【検証】一切衆生必堕無間と説く誤りについて

親鸞会における二種深信の誤解について、特に機の深信に着目して、

【検証】会員の非難(3)

で述べました。

これと関係ある問題として、親鸞会で説かれる「一切衆生必堕無間」があります。この呪いは中々解けず、会を辞めてからも苦しんでいる方がいらっしゃると思いますので、今回も取り上げることにします。

これを縁に、まだ呪いで苦しんでいる方は早く呪いから解放され、阿弥陀仏の救いに遇って頂きたいと思います。



誤りは大きく3つありますが、今回はそのうちの2つについて述べます。


(1)経典、お聖教に根拠がない

詳しくは『親鸞会教義の誤り』一切衆生は必堕無間なのか1~10

を参照して頂きたいと思います。

昨日も述べましたが、釈尊が経典に説いていないことを、さも説いているように本に書いたり、話をすることは謗法罪です。

既にこの時点で仏教としてはアウトです。一切経に根拠のない事を説く者は、断じて「仏法者」ではありません。ですから、親鸞会から離れても一向に差し支えありません。


ただ自分の心を考えると自分は地獄ではなかろうかと、真面目に自己を見つめている方もありましょうから、話を続けたいと思います。

個人的には、このような真面目な方にこそ早く救いに遇って頂きたいものです。



(2)親鸞聖人の教えと出発点が違う

親鸞会では、よく「仏教は後生の一大事を知るところから始まり、その解決に終わります」ということを聞くと思います。

まず「死ねば必ず無間地獄に堕ちる」という後生の一大事を知らされること、これが出発点になっています。だから自己の罪悪に非常に重きが置かれます。

ちなみに「後生の一大事」が「死ねば必ず無間地獄に堕ちる」という意味ではないことは、

『21世紀の浄土真宗を考える会』「後生の一大事」といふ事

を参照下さい。

また、後生の一大事の自覚という問題については、

『21世紀の浄土真宗を考える会』『よすみ法語』より 利井鮮妙和上の言葉 一大事の自覚

が参考になると思います。


そして、「死ねば必ず無間地獄に堕ちる」という後生の一大事が徹底される結果、地獄に堕ちないために信心を獲得しよう、地獄に堕在しないための信心という発想になってしまいます。私もそうでした。

この方向性は明らかに『御文章』と異なります。2、3根拠を示しますと、

「そもそも、開山聖人(親鸞)の御一流には、それ信心といふことをもつて先とせられたり。その信心といふはなにの用ぞといふに、無善造悪のわれらがやうなるあさましき凡夫が、たやすく弥陀の浄土へまゐりなんずるための出立なり。」(2帖目2通)

「それ他力の信心といふはなにの要ぞといへば、かかるあさましきわれらごときの凡夫の身が、たやすく浄土へまゐるべき用意なり。」(2帖目12通)

と、信心を「浄土に往生する」という方向性でいつも教えられています。



では、親鸞聖人の教えの出発点はどこでしょうか?

まず、主著である『教行信証』総序は、

「ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は」

と始まります。

次に『教行信証』教巻の最初は、

「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」

です。このことが、『浄土文類聚鈔』には

「しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。」

と説かれています。

『教行信証』教巻では、その直後に、真実の教とは何かについて、

「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。」

と示され、『大無量寿経』に説かれていることを、

「ここをもつて如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。」

と教えられています。


「阿弥陀仏の本願」、「本願力回向」、「仏の名号」が出発点であることが分かります。親鸞聖人は、終始「本願を聞け」とお勧めです。

阿弥陀仏の本願の讃嘆で親鸞聖人の御著書は埋め尽くされているといっても過言ではありません。

親鸞聖人がこのように説かれるのは、

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」(正信偈)

と教えられているように、お釈迦様の出世本懐が阿弥陀仏の本願以外にないからでしょう。

「親鸞学徒」を自称するなら、珍しい教えを弘めていないで、親鸞聖人の教えをそのまま伝えてもらいたいものです。

「死ねば必ず無間地獄に堕ちる」を強調し、ことさらに自己の罪悪を問題にすると、自己ばかり見て本願に目が行かなくなります。その弊害が甚大なのですが、それについては記事を改めて書きたいと思います。
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会長の話は、ひたすら必堕無間や罪悪の話(機についての話)しかせず、本願の(法の)お話がろくになされませんから、機にばかり目が向いて法に目が向かなくなる話なんですよね…

苦笑さんのblogに、稲城選恵勧学の論文が全文掲載されていますが、あれを読んだときは衝撃的でした。S会の説かれる教えの誤りを、ズバズバと、明確かつ理路整然と指摘されていて、紅楳先生の論文よりも衝撃的でした。
高森会長の信心のいかんは阿弥陀仏しかわかりませんし、私がどうこう言える事ではないのですが、
あの論文読むと、少なくとも会長の説く内容に関しては、信機秘事か地獄秘事の異安心と呼ばれても仕方がないと思います。

> Rudel様

全く仰る通りです。

会員は善のできない自分、地獄しか行き場のない自分を知らされたからといってどうなるのでしょうか?

自分が善をしていって「善ができない者」「地獄しか行き場のない者」と驚き立つようなら、諸仏は見捨てたりしなかったでしょう。

会員はそれは十九願力でどうとか主張しますが、本願力はよく聞く一方、十九願力などというのは聞いたことがありません。


後生や流転輪廻の実相に対して、全く驚く心も助かりたいという心も持ち合わせない者だからこそ、阿弥陀仏はやるせない大慈悲心から本願を建てられ、衆生救済に立ち上がって下されました。

そして、衆生が本願を信じ念仏する一つで浄土往生が決定するようにして下されたのが第十八願です。

会員の方が早く珍しい教えから離れ、真実なる誓願(十八願)を計らいなく受け入れて念仏する者になってくれることを念じて止みません。

ちなみに

稲城勧学の論文

『現代の教学問題――派外からの論議について――』(宗義問題研究会)所収の稲城選恵「二種深信について」
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-470.html
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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