【ツッコミ】極重悪人と三願転入3ー自爆&情けない自称本願寺の僧侶

『夢幻界裡の覚醒』極重悪人と三願転入3

では、『飛雲』に加えて当ブログを意識した記事が書かれています。引用するのは構いませんが、どうせならURLを載せて堂々と反論してもらいたいところです。陰でこそこそと批判し、会員へのワクチン接種しかできないところは、いつまでたっても直らないTS会の体質です。

さて、極重悪人と三願転入3では大きく2つの論点について書かれています。1つ目が、「定散の諸機」=「極重悪人」なのかということについて。そして2つ目が、三願転入についてです。

1つ目は、『飛雲』「定散の諸機」「極重悪人」と「機の深信」悪人正機も理解できない親鸞会にも書かれているのでご覧下さい。「自分の力では報土往生できない」という点では定散の諸機も極重悪人も同じであると親鸞聖人は見られ、共に「ただ弥陀を称せよ」とお勧めになっています。しかし、だからといって「定散の諸機」=「極重悪人」ではありません。『飛雲』にも書かれているように、国語の問題です。



2つ目の三願転入についてですが、


>【三願転入の教え】

【三願転入は万人が通らされるプロセス】

これらは、他の文献にも多々あることは事実であるから、
認めざるを得なかったであろう。



別に私は上の自称本願寺の僧侶氏の説を認めたとも認めないとも書いていません。三願転入は、まず親鸞聖人の実際の体験なのかそうでないのか、全ての人にあてはまるのかそうでないのか、あてはまるとしたら三願転入をいつの事と見るべきか、など様々に議論の分かれるところですから、私は「三願転入のとらえ方については各種様々ですが」と書きました。
それにTS会で言われる「三願転入の教え」とは、選択の願海に転入するのに、まず万行諸善の仮門、そして善本徳本の真門で教えられる行を修せよという教えです。つまり、18願の救いに遇うために、19願・20願の行を修せよという教えなのです。実際会員がそのように理解していることは、

これが親鸞会会員の三願転入の理解です

のciel氏の説を見れば分かります。そのような珍説は浄土真宗にはありませんので、「TS会で説かれるような三願転入の教えはない」というのが当ブログやTS会批判者の立場です。
よくTS会会長は三願転入の説明をする時に、

この親鸞は、善知識方のお導きによって、こうこうこういう道を通って選択の願海に転入した。ではどういう道かと言うと、まず「久しく万行諸善の仮門にいた」と仰っている。

と話し、万行諸善の仮門である19願の説明に入っていました。そして19願を開説された『観経』の顕説から定散二善を挙げ(※1)、イダイケが定善に取り組んだように吹き込み(※2)、縦と横の線を指して「横の道(※3)を通らなければ(ここを、19願の修諸功徳の善を実行しなければと会員は理解する)、選択の願海へは入れない」という内容の話を延々されたのを覚えています。

※1 私の在籍当時は定散二善の内容はろくに説明されませんでした。
※2 イダイケは定善を実行していません。
※3 横の道に該当する教えは浄土真宗にはありません。


定散二善を根拠とした善を勧めるのは、「善ができる」という私達の自惚れ心を捨てさせ、願に相応させるためであると何度も聞き、「善をしなければ信仰は進みませんよ」と会合では繰り返し聞かされました。ところがこの度、自称本願寺の僧侶は


>親鸞会で金輪際主張されていないことを、
親鸞会の主張だと言っている。

「十八願の救いに遇うために十九願・二十願の行を実践せよ」

親鸞会で、こんなことが教えられているのだと言う。

(中略)

18願の救いは、「名号を聞く一つ」。
これが親鸞会の主張である。



と主張してきました。一体この僧侶はTS会で何を聞いているのかと疑いたくなります。
TS会がいつも「目的地ですよ」などと話している18願の救いへの道のり、道程ということで19願、20願の説明がなされ、19願については「阿弥陀仏が勧めておられるんだぞ。万行諸善の仮門のことを善導大師は要門と仰せだ。要門とは、重要、必要、絶対に通らねばならないかなめの教えということだ。善をせよ、やらないものにはできるかどうかどちらもハッキリしないのだ。それでは、逆謗の屍と見抜かれた本願に相応しないのだ」などと説かれています。その結果、会員は尻を叩かれて、やれ法話の目標参詣人数が足りんだとか、やれ正本堂御報謝の募り直しだ、ドメイン財施だと活動しているのに、このような発言をしています。


>都合の悪いところは誤魔化そうとしているのもよくわかる。

とは、自称本願寺の僧侶氏自身のこととしか思えないのは私だけではないでしょう。
「十八願の救いに遇うために十九願・二十願の行を実践せよ」というのが間違いで、「18願の救いは、「名号を聞く一つ」」というのならば、獲信のために(因縁として)定散二善を勧めるTS会教義は間違いということになります。TS会が会員に善を勧めるのは、会員を18願の救いに導く以外にないはずだからです(それとも別の目的があるのでしょうか?)。
自称本願寺の僧侶さん、長々と御苦労様でした。おかげでTS会教義が破綻したデタラメな教義であることがよくわかりました。


それでも、

>まだ「定善も散善も出来ぬ極重悪人」とは知らされていないならば、
ただ弥陀を称せよとお勧めの相手ではない。


と主張し、定散二善を勧めるのならば、長々とした説明は結構ですから、18願の救いを求める人に「定善も散善も出来ぬ極重悪人」と知らされるために定散二善を修せよと教えられた親鸞聖人のお言葉を示して下さい。断っておきますが、偽物の根拠を出されても誰も認めませんのでお忘れなく。


ところで、

『さよなら親鸞会』本願寺に魂を売る講師部員

では、二股かけている講師部員、親友部員がいるとのことですが、二股という点では自称本願寺の僧侶氏も変わりません。貴方の尊敬するT会長は自ら本願寺を飛びだしたのに、この僧侶はわが身の生活が心配で御身大切・保身に汲々とし、そんな勇気がないのでしょうか。或いは立場を詐称しているのでしょうか。本当に僧籍を取っている本願寺の僧侶ならば情けないことこの上ありませんし、立場を詐称しているならばそんな者が内道だの因果の道理だの廃悪修善だのと言っていても全く説得力がありません。


以上で、今回のツッコミは終わります。


【補足】
親鸞会ブログ・ポータルナビに以下のツッコミも入っています。


>「十八願の救いに遇うために十九願・二十願の行を実践せよ」
> 
> 親鸞会で、こんなことが教えられているのだと言う。

もしこれが間違いだとすると、親鸞会では何のために十九願・二十願の行の実践が勧められているのだろう?

信心決定と無関係なことを一生懸命勧めているわけ?

親鸞会は信心決定一つ目的とする団体、というのは大ウソだったの?

名無しさん|1|2010-09-09 08:02


「過去世に仏縁薄き者、宿善浅きものは、現世に於て宿善は求められねばならない。でなければ、宿善開発の時節到来ということはあり得ない。」

「宿善というものも待っていて来るものではなく、努力精進して求めてゆくものである。かかる人にこそ宿善到来ということがあるのである。」

宿善を求めないと信心決定は「あり得ない」そうです。

「十八願の救いに遇うために十九願・二十願の行を実践せよ」
っていうのと、何が違うの?

名無しさん|2|2010-09-09 09:42


親鸞会がいつも使う逃げの手口をまた使ってますね。

>「十八願の救いに遇うために十九願・二十願の行を実践せよ」
> 
> 親鸞会で、こんなことが教えられているのだと言う。

「我が身の後生の一大事解決のため(18願の救いに遭うため)に、御報謝頑張りましょう(善をしましょう)」
「御報謝を頑張るのは誰のためでもありません。我が身の後生の一大事の解決のためです」

親鸞会の講師から耳にタコができるぐらい聞かされましたよ。

こう言うとおそらく「善をしなければ信仰が進まないということと、善をすれば救われるということは違う。それがわかってない。」といういつものドグマが登場します。

もしそうなら、「善をしなければ信仰は進まない」と仰った親鸞聖人のお言葉を示してください。

(以下略)

名無しさん|3|2010-09-10 00:08
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Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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