平生業成ということ

『親鸞の世界』(加茂仰順師)より引用

 これは真宗の法義をあらわすのに、最もふさわしい言葉です。即ちこの一語で信心正因、称名報恩の法義も、即得往生住不退転の現生不退の別途の利益も、はっきりとあらわされているのです。しかも平生業成が真宗の法義ですから、真宗生活は信前の生活と全く異った価値がそこにあらわれ、俗諦門の教えが出て来るわけです。
 しかも平生業成の根源は、本願成就文の即得往生住不退転の法義にあります。聞名の一念に即得往生(心命終の場合も、当来往生決定の位につくという場合もふくみます)と語り、現生不退を得る所以は、全く聞信の一念に往生の正因円備して欠けるところがないからです。この往生の業成が聞信の時であるとすれば、臨終業成の法門に対しては、平生業成がその特色と言わねばなりません。
 しかも平生業成と語り得るのは、自力修行の者が、最後の日の総決算(来迎を期する)を待たねば、後生の安心を得ないのに対して、今は法体に既に出来上った大行を廻向され給う法義ですから、最後の総決算を見る必要がありません。即ち名号全領の時、聴聞の出来た平生の時、既に後生の大安堵に住するのです。だから平生業成という言い方は、全く他力廻向の特色であります。
 なお、平生とは、今は臨終の語に対した法門の分斉を区別する言葉です。だから、たとえ臨終に至って聴聞して信心往生する人も、法義は平生業成です。
 この平生業成の義目によってどういうことがはっきりするかと申せば、一には信心正因をあらわすのです。御文章に「一念もて往生治定の時剋と定めて」とあり、また同(四の一)には、「仏の心光かの一念帰命の行者を摂取したまふ(乃至)またこの意を願成就の文には」等とあります。だから信の一念に往生成就するのですから、その義を顕わして業成というのです。
 二には称名報恩の義を明かします。即ち御文章(一の四)に「一念の信心発得以後の念仏をば、(乃至)仏恩報謝のためと心得らるべきものなり」とありますのがそれです。

(p.44~p.45)
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平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
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