【ツッコミ】信仰の幼稚園(2)

【ツッコミ】信仰の幼稚園の続きです。

本日も、信仰の幼稚園の内容について取り上げます。


 雑行を捨てるとは、善を自分の意思で放棄して、到底、成せることではないのだ。

善の勧めを否定したぐらいで、

弥陀の救いに向かっての善を意識的に放棄したぐらいで、

方便を捨てたぐらいに思いこみ、

そして、

「弥陀の救いを求める人に対して

 因果の道理を信じて善に励むなどということを勧めることは、

 助からなくさせる間違った教えだ」

などと、非難しているのであるが、

因果の道理を信じる心が、妨げになるのでもなければ、

善の物体が妨げになるのでもないことに気付いていないのだ。

信じたこと、やったことを、「あてにして後生助かろうとする心」

すなわち「自力の心」一つが、捨てものなのである。

それは、自分の意思で放棄できるものでは断じてない。



親鸞会は論点スライドして相手の主張をねじ曲げることしか考えていません。
そうではないなら、なぜ、「親鸞聖人の教えには獲信の因縁としての善の勧めはありません」と言っているのに、大事な部分を外すのでしょうか? 理由を知りたいです。
日常生活のことを論じているのではなく、往生の一段について論じているので、「阿弥陀仏に平生に救われるために」「獲信の因縁として」善をせよと親鸞聖人が勧められているか、根拠を挙げてから自説を展開してもらいたいです。
それができないようなら、「観念の遊戯だ」「信仰の幼稚園だ」と相手を見下して優位に立とうとした所で、珍説を唱えているだけの愚か者に過ぎません。


さて、『すなわち「自力の心」一つが、捨てものなのである』とこのブログの著者が書いているのはその通りです。

それは、親鸞聖人が、

還来生死輪転家 決以疑情為所止 (正信偈)

と教えられていることです。

「自力の心」=「疑情」=「本願疑惑心」=「仏智疑う罪」です。

「ただ今救うぞ」が本願の御心なのに、このブログでは、

弥陀の、ものすごい本願力によって、
一念で、自力の心を殺されてこそ、
雑行が廃るのだ。


そこまでは、因果の道理を信じさせて、お導きくだされているのだ。

因果の道理を信じれば、廃悪修善にならざるを得ない。

そして、やがて必ず、わが後生が大問題となるのである。

阿弥陀仏のお導きなのだから仕方がない。

それ以外に、救われる道はない。


というように、

・そこまでは、因果の道理を信じさせて、お導きくだされているのだ
・因果の道理を信じれば、廃悪修善にならざるを得ない
・そして、やがて必ず、わが後生が大問題となるのである
・阿弥陀仏のお導きなのだから仕方がない

など書いて、「ただ今救われること」から逃げ回っているのです。

本願に対して「○○までは」「○○すれば」「やがて」「○○だから仕方ない」等といっているのは、みな本願に対する疑い、計らいです。これこそ捨てものだということを本人は全く分かっていません。

「ただ今救うぞ」の本願の御心は決して絵に描いた餅ではありません。
「ただ今救う」はたらきが、本願力にあるのです。

親鸞聖人は、『教行証文類』行文類に、浄土論註を引文され、

〈不虚作住持功徳成就〉とは、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり。いままさに略して虚作の相の住持にあたはざるを示して、もつてかの不虚作住持の義を顕す。{乃至}いふところの不虚作住持は、もと法蔵菩薩の四十八願と、今日阿弥陀如来の自在神力とによる。願もつて力を成ず、力もつて願に就く。願、徒然ならず、力、虚設ならず。力願あひ符うて畢竟じて差はず。ゆゑに成就といふ」と。

(現代語訳)

<不虚作住持功徳成就>とは、つまり阿弥陀仏の本願のはたらきのことである。いま、少しばかりこの世のことがいつわりであてにならないことを示して、本願のはたらきがいつわりでなく代わらないこと、すなわち不虚作住持ということについて明らかにしよう。(中略)本願のはたらきがいつわりでなく変らないのは、因位の法蔵菩薩の四十八願と、果位の阿弥陀仏の自由自在で不可思議な力とにもとづくのである。願は力を成り立たせ、力は願にもとづいている。願は無駄に終ることはなく、力は目的なく空転することがない。果位の力と因位の願とが合致して、少しも食い違いがないから成就というのである。

と教えられています。

「ただ今救うぞ」の本願にいつわりはありません。
「ただ今救う」本願力が、今まさにはたらいているのです。

弥陀の、ものすごい本願力によって、
 一念で、自力の心を殺されてこそ、
 雑行が廃るのだ


などと書いていながら、このブログの著者は、「ものすごい本願力」とは全く思っていないのが見え見えです。


御同行が自分の気持ちを語っているのならばまだしも、浄土真宗の「布教使」と名乗る人物がこんなことを書いているのです。

布教使が率先して、「選択本願は浄土真宗なり」(末灯鈔)と教えられている選択本願を疑い、謗り、破壊しているのです。こんな布教使から教えを聞いている御同行がかわいそうです。いや、かわいそうでは済まされません。せっかく親鸞聖人の教えにあいながら、またむなしく流転を重ねてしまうことになるのですから。

このような布教使の下で聴聞されている御同行の方々は、そんな悪知識から速やかに離れて頂きたいと念じております。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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