『教行証文類』の概要(13)ー方便の教え

『聖典セミナー教行信証[教行の巻]』(梯 實圓師)より引用

方便の教え

 「化身土文類」は、浄土真宗(第十八願)を基軸とした親鸞聖人の宗教観が明らかにされています。それは釈尊の教化の模様を見ていくと、宗教現象のなかに真実の宗教と真実でない宗教があり、さらに真実ではない宗教のなかにも、真実に背いた邪偽の宗教と、その邪偽の宗教から真実の宗教へと人びとを導くために、しばらく仮に設けられた権仮方便の宗教とがあるというのです。その真実(真)と権仮(仮)と邪偽(偽)の宗教を体系的に明らかにすることによって、人びとが帰趨に迷わないようにしていかれたのです。

 邪偽(偽)の宗教とは、宗教の名によって、自己中心的な考えを助長し、人間の我欲を煽り、個人的な争いや集団的な戦争を肯定して、自他ともに破滅に貶めていくような生き方を説く邪教のことです。それは仏教以外の宗教であるので、外道とも外教ともいっています。しかし、仏教の仮面を被った外道もあることを親鸞聖人は鋭く批判されていました。

 権仮方便(しばらく仮に説かれた教え)の宗教とは、釈尊が邪偽に陥っているものを導いて真実に入らせるために、真実とは何であるかを、その人の能力にあわせて階層的に説き与えられた教えのことです。そのなかに聖道門(自力の修行によって、この土でさとりを完成しようとする教え)と、浄土門(浄土に往生して、さとりを完成しようとする教え)とがあります。その浄土門のなかにも、聖道門と同じようにもろもろの行を自力で実践して往生しようと願う要門と、念仏を称えた功徳によって往生しようとする真門とがありますが、いずれも自力の法門です。

 こうした権仮方便の教えは、相手の理解能力に応じて説かれていますから、「随他意の教え(他者の意向に随って説かれた教え)」といっています。それにひきかえ、真実の教えは、仏が自らの本意に随って説かれた教えですから、「随自意の教え」といわれています。随他意の教えであっても、決して嘘の教えではありません。とくに聖道門の教えは、邪偽の教えの過ちを明らかにするために、人びとに無明・煩悩の恐ろしさを知らせ、無知(無明)を改め、愛憎の煩悩を断ち切らねばならないことを強調されます。そして、廃悪修善(悪を廃して善を修する)という厳しい自力の行道を勧められますが、その教えによって私たちは煩悩の浅ましさを思い知らされると同時に、自分自身がたのむに足りない無力なものであることを知って、自力を捨てて阿弥陀仏の本願力に帰入するように育てられていくのです。このように自力の教えは、自力を捨てさせ、阿弥陀仏の本願他力に帰入させるために、仏陀がしばらく仮に設けられたものであるというので、仮の宗教として位置づけていかれたのです。

 こうして権仮方便の宗教もまた、未熟なものを見捨てることなく導き育てようとされる阿弥陀仏の大悲の必然として設けられた法門であることがわかります。親鸞聖人は、そのような仏意を第十九願(要門)、第二十願(真門)のうえに読み取り、真実(第十八願)の教えはもちろん、方便(第十九願、第二十願)の教法も阿弥陀仏の誓願のなかにその根元を見出していかれたのです。このように真実の宗教と、仮の宗教と、偽の宗教とを明確に区別すると同時に、仏教のみならず、すべての宗教現象を浄土真宗(第十八願)の立場から統一的に把握していこうとするのが「化身土文類」なのです。


(p.25~p.27)



帰趨…物事が最終的に落ち着くこと。行き着くところ。帰趣。(大辞泉)
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No title

ご開山の、真・仮・偽の教判なんだけど、方便の彼方に求むべき信があると思い込んでいるTS会の人には理解不能かな。

『教文類」にもあるけど、「真実の利」とは名号なんですよね。
一念という語は『大経』に3箇所あるけど、流通分の名号の一念を展開してこの一念を受け容れた「時」を信の一念というのですよね。
名号という救済法が、なんまんだぶとなって届いているのを拒否しているのが、TS会のいう信心なんですよね。

 しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。


御開山は、なんまんだぶつを讃仰するために信一念を強調されたのであって、凡夫の側にはありもしない信心=菩提心を論じられたのではないのですね。
ご信心とは因位の阿弥陀如来の菩提心なんですね。これを了受したのが浄土真宗の信ですよね。

行の一念、信の一念は一具であって分けられないものですが、これを分けるから意味の判らない、TS会のヘンテコ教義が出来上がるのかも(笑

>林遊@なんまんだぶ様

>方便の彼方に求むべき信があると思い込んでいるTS会の人

→本当にその通りですね。高森会長のトリックにハマって、救いは只今ではなく、19・20願の行を実践した彼方(つまり未来)に救いがあるとしか思えない人ばかりです。
そして、実際は如実の定散二善も教えられず、献金と勧誘ばかりさせられていますから、化土へさえ往けません。信心決定という言葉が先走りし、救いは完全に絵に描いた餅です。
今や会内は、情報弱者と、親鸞会教義すらまともに理解していない人しか残っていないのでは?という状況と推測します。後者は、教えの違い目が分からないと当ブログのような批判記事を読んでも分かりません。
期待しているのは前者の方です。早く情報に触れて、親鸞会教義の誤りに気づいて頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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