総序の文意(4)ー師恩に応える

『聖典セミナー教行信証[教行の巻]』(梯 實圓師)より引用

  師恩に応える

 ところで、同じ知恩報徳といっても、『教行証文類』では、仏の恩徳と同時に師恩、とくに法然聖人の恩徳を報謝するということが強く意識されていたと思います。「後序」には、法然聖人に遇い、そのお諭しによって本願に帰して念仏する身にならせていただいたばかりか、『選択本願念仏集』の伝授を受け、法然聖人の真影を図画することまで許されるという深い知遇を得たことを喜んで、

深く如来の矜哀を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。これによりて、真宗の詮を鈔し、浄土の要をひろう。ただ仏恩の深きことを念うて、人倫の嘲りを恥ぢず。(『註釈版聖典』四七三頁)

と述べられています。これは「深く如来の哀れみを知り、また本願の救いの道を教えてくださった師のご恩の厚いことを思うにつけても、慶びはいよいよ深く、恩師を慕う思いは、ますます募るばかりである。そこで恩師の教えに従いつつ、真宗の何たるかを、仏祖の言葉を抜き出し、浄土の教えの肝要を集めて、一部の書としてここに著した。ひとえに如来の恩徳の深きことを思うばかりで、世間の人々の嘲りは心にかけない」といわれています。

 こうした言葉を通して明らかになることは、親鸞聖人が、とくにこの『教行証文類』を著されたのは、一つには恩師法然聖人の知遇に応えて、『選択集』の真意を顕彰しようとされたこと、二つには選択本願念仏の法義を「浄土真宗」と名づけて、その教義体系を確立し、浄土真宗の何たるかを明らかにしようとされたためであったことがわかります。

 親鸞聖人が、はじめて法然聖人の門を叩いて弟子となられたのは、二十九歳のときのことでした。それから四年後には、法然聖人から『選択集』の伝授を受け、引き続いて法然聖人の真影を図画されることを許されたのですが、このことは大変重要な意味をもっていました。というのは、『選択集』は浄土宗独立の宣言書ともいうべき性格をもっていて、そこに顕されている法義は、選択・廃立という非常に厳しい論法で一貫されていました。

 聖道門を廃して浄土門を立て、雑行を廃して正行を立て、正行のなかでも、読誦、観察、礼拝、讃嘆供養を助業として廃して、ただ称名念仏のみを正定業として立てていくという論法のことを廃立というのです。正定業とは、その一行によって正しく往生が決定する行業ということです。

 そのように称名一行が正定業でありうるのは、阿弥陀仏が、どんな愚かなものも漏らさず、万人を平等に救って浄土に生まれさせようと願って、一切の自力諸行を選び捨て、称名念仏のみを往生の行と選び取られたからです。そのことを法然聖人は、選択本願の念仏といわれたのです。

 このように念仏一行を選び取り、他の一切の行を選び捨てるという廃立の教えは、当時としてはまさに革命的な意味をもっていました。それゆえに、天台宗や法相宗など、既成の仏教集団から激しく非難攻撃を受けたわけです。承元の法難や嘉禄の法難をはじめ、法然聖人の在世中から滅後にかけての度重なる迫害は、ひとえにこの選択・廃立の教えに向けられていました。

 『選択集』が書かれたのは建久九年(一一九八年)で、法然聖人が六十六歳のときです。その機縁となったのは、法然聖人に深く帰依していた前関白藤原兼実の要請でした。けれども、『選択集』の最後のところには、

庶幾はくは一たび高覧を経て後に、壁の底に埋みて、窓の前に遺すことなかれ。おそらくは破法の人をして、悪道に堕せしめざらんがためなり。(『註釈版聖典』七祖篇一二九二頁)

といわれています。「この書は、ご覧になりましたら、決して人目につかないようにしていただきたい。というのは、心なき人が見たならば、おそらくご本願のお心を誤解して、念仏を謗り、そのために悪道に堕ちるような悲しい結果を引き起こしかねないからです」と、厳重に注意をされているのです。それほどにまで心配りをして著されたわけですから、選択本願念仏の心を正しく領解してくれる人でなければ見ることを許されなかったと思われます。

 おびただしい数にのぼった法然門下の人びとのなかでも、この書の伝授を受けた人は、ほんのわずかだったといわれています。実際、現在その名前がわかっている人は十人前後しかいません。そのような『選択集』を、多くの先輩をさしおいて、入門してまだ四年しか経っていない三十三歳の親鸞聖人に伝授されたということは、親鸞聖人が選択本願の法義を正確に領解されていることを、法然聖人が見届けられていたからでしょう。また、この青年こそ、この教えをのちの世に正しく伝えてくれるであろうという、深い信頼と期待とをもっておられたことの証拠であったといえましょう。

 『選択集』の伝授だけではなく、法然聖人自身の真影(肖像画)を写すことを許し、その銘までも自筆で記されたということは、たしかに破格のことです。当時は、師からその肖像画を拝受することは、師の衣鉢を継ぐ正統な後継者とみなされていたことを意味していたのです。それゆえに、めったに自分の経歴を語ることのなかった親鸞聖人が、『教行証文類』の「後序」にこのことを詳しく語られて、

年を渉り日を渉りて、その教誨を蒙るの人、千万なりといへども、親といひ疎といひ、この見写を獲るの徒、はなはだもつて難し。しかるにすでに製作を書写し、真影を図画せり。これ専念正業の徳なり、これ決定往生の徴なり。よりて悲喜の涙を抑へて由来の縁を註す。(『註釈版聖典』四七三頁)

と、震えるような感動をこめて記されています。それは、単に親鸞聖人個人の経歴を記すということではなく、選択本願念仏の正しい伝持者であることを法然聖人によって承認されたという、教法伝持の系譜を明らかにするという公の意味をもっていたのです。こうして恩師法然聖人の期待に応えて、その遺志を継ぎ、浄土宗の真実義を「浄土真宗」と名づけて顕彰するために著されたのが、この『教行証文類』だったのです。


(p.45~p.49)



厳しい選択・廃立の教えがために法然門下への迫害はすさまじかったわけですが、何を選び捨てて何を選び取れといわれるのか、何を廃して何を立てよといわれるのかが、以前は分かっていませんでした。阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に仕えず、阿弥陀仏一仏を信じよとは教えられていましたが、諸行と念仏については無知もいいところでした。
今日の親鸞会の説き方は、選択本願念仏のご法義の破壊以外の何者でもありません。そんな親鸞会が、法然聖人の『選択集』という一冊の本により法難が起きたということを宣伝し、あたかも『歎異抄をひらく』のために親鸞会は非難攻撃を受けているのだと言わんとしていることはお笑い草です。
諸行と念仏については、時間があったら記事を改めて書きたいと思います。
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No title

会長は阿弥陀如来以外の諸仏菩薩諸神を排斥したために吉水一門は弾圧されたかのごとく説いてますが、実際は専修念佛を説かれたから他宗から批難されたんですよね。
専修念佛など一度も説いてもいないのが会長なんですが。

>Rudel様

仰る通りのご意見です。

念仏というと称名正因と思って、諸善より軽視する傾向にあるのが親鸞会です。阿弥陀仏が、私達が正しく往生が決定する行業として選び取られたというのに、本願で選び捨てられた諸善に執着しているとは、全て説く者の責任です。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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