【ツッコミ】七大経⑫-11(凡愚低下の罪人の全人類に善ができるのか、できないのか)ー諸仏方、善知識方は化土往生を勧めていません(1)

『浄土真宗親鸞会 奥越親鸞学徒の集い』七大経⑫-11(凡愚低下の罪人の全人類に善ができるのか、できないのか)

では、珍しい教えがどんどん出てきております。既に

『飛雲』高森会長は異安心決定でいいですか、O講師。

にて破られていますが、こちらでも文証を挙げて珍説の誤りを正したいと思います。


諸仏方、善知識方は
御出世の本懐である
弥陀の本願一つを説かれ、
18願真実の世界に
導こうとなされている。

釈尊をはじめ十方諸仏が
廃悪修善を説かれたのは
因果の道理が宇宙の真理で
あるからではなく、
弥陀の19の願意を開顕し、
本願に相応させるためである。

しかし、十九願の善、二十願の念仏を
勧められる時、

「これはお前にはできない善だけれど
 できないことを知るために
 やるんだから、
 できない善でもやりなさい」

などとは勧められない。

「この善ができれば
 仏になれるからやりなさい」

「この善ができれば
 化土往生できるからやりなさい」

「この念仏を称えたなら
 化土往生できるから称えなさい」

と、勧めるのだ。



果たして釈尊や親鸞聖人は、
「この善ができれば化土往生できるからやりなさい」
「この念仏を称えたなら化土往生できるから称えなさい」
などと教えられているのでしょうか? 今回は『大無量寿経』の御言葉と『御和讃』を紹介したいと思います。まず、『大無量寿経』の御言葉です。少し長いので、読む気が失せてしまうという人は原文の最後の段落と現代語訳をご覧下さい。

「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修してかの国に生れんと願はん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆゑに、かの国土においてこれを胎生といふ。
もし衆生ありて、あきらかに仏智乃至勝智を信じ、もろもろの功徳をなして信心回向すれば、このもろもろの衆生、七宝の華中において自然に化生し、跏趺して坐し、須臾のあひだに身相・光明・智慧・功徳、もろもろの菩薩のごとく具足し成就せん。
【44】 また次に慈氏(弥勒)、他方仏国の諸大菩薩、発心して、無量寿仏を見たてまつり、〔無量寿仏〕およびもろもろの菩薩・声聞の衆を恭敬し供養せんと欲はん。かの菩薩等、命終りて無量寿国に生ずることを得て、七宝の華の中において自然に化生せん。弥勒、まさに知るべし。かの化生のものは智慧勝れたるがゆゑなり。その胎生のものはみな智慧なし。五百歳のなかにおいてつねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・もろもろの声聞の衆を見ず、仏を供養するによしなし。菩薩の法式を知らず、功徳を修習することを得ず。まさに知るべし、この人は宿世のとき、智慧あることなくして疑惑せしが致すところなり」と。
【45】 仏、弥勒に告げたまはく、「たとへば、転輪聖王のごとき、別に七宝の宮室ありて種々に荘厳し、床帳を張設し、もろもろの旛を懸く、もしもろもろの小王子ありて、罪を王に得れば、すなはちかの宮中に内れて、繋ぐに金鎖をもつてす、飲食・衣服・床褥・華香・妓楽を供給せんこと、転輪王のごとくして乏少するところなけん。意においていかん。このもろもろの王子、むしろかの処を楽ふや、いなや」と。
対へてまうさく、「いななり。ただ種々に方便して、もろもろの大力〔ある人〕を求めてみづから免れ出でんことを欲ふ」と。仏、弥勒に告げたまはく、「このもろもろの衆生もまたまたかくのごとし。仏智を疑惑せしをもつてのゆゑに、かの〔胎生の〕宮殿に生じて、刑罰乃至一念の悪事もあることなし。ただ五百歳のうちにおいて三宝を見たてまつらず、〔諸仏を〕供養してもろもろの善本を修することを得ず。これをもつて苦とす。余の楽ありといへども、なほかの処を楽はず。もしこの衆生、その本の罪を識りて、深くみづから悔責して、かの処を離れんことを求めば、すなはち意のごとく、無量寿仏の所に往詣して恭敬し供養することを得、またあまねく無量無数の諸余の仏の所に至りて、もろもろの功徳を修することを得ん。弥勒、まさに知るべし。
それ菩薩ありて疑惑を生ずるものは、大利を失すとす。このゆゑに、まさにあきらかに諸仏無上の智慧を信ずべし」と。


【現代語訳】
「さまざまな功徳を積んでその国に生れたいと願いながら疑いの心を持っているものがいて、無量寿仏の五種の智慧を知らず、この智慧を疑って信じない。それでいて悪の報いを恐れ、善の果報を望んで善い行いをし、功徳を積んでその国に生れたいと願うのであれば、これらのものはその国に生れても宮殿の中にとどまり、五百年の間まったく仏を見たてまつることができず、教えを聞くことができず、菩薩や声聞たちを見ることもできない。そのため、無量寿仏の国土ではこれをたとえて胎生というのである。
(44) また弥勒よ、他の仏がたの国のさまざまなすぐれた菩薩たちも、さとりを得ようとして無量寿仏を見たてまつり、その仏をはじめとして菩薩や声聞たちに至るまで敬い供養したいと思うのである。これらの菩薩たちも、命を終えて後に無量寿仏の国に生れ、七つの宝でできた蓮の花におのずから化生するのである。
(45) 釈尊が弥勒菩薩に仰せになった。
 「たとえば転輪聖王が王の宮殿とは別に七つの宝でできた宮殿を持っているとしよう。そこにはさまざまな装飾が施されており、立派な座が設けられ、美しい幕が張られ、いろいろな旗などがかけられている。その国の王子たちが罪を犯して父の王から罰せられると、その宮殿の中に入れられて黄金の鎖でつながれるのであるが、食べものや飲みもの、衣服や寝具、香り高い花や音楽など、すべて父の王と同じように何一つ不自由することがない。さてその場合、王子たちはそこにいたいと願うだろうか」
弥勒菩薩がお答えする。
 「いいえ、そのようなことはないでしょう。いろいろな手だてを考え、力のある人を頼ってそこから逃れ出たいと思うでしょう」
 そこで釈尊が弥勒菩薩に仰せになる。
 「胎生のものもまたその通りである。仏の智慧を疑ったためにその宮殿の中に生れたのであって、何のとがめもなく、少しもいやな思いをしないのであるが、ただ五百年の間、仏にも教えにも菩薩や声聞たちにも会うことができず、仏がたを供養してさまざまな功徳を積むこともできない。このことがまさに苦なのであり、他の楽しみはすべてあるけれども、その宮殿にいたいとは思わないのである。
 しかしこれらのものが、その苦は仏の知恵を疑った罪によると知り、深く自分のあやまちを悔い、その宮殿を出たいと願うなら、すぐさま思い通り無量寿仏のおそばへ行き、うやうやしく供養することができる。また、ひろく数限りない仏がたのもとへ行ってさまざまな功徳を積むこともできる。
 弥勒よ、よく知るがよい。仏の智慧を疑うものはこれほどに大きな利益を失うのである。そうであるから、無量寿仏のこの上ない智慧を疑いなく信じるがよい」


仏智を疑う者は胎生(化土往生)であって、大利を失うから明らかに仏智を信じなさいと教えられています。親鸞聖人はこのお言葉を『教行証文類』に引用され、仏智疑惑を誡めておられるのです。(つづく)
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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