【検証】会員の非難(2)

今朝、妙好人の方と話をさせて頂きました(^^)v
やはり救われた喜びを共有できる御同朋・御同行と話をするのはいいですね♪
ここを読んでる皆さんも、早く救われて獲信の報告を下さい^ー^)人(^ー^




本日は、

「簡単に救われたと言いのける」

という非難についてです。

「簡単に救われた」などとは言っていないことは、「難信と心得やすの安心」で述べた通りです。
「心得やすの安心」
「難信と心得やすの安心」
を参照して下さい。

そこで今回は、なぜ親鸞会会員は「簡単に救われたと言いのける」といってきたのか考察しつつ、親鸞会時代とその後の自分について振り返ってみたいと思います。

「簡単に救われたと言いのける」の背景に、阿弥陀仏に救われる可能性は限りなく低いと思っていることが想像できます。会員がそのように思ってしまうことには、親鸞会での後生の一大事の説かれ方と、昨日も指摘したことですが阿弥陀仏の本願が抜けてしまっていることに原因があると感じます。

このことについて、安心問答で述べられている記事
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20091228/1261999490
がありましたので以下に一部抜粋したいと思います。

(A)『「親鸞会でいう後生の一大事」は、上記にあるように「死後、ながく地獄におちること」であり、これが前提ですから、その解決は限りなく可能性が低いということで語られます。
99.99999%の確率で、地獄に堕ち、0.00001%の確率で阿弥陀仏に救われるという理解です。
そのため、「阿弥陀仏に救われることがあれば、それこそ一大事だ!」という考え方になります。そこから転じて、阿弥陀仏に救われる時には「なにかすごいことが起きるのだろう」と考える方も多くおられます。』(安心問答より引用)

この(A)の文章はまさに、「簡単に救われたと言いのける」と言ってきた親鸞会会員の理解をあらわしていると思います。一方、「阿弥陀仏の本願力」が抜けていない理解とは、次に示す(B)になります。

(B)『阿弥陀仏の本願は、ただ今救う本願であり、どんな人も報土往生させ仏のさとりをひらく身にしてみせるという阿弥陀仏の願いです。
その阿弥陀仏の本願力からいえば、助からない人は一人もありません。
法から言えば、100%救われます。地獄には堕ちることは確率的にありえません。
阿弥陀仏に救われた人の中で0.0001%でも報土往生できない人はいません。
私たちの機からいえば、報土往生をするタネはなにもありませんので、自力での往生極楽は0%です。確率でいうなら100%極楽往生できません。
その100%救う本願があるのに、無常が先に来てしまったら、阿弥陀仏でも救うことはできませんので、「一大事」といわれるのです。
絶対助かるのに、万が一にも助からないということがあれば一大事だという阿弥陀仏の御心なのです。』(安心問答より引用)

(A)と(B)の違いは、出発点が「地獄におちる」なのか、「ただ今必ず救う阿弥陀仏の本願」なのかの違いです。

親鸞会にいた頃の私の理解はまさに(A)でした。そして、「平生業成」とは説かれながら、阿弥陀仏は遠く感じられ、自分の今生での救いについての不安は次第に大きくなっていきました。

信行両座の諍論で、法然上人のお弟子380余人の内、決然と信の座についたのは法然・親鸞両聖人を入れてたった5人だったと聞く度に、自分は救われるのかどうか大変不安になっていきました。

『380余人のお弟子方は仏教のプロ集団、それに引き換え私は仕事片手間で求めている。毎日法然上人から教えを聞き、弘めている方々なのに、それでも信心が獲られないのか』

と落胆し、いつの間にか「とにかく聞き続けるしかない」という気持ちになり、「ただ今救う」本願だとはもう思えなくなりました。

会長の「三十年、四十年聞いて分かるものではない」の言葉は、この思いに更に拍車をかけました。

そして最近になり、「善をしなければ信仰は進みませんよ」ということが強調して教えられるようになって、救いには長い道のりを経なければ遇えないんだとの思いが固まっていきました。

富山の帰り、高速を運転している時に、「今日自分が交通事故で死んでしまったら、一体いつ善をやって信仰が進むんだろう?」とよく考えたものです。

しかし、どんな宿縁でか、私は先に退会した先輩から教義の誤りを指摘されました。

根拠を挙げての指摘に私は今までの謎が氷解し、退会を決意しました。


中でも、本願の「若不生者」が信楽をえた人を極楽に生まれさせることだと知らされることで、仏教の目的が往生成仏であり、18願が衆生の往生を誓われたものであることがよく分かりました。そして阿弥陀仏も親鸞会時代より近く感じられるようになりました。

また、私の先輩は、親鸞会では教行信証行巻の内容がほとんど話されないと言っていました。行巻の行一念釈から、諸行の法に対し本願の法が至易最勝の法であることが分かりました。念仏諸善比校対論のお言葉も教えてもらい、念仏の法の尊さが知らされました。

諸善にばかり心を奪われていたときは阿弥陀仏と疎遠でしたが、念仏一行に向かった時はより一層阿弥陀仏が近く感じられました。

善知識方のお勧めは、偏に18願だったのです。

そして、「ただ今必ず救う」と誓われた本願まことだったと知らされたのです。



今振り返ってみると、「私を救う阿弥陀仏の本願」が出発点であることがよく分かります。

「一切衆生必堕無間」と経典に根拠のないことを説き、地獄に堕ちたくないことを原動力として、仏法を求めさせるようなことをお釈迦様、善知識方はしておられません。

こう言いますと、会員は

「親鸞会では、地獄に堕ちる恐怖が仏法を求める原動力などとは説いていない。親鸞学徒は地獄に堕ちるといわれても驚かない自分に驚いて仏法を求めるのだ」

と反論しそうですが、『地獄に堕ちるといわれても驚かない自分』に驚く心もないのが我らの実態です。

阿弥陀仏はそんな私達をとうに見抜いておられ、その阿弥陀仏が見抜かれた私を救い摂って下さいます。

やはり先手の法、「私を救う阿弥陀仏の本願」が先で、私はあくまで本願招喚の勅命に順うばかりです。

「一切衆生必堕無間」は、会内にいる時は段々と慣れっこになり恐怖心も無くなっていきますが、辞めようとなった時にじわりじわりと効いてくる恐ろしい呪いの言葉です。

真剣に求道している人ほどこの呪いにかかり、会から離れられないのです。ですから、こういう教え方は絶対に間違っています。

皆さんもどうか、「私を救う阿弥陀仏の本願」を出発点にして、仏法を求めて頂きたいと思います。

ただ今わたしを救うと誓われたのが阿弥陀仏の本願なのですから。
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「今」ですよね☆・・

仏法に明日ということは無いと・・・「今」なんですよね☆
三願転入(の教え?)ですか・・平生業成、「今」と、問われたら、なんと答えるのでしょうか・・
ああでもない、こうでもないと、検証してる間にも、無常は容赦なくやってきますよね。。
 
 こし方も 行く末も見ず たまゆらの われと思ふに 生のたふとさ (九条武子)

>夕顔さん

次の瞬間さえ命の保証はないですよね。
昨年ですが、私が青信号の横断歩道を歩行している所に、左折してきた10㌧トラックがぶつかってきました。
幸い速度がなかったので右膝打撲傷で済みましたが、スピードが出ていたらどうだったか、思い出すと恐ろしいです。
「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」(御文章)のお言葉の通りです。

「善をしなければ信仰は進みません」と聞いている人は、一体いつ助かるつもりなのか不安に感じます。

早くくせ法門を言う人の手から離れて、真実信心に基づいて頂きたいと思います。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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