極端すぎる親鸞会の主張

「一切衆生、必堕無間」説や本尊論など、親鸞会の主張は極端すぎます。

「すべての人は例外なく、死ねば必ず無間地獄に堕ちて、八万劫中大苦悩ひまなく受ける一大事をもっている。これを後生の一大事という」
「親鸞聖人、蓮如上人は名号のみを本尊とされた。絵像や木像を本尊にしているのは他流である。他流とは他に流れると書くが、地獄行きの連中のことだ」
ということを、学友部時代から何十回、何百回聞いたか分かりません。
このように何か一つの結論の元、お聖教を断章して解説されるので、何も知らない素人は「そうなのか」と思ってしまいます。

ところが、極端すぎる主張は案外脆いものです。
「必ず」とか「のみ」という言葉を使って表現されている文章は、反証事例を一つでも示せば間違いになります。当然のことです。

一切衆生必堕無間は、
・経典、お聖教のどこにも根拠がない
・自力念仏の者は化土往生すると『大無量寿経』に説かれている。
・善知識方はその『大無量寿経』のお言葉を用いて、同じく化土往生についても教えられている。

本尊論については、
・山科本願寺は、蓮如上人在世中木像本尊だった。


ということから、既に会の主張は破られているのです。それを認められず、苦しい言い訳をしているのが親鸞会なのです。その苦しい言い訳が破られては、また言い訳を重ねて・・・と、傍から見てみると実に見苦しい団体です。


高森会長が決めた結論の元にお聖教を読み進めていくと、必ず矛盾が生じます。上に挙げた2つの命題も、宿善や修善の問題も、他にもありますが、善知識方は高森会長のようなことを仰っておられません。
その矛盾を脳内変換して「これはこういうことだろうからやっぱり高森先生に間違いない」と結論づける人は、ある種高森会長に惚れている状態の人です。惚れた人の事は欠点でも良い事のように脳内変換しますし、惚れた人の批判を聞くと、その批判がもっともなことであっても、批判した人を憎く思ってしまいます。普通そういう情熱は長くは続かないのですが、熱が冷めないように活動があるのでしょう。
しかし、そうは言ってもやがては冷めるものです。冷めてみると、「どうしてあんな人の言うことを真に受けていたんだろう」と気付きます。取り返しのつかない後悔をする前に、会員の皆さん一人一人の熱が冷めてほしいと思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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