今、私のいる「ここ」が聞法道場

どこにいようと聞法道場はとてもいい内容だと思います。まだ読んでいない方はぜひ一読してみて下さい。今回は上の記事に触発されて書きました。



かつて私が親鸞会学友部だった頃、阿弥陀仏の光明が強く当たっている場所として、一番は富山の本部会館で、大学の部室もそうだという話を聞きました。五重の義の内、三番目の光明の説明で出てきたのだと思います。名号が安置され、法が説かれる場所に足を運びなさいと教えられました。
当時は言われるままに受け止めていましたが、今から思い返すと「なんだかなぁ」と感じます。


阿弥陀仏の光明は全ての世界に至り届いて照らさぬところはなく、本願を信じ念仏する者を摂め取って決してお捨てになりません。このことを『観経』には、「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」と説かれています。
本願を私一人のためと受け止めるならば、阿弥陀仏の光明は特定の場所ではなく、今、私のいる「ここ」に至り届いています。一番強く当たっているのは、私のいる「ここ」だと言えましょう。今、私のいる「ここ」が、本願の仰せを聞き、弥陀の救いに遇わせて頂く聞法道場です。
阿弥陀仏は成仏以来、「どうか我が名を聞いてくれよ」と、私一人を目がけて、祈るように、叫ぶように、「どうかお前の後生任せておくれ」と喚び掛け続けておられます。
私はその通り、仰せのままにお受けし、阿弥陀仏のお助けにお念仏を申して仏恩を報じ奉るばかりです。


救われるのはいつか?
→平生の一念、私が人間として存在している時、つまり「只今」です。

救われる場所はどこか?
→私が今生きている場所、つまり「ここ」です。

救われるのは誰か?
→十方衆生と誓われた本願ではありますが、私一人を除いて本願はありません。つまり「私」です。

救いは、阿弥陀仏が私一人を助けるために、絶えず喚び掛け続けて下さっているからこそ実現するのです。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり、されば若干の業をもちける身にてありけるを、たすけんと思召したちける本願のかたじけなさよ」

と親鸞聖人は受け取っていかれました。信不信ともに、阿弥陀仏の本願は常に「今、ここ、私」と聞かせて頂きたいものです。

南無阿弥陀仏
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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