浄土門、易行道のこころ

【ツッコミ】阿弥陀仏のお計らい(7)ー「廃悪修善の教え」と阿弥陀仏の救いを関係づける心が信罪福心であり、自力の心ですに、コメントを頂きました。有難うございました。



WikiArc:浄土真宗聖典では、『後世物語聞書』について、

親鸞聖人の消息に「よくよく『唯信鈔』・『後世物語』なんどを御覧あるべく候ふ」とあり、聖人がしばしば本書を関東の門弟たちに書き写して与え、読むことを勧められたことがうかがわれる。

と紹介されています。
本日は、『後世物語聞書』から浄土門、易行道のこころを学んでみたいと思います。



凡夫の真実にして行ずる念仏は、ひとへに自力にして弥陀の本願にたがへるこころなり。すでにみづからそのこころをきよむといふならば、聖道門のこころなり、浄土門のこころにあらず、難行道のこころにして易行道のこころにあらず。


凡夫がまことのこころで称えようとする念仏は、自力の念仏であって弥陀の本願他力の念仏ではありません。凡夫自らそのこころを清めよというなら、それは聖道門のこころであって浄土門のこころではありません。難行道のこころであって易行道ではありません。


これをこころうべきやうは、いまの凡夫みづから煩悩を断ずることかたければ、妄念またとどめがたし。しかるを弥陀仏、これをかがみて、かねてかかる衆生のために、他力本願をたて、名号の不思議にて衆生の罪を除かんと誓ひたまへり。さればこそ他力ともなづけたれ。このことわりをこころえつれば、わがこころにてものうるさく妄念・妄想をとどめんともたしなまず、しづめがたきあしきこころ、乱れ散るこころをしづめんともたしなまず、こらしがたき観念・観法をこらさんともはげまず、ただ仏の名願を念ずれば、本願かぎりあるゆゑに、貪瞋痴の煩悩をたたへたる身なれども、かならず往生すと信じたればこそ、こころやすけれ。さればこそ易行道とはなづけたれ。もし身をいましめ、こころをととのへて修すべきならば、なんぞ行住坐臥を論ぜず、時処諸縁をきらはざれとすすめんや。またもしみづから身をととのへ、こころをすましおほせてつとめば、かならずしも仏力をたのまずとも生死をはなれん。


聖道門、難行道に対して浄土門、易行道のこころとは、

ものうるさく妄念・妄想をとどめんとも
しづめがたきあしきこころ、乱れ散るこころをしづめんとも
こらしがたき観念・観法をこらさんとも


たしなまず、はげまずに、

ただ仏の名願を念ずれば、かならず往生す

ということだと教えられています。


また、蓮如上人は、

まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを、たすけんと誓ひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり。 (御文章1帖目3通)

と仰っています。全く同じことですね。



親鸞会が、できるかどうかやってみよと19願、20願の実践を勧めるというのは、聖道門のこころ、難行道のこころであるということです。
もし親鸞聖人が19願、20願の実践を教えられていたのなら、確かに御門弟の方々に『後世物語聞書』の拝読を勧められるわけがありません。
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No title

私のコメントを取り上げていただきありがとうございます。
親鸞聖人は自身の先輩である聖覚法印および隆寛律師のお二人を特に尊敬なさっていたことはよく知られており、その二人の御著書をしばしば書写されて御門弟の方々に与えられています。
後世物語聞書もその一つであろうという見方が有力です。
親鸞聖人はこの二人の御著書の拝読をしばしば勧められており、
その中にはどこぞの会の誤りをそのものずばり言い当てた言葉が沢山出てきます。
一つ例を挙げると

念仏の門に入りながら、なほ余行をかねたる人は、そのこころをたづぬるに、おのおの本業を執じてすてがたくおもふなり。
あるいは一乗をたもち三密を行ずる人、おのおのその行を回向して浄土をねがはんとおもふこころをあらためず、念仏にならべてこれをつとむるに、なにのとがかあらんとおもふなり。ただちに本願に順ぜる易行の念仏をつとめずして、なほ本願にえらばれし諸行をならべんことのよしなきなり(唯信抄)

繰り返しますが親鸞聖人は、聖覚法印および隆寛律師の御著書を大変重視しておられました。
それこそ御自分のお言葉以上にです。
ならば、親鸞聖人の御著書を読み解くにあたっては
聖覚、隆寛両師の御著書と矛盾しないように解釈することが、聖人の御心にかなうことと、私は思います。
そして、両師が「獲信のための諸善」の勧めを全く説かれていない以上、親鸞聖人の御著書にもそのような意図は決してないと言うことが出来るでしょう。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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