すみやかに円修至徳の真門に入りて難思往生を願ふべし

『教行証文類』化身土文類では、聖道門の人を導くために要門が、要門の人を導くために真門が説かれ、それらはすべて弘願念仏の救いに遇わせるために説かれた権仮方便の教法であることが教えられています。


化身土文類では、まず【要門釈】にて十九願について述べられ、十九願の行信によって浄土の要門・方便権仮が顕開されていること、私達には定善・散善ができがたいこと、阿弥陀仏は余の雑業の行者を照らし摂めないことを教えられています。その後【真門釈】にて、

それ濁世の道俗、すみやかに円修至徳の真門に入りて、難思往生を願ふべし。

【意訳】
この五濁の世の出家のものも在家のものも、速やかにこの上ない功徳をまどかにそなえた真門に入って、難思往生を願うべきである。

と教えられ、要門に留まっている人を導いておられます。

真門釈の釈文引証の中に、昨日紹介した善導大師のお言葉が挙げられています。

光明寺の和尚(善導)のいはく(定善義 四三七 )、「自余の衆行、これ善と名づくといへども、もし念仏に比ぶれば、まつたく比校にあらざるなり。このゆゑに、諸経のなかに処々に広く念仏の功能を讃めたり。『無量寿経』の四十八願のなかのごとき、〈ただ弥陀の名号を専念して生ずることを得〉と明かす。また『弥陀経』のなかのごとし、〈一日・七日弥陀の名号を専念して生ずることを得〉と。また十方恒沙の諸仏の証誠虚しからざるなり。またこの『経』(観経)の定散の文のなかに、〈ただ名号を専念して生ずることを得〉と標す。この例一つにあらざるなり。広く念仏三昧を顕しをはんぬ」と。

また、【検証】これが親鸞会会員の三願転入の理解です(1)のお言葉もその釈文引証の中に挙げられています。

またいはく(同 五〇〇)、「〈仏告阿難汝好持是語〉より以下は、まさしく弥陀の名号を付属して、遐代に流通することを明かす。上よりこのかた定散両門の益を説くといへども、仏の本願の意を望まんには、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称するにあり」と。

【意訳】
 また次のようにいわれている(散善義)。
 「『観無量寿経』の〈仏、阿難に告げたまはく、なんぢ、よくこの語を持て〉、すなわち〈そなたはこの言葉をしっかりと心にとどめるがよい〉と述べられているところからは、阿弥陀仏の名号を阿難に託して、はるか後の世まで伝え広めることを明らかにされたものである。『観無量寿経』にはここまで定善・散善の利益が説かれているけれども、阿弥陀仏の本願のおこころからすると、釈尊の思召しは、人々に阿弥陀仏の名号をただひとすじに称えさせることにある」



善導大師の書かれた『観経疏』の文意では十八願他力念仏を説かれたものですが、この文を自力念仏と取り誤った機の立場から真門の証文として引かれたものです。

また、

元照律師の『弥陀経の義疏』にいはく、「如来、持名の功勝れたることを明かさんと欲す。まづ余善を貶して少善根とす。いはゆる布施・持戒・立寺・造像・礼誦・座禅・懺念・苦行、一切福業、もし正信なければ、回向願求するにみな少善とす。往生の因にあらず。もしこの経によりて名号を執持せば、決定して往生せん。すなはち知んぬ、称名はこれ多善根・多福徳なりと。むかしこの解をなしし、人なほ遅疑しき。近く襄陽の石碑の経の本文を得て、理冥符せり。はじめて深信を懐く。かれにいはく、〈善男子・善女人、阿弥陀仏を説くを聞きて、一心にして乱れず、名号を専称せよ。称名をもつてのゆゑに、諸罪消滅す。すなはちこれ多功徳・多善根・多福徳因縁なり〉」と。
{以上}


【意訳】
 元照律師の『阿弥陀経義疏』にいっている。
 「釈尊は、念仏の功徳がすぐれていることを明らかにしようとされ、まず念仏以外の善を劣ったものとしてわずかな功徳しかないといわれる。布施をし、戒律をたもち、あるいは寺を建て、仏像をつくり、仏を礼拝し、経を読み、または座禅をし、懺悔し、苦行するなどのすべての善は、もし正しい信がなかったなら、そのような善によって浄土に往生しようと願っても、みなわずかな功徳しかなく、往生の因ではないのである。もし、『阿弥陀経』の教えにしたがって念仏するなら、間違いなく往生するであろう。だから念仏は多くの功徳があると知ることができる。
 かつて、わたしはこのような解釈をしたが、世間の人はなお疑って信じなかった。
しかし最近、襄陽の石碑に刻まれた『阿弥陀経』の文を見たところ、わたしの解釈と見事に一致しており、そこではじめて深く信ずるようになったのである。その文には次のように説かれている。〈善良なものよ、阿弥陀仏について説かれるのを聞いて、心を乱すことなくただひとすじに名号を称えるがよい。名号を称えることにより、あらゆる罪が除かれる。すなわち念仏は多くの功徳をそなえた行である〉」


というお言葉も挙げられています。諸善と念仏の功徳は比べようもなく、ひとえに念仏一行を勧めておられることがわかります。親鸞聖人は、このお言葉を真門位の念仏とみられました。


ところで、親鸞聖人は上の御言葉で「濁世の道俗」と呼びかけて、「速やかに二十願に入りなさい」と仰っておられます。「速やかに」とは、十九願の善を十分にやって助からない自分が知らされてからなのか、それとも今すぐになのか、少しでも日本語の知識のある方ならわかるのですが、こうした親鸞聖人の仰せには無条件服従しないのが親鸞会です。

二十願では諸善を勧める根拠にはなりません。正しい意味での財施も破邪顕正も少善根、雑行と言われ、それらを差し置いて念仏一行です。これでは金も人も集まりませんし、聞法ドメインの拡大、様々な箱モノの建設どころではありません。

このような親鸞聖人のお名前を語った宗教詐欺団体が、因果の道理を説いたところで周囲は失笑の渦ですし、やがて現在の悪果が報いて自分達にやって来たとしても、それは全て自因自果です。


要門の行信を勧められている親鸞聖人のお言葉はどこにもありませんが、真門を勧められたお言葉は上に挙げたように存在します。しかし、「難思往生」と、「難思議往生」から一字省かれて、捨てるべき法門であることが明かされています。

そして、真門釈の最後には、

悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。

真門自力の念仏者を深く悲嘆されています。このように、親鸞聖人のお勧めは、偏に十八願であることを最後に申し添えておきます。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
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(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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