【ツッコミ】阿弥陀仏のお計らい(2)ー三願の行信

【ツッコミ】阿弥陀仏のお計らい(1)の続きです。本日も、『夢幻界裡の覚醒』阿弥陀仏のお計らいについて、区切って教えの真偽を検証していきたいと思います。


親鸞会を非難する、頭デッカチの者達は、
(私もかつてはそうであったが)

「親鸞会は、19願、20願を、善巧方便と混同し、
 権仮方便であることを知らない」

「19願、20願、18願は、独立しているものなのに、
 関連づけて教えているのが間違い」

と理解しているのである。



まず、善巧方便と権仮方便の混同は、『本願寺なぜ答えぬ』p.140に、

 なにしろ、自惚れ強く、相対の幸福しか知らない、我々を、絶対の幸福まで導くことは、難中の難事。どうしても、善巧方便が、不可欠だった。
 十九・二十の二願は、その、必要に応じて建立なされたものである。


と書いてあることから明らかです。混同していなければ「善巧方便が、不可欠だった」などと書くはずがありません。また、権仮方便の意味も分かっていないことがわかります。
権仮方便とは、真実をそのまま説いても受け付けない者を導くために暫く用いられる、仮に設けられた法門のことです。外道の者を導くために聖道門が説かれ、聖道門の者を導くために要門が説かれ、要門の者を導くために真門が説かれました。これらは全て弘願へ導くための仮の手立てとしての意味があり、また如実に実践すればその益があるため疎かにはできませんが、既に弘願が真実だと親鸞聖人から教えられ、十八願による平生の救いを求めるようになった人には還ってこれを廃するのです。

ですから、十八願の救いを求める人には、権仮方便である要門の実践を勧められません。

もし、「頭だけで合点しただけではいけない。できるかできないか、やってみなければどちらもハッキリしない」と横車を押されるならば、聖道門も釈迦が説かれた権仮方便の法門です。親鸞会会員は、聖道門ができない自分だとハッキリしているのでしょうか? 親鸞聖人のアニメだけ見て、「観念の遊戯」をしているだけのように感じるのは私だけではないと思います。



次に三願の関係についてですが、『教行証文類』を見てみると、18願、19願、20願はそれぞれの願の行信と、その証とが独立しています。19願の行信を実践していくと20願へ進む、というようなことは教えられていません。なぜ三願が独立した法門であると理解するのが頭でっかちな解釈なのか分かりません。

おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり。
その真実の行の願は、諸仏称名の願(第十七願)なり。その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願)なり。これすなはち選択本願の行信なり。
その機はすなはち一切善悪大小凡愚なり。往生はすなはち難思議往生なり。仏土はすなはち報仏・報土なり。これすなはち誓願不可思議一実真如海なり。『大無量寿経』の宗致、他力真宗の正意なり。(教行証文類行文類)


この御言葉より、阿弥陀仏の本願に真実の行信と方便の行信とがあることが分かります。その真実の願・行・信・証は、
願:諸仏称名の願(第十七願)・至心信楽の願(第十八願)
行:選択本願の行(他力念仏)
信:選択本願の信(至心・信楽・欲生)
証:難思議往生(報土往生)

となります。

それに対し、方便の行信が明らかにされているのが化身土文類です。

 これによりて方便の願(第十九願)を案ずるに、仮あり真あり、また行あり信あり。願とはすなはちこれ臨終現前の願なり。行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり。信とはすなはちこれ至心・発願・欲生の心なり。
この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す。この要門より正・助・雑の三行を出せり。この正助のなかについて、専修あり雑修あり。機について二種あり。
一つには定機、二つには散機なり。また二種の三心あり。
また二種の往生あり。二種の三心とは、一つには定の三心、二つには散の三心なり。
定散の心はすなはち自利各別の心なり。
二種の往生とは、一つには即往生、二つには便往生なり。便往生とはすなはちこれ胎生辺地、双樹林下の往生なり。即往生とはすなはちこれ報土化生なり。(教行証文類化身土文類)

いま方便真門の誓願について、行あり信あり。また真実あり方便あり。願とはすなはち植諸徳本の願これなり。行とはこれに二種あり。一つには善本、二つには徳本なり。信とはすなはち至心・回向・欲生の心これなり。[二十願なり]機について定あり散あり。往生とはこれ難思往生これなり。仏とはすなはち化身なり。土とはすなはち疑城胎宮これなり。(教行証文類化身土文類)


これらの御言葉より、十九願と二十願の行信とその証はまとめると以下のようになります。

願:臨終現前の願(第十九願)
行:修諸功徳の善(自力諸善)
信:至心・発願・欲生の心
証:胎生辺地、双樹林下の往生(化土往生)

願:植諸徳本の願(第二十願)
行:善本、徳本(自力念仏)
信:至心・回向・欲生の心
証:疑城胎宮、難思往生(化土往生)


三願の行信とその証の違いが分かっていれば、真実報土を願う人に方便の行信を勧めることが如何にトンチンカンなことかがお分かりになると思います。

本願寺の布教使を名乗りながら頭の中は完全に親鸞会教義に支配され、会長が善巧方便と権仮方便の区別もついていないこと、真実の行信と方便の行信をごっちゃにし、方便の行信に固執して献金と人集めに躍起になっていることには知らないのか、目をつぶっているのか、深い御心だとMCされているのか、それとも会長に加担しているのか、家族のために仕方なくしているのか・・・
「某(内緒)本願寺の僧侶」ならば、もっと本派の和上の方々の法話を聞いたり本を読んだりして勉強し直して頂きたいと思うばかりです。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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