【ツッコミ】間違った「要門釈」の解釈ー間違った根拠のない解釈(2)

【ツッコミ】間違った「要門釈」の解釈ー間違った根拠のない解釈(1)のつづきです。


次に、ブログの著者は

十九願を通らねば、信罪福心(因果の道理を信じる心)は起きませんから難思往生をねがうことはできません。

と書いていますが、親鸞聖人はそんなことをどこに仰っているのか、根拠を示して頂きたいものです。
なお、信罪福心は、『大無量寿経』の胎化段で胎生の因を教えられているところで説かれています。そして、親鸞聖人は、信罪福心を自力の心の替え名として用いられています。

もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修してかの国に生れんと願はん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆゑに、かの国土においてこれを胎生といふ。(大無量寿経)

定散の専心とは、罪福を信ずる心をもつて本願力を願求す、これを自力の専心と名づくるなり。(化身土文類)


仏智を疑惑して信ぜず、自力の善根によって浄土に往生しようという自力の心が信罪福心です。ですから、当然、親鸞聖人は信罪福心を誡めておられます。今は誡疑讃より少々引いてみましょう。なお誡疑讃すべては【ツッコミ】七大経-11(凡愚低下の罪人の全人類に善ができるのか、できないのか)ー諸仏方、善知識方は化土往生を勧めていません(2)にありますのでご覧下さい。

(60)
不了仏智のしるしには
 如来の諸智を疑惑して
 罪福信じ善本を
 たのめば辺地にとまるなり

(62)
罪福信ずる行者は
 仏智の不思議をうたがひて
 疑城胎宮にとどまれば
 三宝にはなれたてまつる

(74)
罪福ふかく信じつつ
 善本修習するひとは
 疑心の善人なるゆゑに
 方便化土にとまるなり



さて、ブログの著者は「信罪福心は起きませんから」などと書いて、まず信罪福心を起こしなさいと教えれているような発言をしていますが、これも根拠のない珍説です。

また、「化身土文類」に難思往生を願えと仰っている所は一ヶ所だけあります。
しかし、難思往生とは化土往生であって、化土を誡めておられるのが親鸞聖人ですから、真門釈の最後には、

悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。(化身土文類)

と、真門自力の念仏者を深く悲嘆されています。真門も、未熟な機を導く権仮方便の教説ということで、暫く用いた後には還って廃される法門なのです。親鸞聖人のお勧めが偏に十八願であることは、

・もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。
・誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法聞思して遅慮することなかれ。
(総序)


等のお言葉や、冠頭讃に見られる

(1)
弥陀の名号となへつつ
 信心まことにうるひとは
 憶念の心つねにして
 仏恩報ずるおもひあり
(2)
誓願不思議をうたがひて
 御名を称する往生は
 宮殿のうちに五百歳
 むなしくすぐとぞときたまふ


といった、化土を誡め報土を勧められている御和讃等により明らかです。
根拠もなく、親鸞会教義に腰を据えたこのブログの主張が誤りであることはこれでお分かり頂けたかと思います。

以上で、今回のツッコミは終わります。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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