古くはこのようにして、「一切衆生必堕無間」を正当化していました。今や「一切衆生必堕無間」は、『大無量寿経』だけではなく一切経のどこにも根拠のない、親鸞会独自の珍説であることが各所で明らかにされています。
普段は根拠が大事だなどと言いながら、都合が悪くなると言い訳をし、「高森会長に間違いない信心」を押し通すしかなくなるのが親鸞会会員です。これだからダブルスタンダードだと揶揄されるのです。

『教学聖典』では、「念仏無間という狂人どもを破る根拠を三つ以上あげよ」との問に対して、「勿論、一切経に出ていない言葉である。」が第一の答になっています。
ならば「一切衆生必堕無間という狂人どもを破る根拠をあげよ」と聞かれたら、「勿論、一切経に出ていない言葉である。」が当然第一の答えになります。親鸞会教義が文底秘沈の珍しい教えだということは、本来これだけでも十分でありましょう。


ただ、それだけでは納得しないほどにMCされていますから、あちこちで様々な根拠や文証が提示され、会員の皆さんの覚醒を促しているのです。
真面目な会員ほど、「一切衆生必堕無間」の呪いに縛られ、助かるには善知識の教え(高森会長の珍説)に無条件服従せよとたたき込まれ、善もどきの善を「しなければ信仰は進みません」と騙されて、会のために金と人を集めるロボットとなってしまっています。しかも本人は「会長先生こそ唯一無二の善知識」「自分はそんな会長先生から人生の目的を聞かせて頂いている幸せ者だ」「会長先生や親鸞会を非難する者は群賊・悪獣・悪知識だ」「非難は観念の遊戯で止まっている、他力金剛の信心に昏い者達の妄言だ」「私はそんな求道聞法を妨げる者達に騙されることなく、ひたすら二河の道を進まねばならない」などとかんかんに信じ込んでいますので、一筋縄にはいきません。

かつて自分も「親鸞会教義以上の教えはない」と思い込んでいたので、熱心な会員の気持ちも分からなくはないのですが、最近はあまりにおかしいと思うことが多すぎです。
教義や会の方針に「あれ?」と思うことがあったら、そこで放置せずに自分で納得いくまで調べることが大事です。今臨終を迎えるとなった時に、善をして信仰を進めよという教えで果たして自分は助かるのか、よく考えて頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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