『教行証文類』の概要(11)ー真実の証

『聖典セミナー教行信証[教行の巻]』(梯 實圓師)より引用

真実の証

 阿弥陀仏より回向された真実の行信を因として、臨終の一念に往生成仏の果を得ることを、親鸞聖人は「真実の証」といわれました。そのことを「証文類」には「利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり」(『註釈版聖典』三〇七頁)といわれています。それは煩悩が完全に消滅した究極の涅槃の境地であり、完全な無分別智の領域であって、阿弥陀仏もそこから顕現された「一如」の境地であるともいわれています。これを「往生即成仏」とか、「弥陀同体のさとり」といっています。このような真実の証果は、第十一願「かならず滅度に至らずは(必至滅度)正覚を取らじ」」(『註釈版聖典』一七頁)と誓われたことによって回向成就せしめられる事柄でした。

 こうして阿弥陀仏と同じさとりを完成したものは、さとりの必然として阿弥陀仏がなされているように、迷える人びとを救済するために、浄土にいるままで、十方の世界に身を変現し、自在の救済活動をおこしていくようになります。これを証果の悲用(大悲のはたらき)としての還相といい、第二十二願によって回向される活動であるといわれたことは、すでに述べたところです。


(p.22~p.23)


親鸞聖人は『正信念仏偈』の偈前に

おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行の願は、諸仏称名の願(第十七願)なり。その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願)なり。これすなはち選択本願の行信なり。
その機はすなはち一切善悪大小凡愚なり。往生はすなはち難思議往生なり。仏土はすなはち報仏・報土なり。これすなはち誓願不可思議一実真如海なり。『大無量寿経』の宗致、他力真宗の正意なり。


と仰り、真実の行信とそれに対する方便の行信があることを教えられています。

因が真実の行信ならば、果は真実の証果です。
因が方便の行信ならば、果は方便の証果です。

方便の行信からは、方便の証果しか得られません。また、方便の行信をやらねば真実の行信が獲られないのではありませんので、勘違いや誤解をされている方は早く方便の行信を捨てて、真実の行信を獲得して下さい。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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