「仏教ではどんなに良いことでも師匠の許可がなければ悪いことになる」の根拠って何だろう??

高森会長は、『大無量寿経』の法蔵菩薩と世自在王仏のやりとりを話するとき、法蔵菩薩の願いに対して、世自在王仏が止めておけと言い、法蔵菩薩が何度も食い下がるというように話をします。その話をするときに、「仏教ではどんなに良いことでも師匠の許可がなければ悪いことになる」と説明しています。

果たして高森会長が話すようなやりとりが『大経』に説かれているのか、真偽を検証したいと思います。


【原文】
仏、阿難に告げたまはく、「法蔵比丘、この頌を説きをはりて、仏(世自在王仏)にまうしてまうさく、〈やや、しかなり。世尊、われ無上正覚の心を発せり。願はくは仏、わがために広く経法を宣べたまへ。われまさに修行して仏国を摂取して、清浄に無量の妙土を荘厳すべし。われをして世においてすみやかに正覚を成りて、もろもろの生死勤苦の本を抜かしめたまへ〉」と。
仏、阿難に語りたまはく、「ときに世饒王仏、法蔵比丘に告げたまはく、〈修行せんところのごときの荘厳の仏土、なんぢみづからまさに知るべし〉と。 比丘、仏にまうさく、〈この義、弘深にしてわが境界にあらず。やや、願はくは世尊、広くために諸仏如来の浄土の行を敷演したまへ。われこれを聞きをはりて、まさに説のごとく修行して、所願を成満すべし〉と。 そのときに世自在王仏、その高明の志願の深広なるを知ろしめして、すなはち法蔵比丘のために、しかも経を説きてのたまはく、〈たとへば大海を一人升量せんに、劫数を経歴せば、なほ底を窮めてその妙宝を得べきがごとし。人、至心に精進して道を求めて止まざることあらば、みなまさに剋果すべし。いづれの願か得ざらん〉と。ここにおいて世自在王仏、すなはちために広く二百一十億の諸仏の刹土の天人の善悪、国土の粗妙を説きて、その心願に応じてことごとく現じてこれを与へたまふ。
ときにかの比丘、仏の所説を聞きて、厳浄の国土みなことごとく覩見して無上殊勝の願を超発せり。その心寂静にして志、所着なし。一切の世間によく及ぶものなけん。五劫を具足し、思惟して荘厳仏国の清浄の行を摂取す」と。 阿難、仏にまうさく、「かの仏国土の〔世自在王仏の〕寿量いくばくぞや」と。 仏のたまはく、「その仏の寿命は四十二劫なりき。ときに法蔵比丘、二百一十億の諸仏の妙土の清浄の行を摂取しき。かくのごとく修しをはりて、かの仏の所に詣でて、稽首し足を礼して、仏を繞ること三匝して、合掌して住して、仏にまうしてまうさく、〈世尊、われすでに仏土を荘厳すべき清浄の行を摂取しつ〉と。仏、比丘に告げたまはく、〈なんぢ、いま説くべし。よろしく知るべし、これ時なり。一切の大衆を発起し悦可せしめよ。菩薩聞きをはりて、この法を修行し縁として、無量の大願を満足することを致さん〉と。
 比丘、仏にまうさく、〈やや聴察を垂れたまへ。わが所願のごとくまさにつぶさにこれを説くべし。


【現代語訳】
釈尊が阿難に仰せになった。
  「 法蔵菩薩は、このように述べおわってから、世自在王仏に、<この通りです。世尊、わたしはこの上ないさとりを求める心を起しました。どうぞ、わたしのためにひろく教えをお説きください。
 わたしはそれにしたがって修行し、仏がたの国のすぐれたところを選び取り、この上なくうるわしい国土を清らかにととのえたいのです。どうぞわたしに、この世で速やかにさとりを開かせ、人々の迷いと苦しみのもとを除かせてください>と申しあげた」
 釈尊はさらに言葉をお続けになる。
  「 そのとき世自在王仏は法蔵菩薩に対して、<どのような修行をして国土を清らかにととのえるかは、そなた自身で知るべきであろう>といわれた。すると法蔵菩薩は、<いいえ、それは広く深く、とてもわたしなどの知ることができるものではありません。世尊、どうぞわたしのために、ひろくさまざまな仏がたの浄土の成り立ちをお説きください。わたしはそれを承った上で、お説きになった通りに修行して、自分の願を満たしたいと思います>と申しあげた。
 そこで世自在王仏は、法蔵菩薩の志が実に尊く、とても深く広いものであることをお知りになり、この菩薩のために教えを説いて、
<たとえばたったひとりで大海の水を升で汲み取ろうとして、果てしない時をかけてそれを続けるなら、ついには底まで汲み干して、海底の珍しい宝を手に入れることができるように、人がまごころをこめて努め励み、さとりを求め続けるなら、必ずその目的を成しとげ、どのような願でも満たされないことはないであろう>と仰せになった。
そして法蔵菩薩のために、ひろく二百一十億のさまざまな仏がたの国々に住んでいる人々の善悪と、国土の優劣を説き、菩薩の願いのままに、それらをすべてまのあたりにお見せになったのである。
そのとき法蔵菩薩は、世自在王仏の教えを聞き、それらの清らかな国土のようすを詳しく拝見して、ここに、この上なくすぐれた願を起したのである。その心はきわめて静かであり、その志は少しのとらわれもなく、すべての世界の中でこれに及ぶものがなかった。
そして五劫の長い間、思いをめぐらして、浄土をうるわしくととのえるための清らかな行を選び取ったのである」
 ここで阿難が釈尊にお尋ねした。
  「ところで世自在王仏の国土での寿命は、いったいどれほどなのですか」
釈尊が仰せになった。
  「その仏の寿命は、四十二劫であった。さて法蔵菩薩は、こうして二百一十億のさまざまな仏がたが浄土をととのえるために修めた清らかな行を選び取ったのである。このようにして願と行を選び取りおえて、世自在王仏のおそばへ行き、仏足をおしいただいて、三度その仏のまわりをめぐり、合掌してひざまずき、<世尊、わたしはすでに、浄土をうるわしくととのえる清らかな行を選び取りました>と申しあげた。
 世自在王仏は法蔵菩薩に対して、<そなたはその願をここで述べるがよい。今はそれを説くのにちょうどよい時である。すべての人々にそれを聞かせてさとりを求める心を起させ、喜びを与えるがよい。それを聞いた菩薩たちは、この教えを修行し、それによってはかり知れない大いなる願を満たすことができるであろう>と仰せになった。
 そこで法蔵菩薩は、世自在王仏に向かって、<では、どうぞお聞きください。わたしの願を詳しく申し述べます>といって、次のような願を述べたのである」



どうですか?
高森会長の話と全く違います。

○会長が話すような『世自在王仏が法蔵菩薩に対して「やめておけ」といわれた』ということはどこにも説かれていません。

○大海の水を升で汲み取ろうとする喩え話が、十方衆生を助けるということがいかに難しいかを知らせ、法蔵菩薩をあきらめさせるために説かれた話ではありません。

○『大経』の通りの話ですと、「仏教ではどんなに良いことでも師匠の許可がなければ悪いことになる」とは、どの部分からそういうことがいえるのでしょうか?


会長個人の味わいならよいでしょうが、法を説く者としては経典やお聖教に忠実であってほしいものです。

なお、『会報第二集』には『大経』の通りに書かれています。

なぜ法話で話されることと『会報』の記述が異なるのだろうか?
『大経』にはどのように説かれているのだろうか?


このような疑問を会員の皆さんはもちませんか?

現役会員の方々は、「高森先生に間違いない」、「先生の深い御心」と思い込んでいるのでしょうが、経典と異なる話をしていることに疑問を持たねばならないと思います。
「経典にないことでは仏教ではありません!」とアニメの台詞にもある通りです。


また、「高森会長しか真実説いていない」信心の人が親鸞会にはほとんどですが、本願寺の和上方の話を一度でも聴聞しての発言なのか甚だ疑問です。ろくに調べもせずにどうして高森会長だけなのか、会員の皆さんは胸に手を当てて考えてみて下さい。私は講師や先輩の言うことを鵜呑みにしていただけでした。

なぜ平生只今の救いなのに善をして「信仰」が進まなければならないのか?
信仰が進んでいない今は助からないことにならないか?
今日死んでしまったらいつ信仰が進んで助かるというのか?
そもそも信仰って何?
浄土真宗で信仰って言葉を使うの?
信仰が進むってどういうこと?


疑問に思ったことを納得いくまで会長や講師に質問してみて下さい。明確に答えてもらえなかったら、あるいは納得できなかったら本でなりネットでなり調べてみて下さい。
私が言うよりずっと、親鸞会教義は寄せ集めのカルト創作教義であることがハッキリする事と思います。
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高森会長はむちゃくちゃやなあ

>「仏教ではどんなに良いことでも師匠の許可がなければ悪いことになる」と説明しています。

人の話は聞くな、儂の話だけ聴いておけということなのかな。

仏語阿難 時世饒王仏 告法蔵比丘 如所修行 荘厳仏土 汝自当知
(仏、阿難に語りたまはく、「ときに世饒王仏、法蔵比丘に告げたまはく、〈修行せんところのごときの荘厳の仏土、なんぢみづからまさに知るべし〉と。)

引用箇所は、ここの、汝自当知(なんぢみづからまさに知るべし)の文言から拡大解釈をすれば可能かもしれませんが、たぶん何処かの説教談義本からの剽窃でしょうね。
これは法蔵菩薩が「斯義弘深 非我境界」(この義、弘深にしてわが境界にあらず。)と、自分の願いをを超えた救済の法を求めようとする一段なのですが、「仏教ではどんなに良いことでも師匠の許可がなければ悪いことになる」などという意味ではありません。

脱会者の方々から、高森親鸞会の二千畳で説かれる秘密の法文が漏れ聞こえる昨今ですが、もはや論評の域を超えているような気がするな(笑

>林遊@なんまんだぶ様

>人の話は聞くな、儂の話だけ聴いておけということなのかな。

その通りです。
高森会長こそ正しい親鸞聖人の教えを説く善知識と盲信する原因は、高森会長の話しか知らないことにあります。根拠に基づいたような話をしますし、人間の実相の部分に関しては納得できることが多いですから、特に何も知らない学生は騙されやすいです。
人生苦悩の有様を納得できるように説くからと言って、救いの法まで正しく説けるわけではないことを、会員の皆さんに知ってもらいたいと思います。

四弘誓願の一番最初に「衆生無辺誓願度」とある位ですから、菩薩が師仏に対してわざわざ「私は十方衆生を救いたいのですが、その許可を下さい」などと言われるとは、極めておかしな話ですよね。
例えて言うなら、会社員が朝会社に来て、上司に「今から仕事をしたいのですが、その許可をください」などと言うようなものでしょうか。

結局、経典の内容をでっち上げてまで、「絶対服従」「上意下達」のS会式組織論を会員に徹底させたかったんでしょうね。

>Rudel様

そうでしょうね。
そしてその野望は志半ばにして信用を失い、潰えようとしています。残るは情報弱者と、どの宗教にもある「組織にしがみつく人」のみと言っていいでしょう。因果の道理間違いなしです。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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