【検証】会員の非難(3)

ここ数日、火災で幼い命が失われるという痛ましい事件が続いています。老少不定の世の中であると痛感させられます。

まことに出る息は入るをまたぬならいです。どうか皆さん、一日も片時も急いで信心決定して、今度の一大事の往生をよくよく遂げて下さい。





本日は、最後の

「地獄一定の自己が知らされたとは全く思えません」

という非難について検証したいと思います。

一読して、一体この会員は何を目的で仏法を求めているのかと思いました。阿弥陀仏に救われることが目的なのか、地獄一定の自己が知らされることが目的なのか、よく分かりませんでした。

地獄一定の自己が知らされることが目的という点については、機の深信が目的という話が電話座談会あったようなことを会員の人から聞いたので、そのように理解している会員があるかもしれません。


それとも、地獄一定の自己が知らされることが救いの条件だとでもいうのでしょうか?これについては検証1で述べた通り、決定的に抜けているのが「ただ今救う」と誓われた阿弥陀仏の本願です。本願に目が行かず、地獄一定の自己が知らされることが救いの前提にあると思い込んでいるのです。検証1で親鸞会ホームページから文章を引用しましたが、親鸞会でのあのような指導から、そのように思い込まされてしまっているのでしょう。


上のいずれの理解にせよ、間違った教えを繰り返したたき込まれている現会員は被害者だと思います。


さらには、阿弥陀仏の本願が抜けているだけではなく、「二種深信」について勘違いをしていると考えられます。それは、地獄一定と知らされることが機の深信だと思っているということです。

親鸞会における二種深信の誤解については、いろいろなところで指摘されていますので、今回の非難に関するポイントだけ見ていきたいと思います。

二種深信について理解するには、
・二種深信(灘本愛慈著『やさしい安心論題の話』より)
・安心論題「二種深信」
が参考になりました。



二種深信とは、真実信心を機と法の2つの面からいわれたもので、善導大師が『観無量寿経疏・散善義』と『往生礼讃』の中で教えられています。

今回の非難は機の深信についてなので、まず機の深信のお言葉を見てみましょう。

「一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。 」(散善義)

「自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。」(往生礼讃)

これらのお言葉から分かるように、機の深信とは、「出離の縁あることなし」、「火宅を出でず」と信知したことであって、私は自分の力では絶対に迷いの世界を離れることはできないとはっきり知らせていただくことです。

法の深信については、

「二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。」(散善義)

「いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく。」(往生礼讃)

と教えられており、如来の願力の独用で間違いなく往生できるとはっきり知らせていただくことです。


次に、親鸞会では、どのように教えられているのか見てみます。

親鸞会では、二種深信の説明で
・機の深信ー堕つるに間違いなし
・法の深信ー助かるに間違いなし
と板書されることがありました。
独言(29)二種深信でもそのように教えられています。

また、『なぜ生きる』292ページには、

『誓願不思議に救い摂られ、無明の闇が晴れると、次の二つのことがハッキリする。
「金輪際、地獄ゆきと、疑い晴れる」(機の深信)
「極楽へ、必ず往けると、疑い晴れる」(法の深信)
この二つが、同時に疑い晴れている心だから、「機法二種一具の深信」(二種深信)といわれる。
「地獄一定」と「極楽一定」を同時に、どうして知ることができるのか。』

と書かれています。

親鸞会では、機の深信を、「地獄一定とハッキリする」と説いていることが分かります。

しかし、上の善導大師のお言葉で見たように、機の深信とは、自分の力では絶対に迷いの世界を離れることのできない自分であると信知することです。

そして、二種深信は機法二種一具の深信であり、

機の深信ー信機ー捨機ー捨自
法の深信ー信法ー託法ー帰他

捨機即託法であり、捨自即帰他です(詳しくは上でリンクした安心論題を読んで下さい)。

これを理解していないので、私が謹賀新年メールで書いた「私の力などは一切役に立たず、全く南無阿弥陀仏による一方的な救いでした」に、二種深信の意があったことを理解できなかったのでしょう。

以上のことから、「地獄一定の自己が知らされたとは全く思えません」が、二種深信を理解していない会員からの的外れな非難であることがお分かり頂けると思います。


さらに、親鸞会の二種深信を「二つのことが同時にハッキリする」と説明しますが、二種深信は、『機の深信が前で法の深信が後におこるのでもなく、同時に並び起こる別個の心相でもなく、また信後には信機がなくなるのでもありません。初後一貫する他力信心のすがたであります。』(『』内は、やさしい安心論題の話より引用)

また、親鸞会では二種深信は凡夫には矛盾としか思えないなどと聞かされましたが、上の機の深信と法の深信の説明に果たして矛盾はあるでしょうか?


親鸞会の教学聖典には、真実の信心か否かの判定基準は「二種深信」であると教えられています。それくらい大事な「二種深信」だと教えているのならば、もっと正確に教えてもらいたいものです。


全く滅茶苦茶な教えを聞かされていることになぜ会員は気がつかないのでしょうか?

かつて講師から「外道の人は中々真実の教えを聞けない。外道の教えに染まっているから、まず染み抜きをしなければいけないんだ」と聞いた事がありますが、まさか自分が所属していた団体を通じて知らされるとは思いませんでした。

まず会長の珍説を染み抜きしてかからないといけないので、目を覚まさせるのは大変です。会員に対して中途半端に染み抜きしても、その会員が講師と話をすると、講師が更に上書きしますから一筋縄にはいきません。

しかし、何年も共に過ごした法友がいます。家族、親戚、自分にとって大事な人が迷っている、という人もあるでしょう。そう思うと、立ち上がらないわけにはいきません。

このブログを縁に、くせ法門を説く知識の元から離れ、真実信心に基づく方が一人でも多くあればこれ幸いと思います。
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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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