時代と共に変わる教え(2)ー18願のみか、19願・20願も勧めるのか

昨日の記事時代と共に変わる教え(1)は、『法戦2』の記述から、

「(十九願・)二十願は聖人が御教示の通り方便であり廃捨されねばならぬもの」

と高森会長が過去説いていたことを示しました。



それでもなお、『三願転入は親鸞聖人の教えの根基』と聞かされている現役会員の方は、「上のことは信一念のことをいわれたものであって、十九願・二十願を根拠として、親鸞聖人は獲信の因縁としての諸善・念仏を勧めておられるのだ」と思い込んでいるかもしれません。

しかし、高森会長が三願転入の説法を開始したのは35周年大会であったことを、私より会員歴の長かった方々が「飛雲」「私の白道」で指摘しています。

そして、「十八願一つを説かねばなならない」と主張していたことが過去の著作から伺えます。

今日は、高森会長の著書である『顕正』(昭和33年発行)の文章を取り上げます。



『然るに、わが浄土真宗は、このような十九、二十の本願に当る浄土宗とは違って十八願の願意である、信心正因、称名報恩の仏意を弘通する教えであるから、信前の人にも信後の人にも、始終一貫して信心正因、称名報恩の教えを勧めなければならない。

 勿論、機には未熟の者もあるから、いくら信心正因、称名報恩、信心が往生の正因であり称える念仏は報謝だから、早く信心決定して報謝の念仏称える身になって下さいと勧めても、直ちにその通りになれない人もあろうけれども、それは機の過失であって法門は常に信因称報の仏意を説き示さなければならない。

 喩えば、虎の手本をみて虎を描こうと思っても、どうしても最初の間は虎ではなく猫の絵になってしまうが、たゆまず屈せずアキラメず虎の手本を見て描いているうちに本当に虎の絵がかけるようになるように、手本は如何に信心正因、称名報恩でも機執によって、そのようになれず、或は定散自力の称名となり、称名正因となるものもあろうが、たゆまずアキラメず信心正因、称名報恩の教えを勧めていれば、やがてその真意を諦得出来るようになるのである。

 或る画家が弟子に虎を描かす為に虎の手本を渡した。ところが弟子のかいたものは、どうみても虎ではなく、猫の絵であった。画家は再三描かせてみたが、やはり猫しか書けなかった。そこで師匠は虎をかかせることをあきらめて猫の手本をわたした。その弟子は一生猫より描くことが出来なくなったという。

 未熟な人に合わせて信心正因、称名報恩の教え以外の法門を説いて信心を得る方法には称名をせよなどと教えればあたかも猫の手本を与えて虎をかく方法とするようなものである。故に教家は常に虎の説法をしなければならないのである。』(124-127頁)



以上の文章より、昔は「始終一貫して十八願(信心正因、称名報恩の教え)一つを勧めなければならない」と教えていたことが分かります。

親鸞会会員の方の中には、上の文章は「称名正因」を破られているのであって、十八願を説いた上で十九願・二十願を説く「三願転入」を否定された訳ではないと強弁する方もあるかもしれません。

しかし、冷静に考えてみて下さい。
「十九願だけ説く」、「二十願だけ説く」のと、「十八願を説いた上で十九願・二十願を説く」ので、十九願の内容、二十願の内容が変わるでしょうか?

もし変わるのだと言いたいのなら、そのように教えられた根拠を示して頂きたいものです。

いくら親鸞会が最もらしいことを強弁しても、経典やお聖教に根拠がないことでは珍しき法であり、仏教ではありません。

すでに、三願には、それぞれの願の行信に応じた果があることを示しました。「三願の行信因果」を参照して下さい。



また、現在の

「獲信の因縁(宿善)として諸善を修せよ」
「善をしなければ信仰はすすみませんよ」

という説き方は、上の喩えでいうと「猫の手本を与えて虎をかく方法とするようなもの」です。

これでは、「虎の絵を描くことが出来なくなった」となってしまうでしょう。

やはり「あきらかに見れば」いつの間にかに、説かれる内容が変わっているのです。



特に最近は説かれる内容に、今まで説いてこなかったようなことも見られます。
例えば、会長は『罪悪観は自力』だとテレビ座談会で話をしていたことが、「会員の手紙」から伺えます。

自力とは本願を計らう心の事で、信の一念で廃るものです。自力と罪悪観は全く異なります。

何でもかんでも「会長先生の深い御心」といって思考停止せずに、時代によって高森会長の説く内容が変化していることに疑問を持ち、その事実を「正見」してもらいたいと思います。

そして一日も早く、如来の勅命を計らいなく受け入れ念仏する衆生になって頂きたいと念じております。
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補足

親鸞会教義の誤り<A HREF="http://shinrankaiuso.blog76.fc2.com/blog-entry-41.html">「宿善とは5」</A>と合わせてご覧下さい。

役にも立たぬ雜行・雜修を勧め、18願の救いから遠ざける説き方をしているのが、親鸞会の偽らざる姿です。

迂回の善に心をとどめずに、親鸞聖人のお勧め通りただちに18願のこころを聞いて頂きたいと思います。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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