真宗の信心は、確信とか、自覚とか、体験とか、信仰とかいう言葉ではあらわされない信心

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

「三 仰せのままを、おうけする」五

 「聞く」とは、この私を救いたもう法を成就なされたのが、南無阿弥陀仏の名号であります。その名号を聞くことをいわれてあるのです。
 その名号には、この私の障りを消し、疑いを除く徳用を具備せられてありますから、その名号を聞くところに「疑心あることなし」と申されてあるのです。
 名号を聞いて、疑心が無くなったのなら、「疑いなし」と言われる筈でありますのに、過去、未来、現在の三時にわたる言葉づかいをして、「疑心あることなし」と申されてあるのは、名号を聞いて疑心が無くなり、信心が発起したのではなく、如来のお助けに一点の疑いなく、決定のお助けであって、それを聞いたのが、聞信の一念でありますから、「疑心あることなし」と申されたのです。それで、信心決定の行者を金剛心の行人とも申されてあって、その「金剛心」は「仏心」であり、「摂取不捨の心」であると申されてあります。
 それで、真宗の信心は、確信とか、自覚とか、体験とか、信仰とかいう言葉ではあらわされない信心であり、領受の信でありますから、「タノム」とか、「まかす」とか、「安心」とかいう言葉で示されてあるのです。つまり「会う」の信心でなく、「遇う」の信心であります。


(p.28~p.29)



他力の信心とは、名号を聞いて、如来のお助けに一点の疑いない無疑心です。
如来が助けるに間違いないので、私が助かるに間違いないと頂くのです。
本願力回向の信心ですから、私が主体ではありません。如来が主体であり、私は客体です。だから真宗の信心は加茂和上が仰るような言葉で示されるのです。

それにしても、「三界の大導師たる大自覚」とか、「鮮やかな一念の体験」とか、「信仰は進みません」とか言っている団体は何なのか…と思えてきます。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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