【検証】一切衆生必堕無間と説く誤りについて2

「一切衆生必堕無間」と説くことの誤りについて、前回の続きです。

今回は、3番目の理由について述べます。



(3)私が先手になり阿弥陀仏が後手になるため、本願を計らいなく受け入れられない

前回の最後に、
『「死ねば必ず無間地獄に堕ちる」を強調し、ことさらに自己の罪悪を問題にすると、自己ばかり見て本願に目が行かなくなる。その弊害が甚大である』
と書いたことについてです。

まず「一切衆生必堕無間」と聞いた親鸞会会員がどういう考えを持っているのか、会員の意見を基に考察してみます。

「一切衆生必堕無間」と説くことを擁護する、会員が書いたサイトを見つけましたので、そのサイトから会員の考え方を引用します。

読むといろいろと批判できる点があるのですが、今回は会員の考え方を引用するだけにとどめます。

当ブログの読者の皆様に、以下のサイトを読んで頂きたいと思います。そして、ご意見があればコメント欄にコメントお願いします。今後の記事の参考にしたいと考えております。

そのサイトとは、【親鸞会懐疑論批判】という一般会員が書いているブログです。

一方、講師部員や特専部員、親友部員がこのような反論ブログを立ち上げているのを最近では見たことがありません。親鸞会の上層部の方々も見習ってほしいと思います。


・「地獄に堕ちるのではなかろうか」と思うからこそ、より真剣に善に励まずにおれなくなるのです。

・感情的に「恐ろしい!」と思いこもうとしたり、「オレは地獄だ、地獄だ」などと暗示をかけたりして分かる「後生の一大事」ではないのです。
そういう感情的信仰を、徹底して排斥されているのが仏教なのですから。つねに聞法し、因果の道理を聞いて、信じて、実践して、通るべき道を通って、初めて知らされてくるのです。

・「弥陀はお前を『助かる縁なき、地獄一定の極悪人』と見抜かれた上で、そういうものを絶対の幸福に救い摂ると誓われている。
ハッキリするところまで、光に向かって進め」と、教え勧められているからこそ、真実の救いの世界まで、進ませて頂けるのです。

・因果の道理は大宇宙の真理、狂いはないのですよ、幸福になりたければ、善い行いをしなさいよ」「善ができる私か、どうか。
やってみないことには、そのどちらもハッキリしませんよ、やってみよ」と、いつも教えて頂いているとおりです。

(以上、今回の内容に関係ある部分を上記のサイトより引用しました)


「一切衆生必堕無間」と「親鸞会でいうところの善のすすめ」が一体となって、【検証】会員の非難(1)で指摘した、

・善をしなければ信仰は進みません
・一生造悪の自己を徹見する
・後生に恐ろしい結果が引き起こると驚きを立てる
・そして、また廃悪修善を実行する
・雑行が分かり、雑行が廃って助かることがある

という親鸞会の指導を見事に踏襲していることが読み取れます。

その親鸞会の指導の下、会員は『助かる縁なき、地獄一定の極悪人』と知らされよう、知らされようとしてしまうのです。


これだと「地獄しか行き場のない私」が先にあり、「私を救う阿弥陀仏」は後となります。

それに対して、親鸞聖人の教えは、【検証】会員の非難(1)で述べたように、「私を救う阿弥陀仏」が先で、私は真実なる誓願を計らいなく受け入れるのみです。阿弥陀仏の先手の一手で勝負は決まりです。

私が「地獄いきの後生が問題にならなければ」と思う心は、如来の仰せに計らいを入れている自力の心であって、只今の救いの邪魔になっているのです。

今回の最初に書いたように、「一切衆生必堕無間」を出発点とすることで、ことさらに自己の罪悪を問題にすることになり、自己ばかり見て本願に目が行かなくなってしまっているのです。


しかも、「一切衆生必堕無間」と説くだけではなく、親鸞会には「善のすすめ」があるので、心は自己の実践する善に向かってしまい、ますます阿弥陀仏の本願に向かわなくなってしまっていることが、上の会員の考え方からうかがえます。

「選択本願は浄土真宗なり」(末灯鈔)

と親鸞聖人が教えられた「選択本願(18願)」から遠ざける説き方をしているのが、親鸞会の実態です。

「平生業成」は親鸞聖人のみ教えの一枚看板といいながら、「只今私を救う本願」に心が向かわせないような説き方もする。
30年、40年聞いて合点できないのは当然です。


これからも「死ねば必ず無間地獄に堕ちるという後生の一大事」を出発点とし、「善ができる私か、どうか。やってみないことには、そのどちらもハッキリしませんよ、やってみよ」と修善を勧め、本願のこころがおろそかにされるならば、会を離れて求めた方が得策です。

我々がいくら善をした所で、「地獄しか行き場のない自分」が判る程、我々はおめでたくありません。

それに、自己にばかり目が向いていても、阿弥陀仏に向かわなければ救いはないのです。

やはり会員は、「地獄一定の自己が知らされる」のを機の深信と思い込み、機の深信の裏には法の深信が必ずあるはずだという誤解も混じっていることと思われます。

二種深信とは、別々の二つの事が同時に知らされるのではなく、他力の信心を二つに開いた形で表現されたものであり、機の深信と法の深信とで矛盾は全くありません。

昨日の記事のコメント欄で、Rudelさんから教えて頂いた『現代の教学問題――派外からの論議について――』(宗義問題研究会)所収の稲城選恵二種深信についてを合わせて読んで頂けると、二種深信についての親鸞会の誤りがよくわかると思います。



親鸞会にいても救いがないと思う、あるいは退会したけれども後生が気になっている方は、この先不安に過ごすのではなく、いっそのこと本願に救われて下さい。

ただ南無阿弥陀仏です。
南無阿弥陀仏のいわれを聞いて下さい。

『御文章』には、凡夫往生の要は全て書かれていますから、拝読をお勧めします。

その際「たのむ、たすけたまへ」に気をつけて読んで下さい。

「たのむ、たすけたまへ」については21世紀の浄土真宗を考える会に最近繰り返しかかれていますので、よく読んで頂きたいと思います。

また、安心問答もぜひ見て頂きたいサイトの一つです。


阿弥陀仏の本願は「この私」を除いてあり得ません。
十方衆生と誓ってはおられますが、「この私」一人のためのご本願です。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」(歎異鈔)

早く皆さん一人一人が、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに○○一人がためなりけり」と救われて頂きたいと思います。

○○は、勿論貴方の名前です。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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