信心正因ということ

『親鸞の世界』(加茂仰順師)より引用

 信心正因は一宗の骨目であり、法義の根本であります。すべての異安心や異解は、この意に徹底しないところから起るのです。
 その信心正因の法義は、その源は第十八願にあって、宗祖は第十八願を信巻に明かし給うて、標願として「至心信楽之願」と名づけ給うてあります。このことは、第十八願の真面目は三心の願にあるとされる明証です。蓮師もまたこのことを八十通の御文章において更に明らかにされて、信心正因、称名報恩を高調されるのです。殊に御文章の二帖目三通には、「しかれば祖師聖人御相傳一流の肝要はただこの信心一つに限れり、これを知らざるをもて他門とし、これを知れるをもて真宗のしるしとす」と示されてあります。
 それではなぜ唯信正因と言い得るのかと言えば、先ず唯信の所由を窺いますと、第十八願には三信十念とありますが、それが唯信で往生と決するのは、第十八願は第十九、第二十願と異って、信行次第して誓われてあるからです。その信楽とは信の一念に名号全領するのですから、往生に安心する心です。行より先きの信で既に安堵決定するのですから、唯信です。一称の称名を待たないで、安堵決定せしめられることがあらわれるのです。しかも十念の行には乃至とあって、遍数不定であることを示します。不定の称名がどうして正因の力となることがありましょうか。ここにおいて第十八願は一切余行をからず、ただ信一つで往生を得せしめ給う本願であることが顕われて、唯信正因であることが知られます。この場合「唯」という言葉は(一)雑行雑修(第十九願)と(二)称名(第二十願)と(三)自利各別の三心とに簡ぶ意味であることを附記しておきます。
 次に正因であるわけは、およそ浄土に往生しようと思えば、必ず願行具足することを要します。今私共は、弥陀の成ぜられたところの願行具足の名号を全領した信ですから、この信はまた願行具足の信です。故に浄土論には「遇無空過者能令速満足」と示され、玄義分には念々の称名悉く願行具足の称名であると釈し顕わされてあるのです。
 ここで附記しておくべきことは、信心正因の延びゆくすがたの上で言えば、称名正定業です。称名正定業を初起へもどして言えば、信心正因です。だから称名正定業は信行不二の上で語り、信心正因は正しく正因の究竟する時節の所で語る信行而二門の法義であると言うことが出来ます。

(p.42~p.44)
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平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
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ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
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