なぜ只今の救いに遇えないのか

只今救われる本願なのに、なぜ只今の救いに遇えないのか?

六道輪廻の鎖を断ち切られ往生成仏することが仏教の目的と知らされ、聞法にいそしんでいる方にとって、これは最大の謎であると思います。

聞法といっても、自力諸行往生を誓われた十九願や、自力念仏往生を誓われた二十願の教えを勧めるような教えを聞いていても今の救いには遇えません。

自力の造作をまじえない他力念仏往生を誓われた十八願を聞かねばなりません。

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」(教行信証総序)

と親鸞聖人が勧められている通りです。



ところが、せっかく親鸞聖人の教えに遇い念仏していても、自力の計らいのある間は阿弥陀仏に一心一向になれません。

なぜ救われないかというと、自力の計らいが邪魔してるからです。

本日はわかりやすく図にして表現します。
『真の知識にあうことは』の「なんとなく」の記事の図を使わせて頂きました。他力が→の矢印として、自力が←の矢印です。

阿弥陀仏→→→→→→私

これが、信心獲得の行者のすがたとします。自力の心がなくなり、如来の仰せを計らいなく受け入れています。

それが自力の計らいがある間は、

阿弥陀仏→→→←←←私

という図になっています。
阿弥陀仏の仰せを受け入れられず、反発しているわけです。

これが、

阿弥陀仏→→→→→←私

という状態でも自力の造作を加えていますから救われていないのです。



これも喩えになりますが、ドラクエをやった事がある方なら想像してみて下さい。

阿弥陀仏が私にベホマをかけて回復しようとされているのに、私は攻撃を受けると勘違いし、マホカンタを自分にかけて呪文を跳ね返しているようなものです。

せっかく阿弥陀仏がいてつく波動でマホカンタを消して下さるのに、私はずっとマホカンタを詠唱し続けて、それでいて「助からない」と言っているようなものなのです。

FFならベホマがケアルガ、マホカンタがリフレク(いてつく波動は???)ですかね☆



ちなみに親鸞会のように「獲信の因縁(宿善)として諸善を修せよ」という勧めに従うと、自己の修する善ばかりに心が向き、

阿弥陀仏→→←←←←私

とますます他力をはねつけてしまうわけです。

もっと言うと、最近の顕正新聞には自力の説明に阿弥陀仏が出てこなかったりするため、

????←←←←←←私

となってしまっていて、会員はただ親鸞会の勧める通りに動いている状態です。



ここで断っておきますが、聞いていくと段々と→の矢印が増え、←の矢印が減っていくというわけではありません。

他力の一方的な救いに対し、自力の造作をまじえているから助からないということを分かって頂くために、誤解をおそれずに図解、説明をしました。

どうしても喩えでは合わない部分が出てきてしまいますが、もっとよい喩えがあったら教えて頂きたく思います。



自力を捨てて弥陀をたのむしか我々が救われる術はありません。

このことを蓮如上人は、

「自力執心の悪き機の方をばふり棄てて、ただ「不思議の願力ぞ」と深く信じて、弥陀を一心にたのまん人は、たとえば十人は十人ながら、みな真実報土の往生を遂ぐべし。」(御文章3帖目7通)

と仰り、梯實圓和上『本願のこころ』には、

「自力のはからいが、如来も浄土も救いも、すべてを消し去ってしまうのです。
そのような自力のはからいを「本願を疑う心」というのです。
それゆえ私たちは、本願を聞くときには、私の考えをまじえずに、ひたすら如来の仰せを仰せのままに聞き受ける以外に如来の救いに遇わせて頂く道はないのです。」(p85)


と書かれています。

どうか阿弥陀仏の真実なる誓願を計らいなく受け入れ、念仏する身になって頂きたいと思います。

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No title

 高森氏がよく言っていましたが、例え話は一分しか表せないというのは確かなので、
誰しもうまく話を組み立てるのに苦しむところだと思います。
 この喩えでいえば、合わないのは強いて言えば「距離感」ではないでしょうか。
 私と阿弥陀仏に距離はなく、仏凡一体、どこに矢印を向けても阿弥陀仏に向きますし、
私の発したように思えるその矢印は阿弥陀仏の矢印ですから。

 あと、ドラクエのたとえがキツイかもしれません。。w
 阿弥陀仏のマジックポイントは無量であるのに対し(光明無量)、
マホカンタを一生懸命かけ続けて(自力で頑張る)、
マジックポイントがゼロで、もうマホカンタがかけられなくなって(捨自)、
ついにベホマがかかって救われる(帰他)
ようなイメージを想起させてしまう気がします。

しかしながらドラクエへの熱い想いがよく伝わってきまして、私も久しぶりに思い出しました。
ファミコンでしかやったことありませんでしたけど。。。

合わないところは仕方ありませんが、例え話はいいものですね。

> YGMさん

分析有難うございます。読者の方々はYGMさんの指摘された所に気をつけて読んで下さい。

距離感は確かに合いませんね。
「汝今知るや不や阿弥陀仏ここを去ること遠からず」(観無量寿経)
ですからね☆

ドラクエは私はかなり好きで、去年の5月にはPS2のⅤを、12月にはiアプリでⅠⅡⅢをやってたのもあり、無理を承知で喩えに使いました(笑)
仰る通りキツいところですね(;^_^A

如来の勅命は既に私の元へ届いているのに、仰せのままに受け入れず己の計らいを入れているから、只今の救いに遇えないことが分かって頂ければ幸いです。

早く不信の方々も南無阿弥陀仏と一つになり、浄土往生を遂げる身になって頂きたいですね(^-^)

No title

こちらは初めてコメントさせていただきます。安心問答等ではお世話になっております。

たぶん、矢印の向きが私と阿弥陀仏と同じになっているかどうかが大事なのでしょうね。

ドラクエの譬えは、マホカンタが自力の心、ベホマが阿弥陀仏の仰せ、いてつく波動は阿弥陀仏の知恵でしょうか。

問題は、その矢印の向きがどうして変わるのか?マホカンタをやめたら、あるいはYGMさんのコメントにあるようにもうとなえられなくなったら救われるのか?というところかなと思います。

> K様

はじめまして☆コメントに加え喩えの分析まで有難うございます(^-^)

あとドラクエの喩えでは、私のターンがある所も違いますね。自力がしぶといのであのように表現しました。しかしいくらしぶとい自力も、如来の先手の一手で勝負は決まりです。

ちなみに自力の心は他力をはねつけるので、阿弥陀仏と私とで矢印は決して同じ向きにはなれません。
その自力の計らいも阿弥陀仏に捨てさせられ、同時に他力に摂取されます。←がなくなり、→だけになるのです。

阿弥陀仏は「この私」一人を救うため、名号の成就に五劫兆載永劫かけられ、成仏されてからも十劫もの間はたらきかけ続けておられます。
全て阿弥陀仏の方で、無善造悪のあさましい私がたやすく浄土へ参る用意をして下さったのですから、直ちに仰せを計らいなく受け入れて下さい。

>K様

>問題は、・・・矢印の向きがどうして変わるのか
>もうとなえられなくなったら救われるのか

上記のように悩まれることは当然のことであると思いますし、大変尊いことと思います。
しかし、淳心房さんのコメントの通り、

>全て阿弥陀仏の方で、無善造悪のあさましい私がたやすく浄土へ参る用意をして下さったのですから、直ちに仰せを計らいなく受け入れて下さい

この通りです。私がもう唱えられなくなったらとかを計らうのでなく、南無阿弥陀仏を聞くのみです。
なぜなら南無阿弥陀仏は機法一体であるからです。南無とたのむ機とたすけまします法とが一体ですから、こちらが唱えられなくなったらとか、私の矢印の向きが、、といった心配も不要ですから、仰せに順信するしかありません。

No title

あの絵使っていただけたのですねi-220いいのかどうか分かりませんが、あれは、淳信房さんが縦の線と横の線の絵を書かれていましたね。それでなんとなく思いついたので書きました。いろんな受けとめ方があると思うのですが(というか方法ではないしやり方もないし、言い方は一つではないし、表すのは無理)、私が知らされたこととして、阿弥陀仏は遠いところにあって私から近づいていくのではなかったということと、阿弥陀仏の光明と名号は私に向かってお働きだということと、他力100パーセントが救いということと、現に今の私の姿が問題ということを言いたくて書きました。

ドラクエ…分からないのが悲しいです。。。やったことはあるんですが、覚えていません。

ひたすら一向専念、自力を捨てて他力に帰する、聞き抜くひとつじゃないでしょうか。

御同行衆がそれぞれ素晴らしい発言をされていて、感激の連続です(≧ω≦)
言葉は違いますが、皆「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と人を勧むべきばかりですね☆
善知識方がこんなに沢山おられることを、つい数ヶ月前までは知りませんでした。
「浄土の真宗は証道今盛なり」の親鸞聖人のお言葉が真実味を帯びて迫ってくる思いです。


ちなみにhiromiさんのようにドラクエの呪文が分からない方のために補足です。

ベホマ:一人のHPを完全回復させる呪文
マホカンタ:あらゆる魔法を跳ね返す呪文

※HP:ヒットポイント
HPが0になると死ぬ。
MP:マジックポイント
呪文を唱える際消費する。呪文により消費ポイントは決まっていて、MPが消費ポイントを下回るとその呪文は唱えられない。

No title

こんばんは。読ませて頂いております。
コメント欄のお言葉、

>如来の勅命は既に私の元へ届いているのに、仰せのままに受け入れず己の計らいを入れているから、只今の救いに遇えない

ほんとうにそうでした。

> orima様

御同朋御同行

南無阿弥陀仏のみがまことと知らされますね。

淳心房様、YGM様

教えていただき有難うございます。

自力の計らいがなくなり、ただ南無阿弥陀仏だけになるのですね。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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