【ツッコミ】極重悪人と三願転入(3)ー根拠も解釈も偽物が好きな自称本願寺の僧侶

夢幻界裡の覚醒 極重悪人と三願転入

へのツッコミを続けたいと思います。


『親鸞聖人御遺言法語一名真宗授要続編 釈 教名集』を出して、親鸞聖人が定散二善を勧めた根拠にしています。これについて、

『飛雲』井の中の懲りない面々のコメント欄

で幹部会員歴数十年さんが指摘しておりますので引用します。

『親鸞聖人御遺言法語一名真宗授要続編 釈 教名集』について、『真宗大辞典巻二』(鹿野苑刊)p.1264に、
「親鸞聖人御法語二巻、文応元年(1260)6月聖人の弟子教名の集めし者にして宝暦11年(1761)6月教名の末孫常陸笠間の光照寺教円がこれを校刻した。」とあり、本願寺派の江戸時代の学者玄智や履善はこれは宗祖のものでもなく、又宗祖の意に反する内容のもとしている。
とあります。根拠も解釈もすべて偽物が好きなんですね、M野。


それらしい根拠があれば何でも引っ張ってくる傾向がブログの著者には見受けられます。宗祖の教えは宗祖の御言葉をもって示して頂きたいものです。



されば、19願の相手は、
形が浄土門かどうかではない。
形ではなく、心が問題である。

「極重悪人に対して善の勧めは”不要”などと
 自分で計らう余地がある程度の信仰で、
 逆悪の自分とは知らされていない”疑心の善人”もすべて」
が相手である。

(中略)

未だ、「極重の悪人」と知らされていない「疑心の善人」に、
絶対に必要なものが19願の方便だったのである。



ブログの著者は度々「疑心の善人」という言葉を使っていますが、意味をよく心得ているのでしょうか? まず、親鸞聖人が「疑心の善人」と仰っているお言葉を挙げます。『正像末和讃』の仏智疑惑和讃の一首です。

罪福ふかく信じつつ 善本修習するひとは
 疑心の善人なるゆゑに 方便化土にとまるなり

(訳)
善悪因果の道理を深く信じて、自力念仏に励んでいる人は、本願を疑う善人なので、真実の浄土ではなく、方便化土に止まるのです。

ご和讃の最初の二句「罪福ふかく信じつつ 善本修習するひとは」のもとになったのは、『大経』の「なほ罪福を信じて、善本を修習して、その国に生ぜんと願ぜん」のお言葉です。親鸞聖人はこのお言葉を『化身土文類』では、要門について教えられている部分と真門について教えられている部分の2カ所に引文されています。ですから、「罪福ふかく信じつつ善本修習するひと」とは19願または20願の行者であり、それを「疑心の善人」と教えられているのです。そして、そういう19願、20願の行者は方便化土に止まると仰って、18願を疑うことを誡められているお言葉です。

そういう「疑心の善人」というお言葉をもってきて

「疑心の善人」に、絶対に必要なものが19願

とブログ著者は書いていますが、文脈を無視した解釈と言わざるを得ません。
19願・20願の行者に本願疑惑を誡められているのが、上のご和讃です。19願の行信を勧められているお言葉ではなく、19・20願の行者を誡められたお言葉です。意味が反対なのです。言葉の意味も理解していない自称本願寺の僧侶は、一から本願寺で勉強し直した方がよろしいかと思います。



「極重の悪人は、他の方便なし。」とは、

「19願の定善散善の勧めが不要」というこちらの計らいなどではない。

「19願の定善散善など出来ない極重の悪人でありました、
 弥陀を称する他力以外に救われる道はありませんでした」
という、弥陀の御心の信知である。



またしてもこのような珍説を唱えております。そこまで自信満々に仰るのでしたら、
極重の悪人と知らされるために定善・散善をせよと教えられた親鸞聖人の直の御言葉を示して下さい。
大体定散二善は、行自体は聖道行であり、親鸞聖人は定散二善は出来難いことを「化身土文類」に教えられています。そして速やかに真門へ入れよと仰せられてあります。「速やかに」ということを親鸞会ではどのように理解しているのでしょうか? 「善を一生懸命やってできない自分と知らされて」からでは「速やかに」ではありませんよ。
ただし、真門の教説は本願の名号の称功を認めておりますから、仏智を疑い報土往生することができません。ですから本願力によって自力の心を離れなさいと18願をお勧めになっているのです。
このように真門を勧められている個所は「教行証文類」に一か所だけあります。しかし、後には廃捨されている権仮方便の教説ですし、親鸞聖人が最も力を入れられたのは「誡疑讃」などに見られる信疑廃立ですから、親鸞聖人のお勧めは18願一つと言うことができます。



「定散の諸機」は、「定善・散善ができる人」ではなく

「極重悪人」と宗祖が言われている。



これは、親鸞聖人の

『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。

の御言葉が根拠なのでしょうが、本願寺出版社の現代語訳によれば、

また『観無量寿経』に説かれる定善・散善を修めるものについて、きわめて罪が重い悪人はただ念仏すべきであるとお勧めになっているのである。

とあって、「定散の諸機」=「極重悪人」ということは言われていません。もっと本願寺の教学を勉強してからものを言って下さい。でなければお笑いものです。


「自称本願寺の僧侶の矛盾点は、まだまだある。」のですが、ありすぎますので今回はこの位にしておきます。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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