信心の利益について(3)ー当益

『親鸞の世界』(加茂仰順師)より引用

 さてまた当益は、浄土にまいらせていただいて仏になることであります。浄土へまいることはだれもが望むことでありますが、仏に成るということは、仏教の最終目的であります。信心の人は仏の光明に摂められ、み名のはたらきをいただいて正定聚となった者でありますから、必ず命終るや仏の国に生まれて、仏となるのであります。その仏とは、阿弥陀仏と同じさとりで真如にかない、光明が無量であり、寿命が無量であり、相好円満するのであります。
 しかし、そうかといって、この世で仏になるのではありません。中には早合点して、この世ではや仏になったように思う者もあり、仏を忘れて教えた人を仏としてあがめるということもあるようですが、これはあやまりであります。わたくしたちは人間であります。人間としての身と心とがありますから、きたない心も起こります。仏のみ名はわたくしに与えられますが、それは浄土へまいる因種としてであって、今直ちに仏になることはできません。わたくしたちの上にはどこをみても仏らしいところはありません。いつまでも煩悩具足の凡夫であります。自分が今仏であると高あがりするところは、少しもないわけであります。それゆえ、わたくしたちを片時も離れてくださることのできない仏の大慈悲を仰いで、この世を生かさせていただくのであります。
 しかし、ひとたび浄土へまいらせていただけば、救いの仏と同じでありますから、そこにはまた大慈悲心が起こります。ご因縁ある者を求めて、同じ仏の救いに入れねばならぬという慈悲心があふれてきます。そこで、有縁の衆生を救うために、再びこの世界に還り来るのであります。すなわち浄土にまいった者は、さらにこの世界に還って、他の人を救うためのはたらきをするのであります。真宗ではお浄土にまいるまでの始終のすがたを往相廻向といい、この世界に還るのを還相廻向というのであります。仏になることは、単に苦しみが無くなるということだけではなく、また、静かなたのしみにふけることだけではなく、動的に不断の活動をつづけることなのであります。これが本当のたのしみとなるのであります。わたくしたちは永遠に、この活動的なたのしみの世界にあることができるのであります。

(p.314~p.315)
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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