【ツッコミ】「真偽検証」の作者が好きな梯實圓氏の正体ー親鸞会教義が大好きなブログの著者

「真偽検証」の作者が好きな梯實圓氏の正体

には、梯實圓師の講演会後の質疑応答の文章が載っています。この質疑応答は本願寺出版の『念仏と流罪 承元の法難と親鸞聖人』80-81ページにあります。

まず、『教行証文類』の概要(13)ー方便の教えにて示しましたが、『聖典セミナー教行信証[教行の巻]』で梯師は、

 邪偽(偽)の宗教とは、宗教の名によって、自己中心的な考えを助長し、人間の我欲を煽り、個人的な争いや集団的な戦争を肯定して、自他ともに破滅に貶めていくような生き方を説く邪教のことです。それは仏教以外の宗教であるので、外道とも外教ともいっています。しかし、仏教の仮面を被った外道もあることを親鸞聖人は鋭く批判されていました。

と、仏教以外の宗教のことを外道だと言われています。

さらに、仏教の仮面をかぶった外道もあることを指摘しています。「仏法のため」と言って財施を募りながら、収支報告ができないような団体は仏教を利用した外道・邪教といえるかもしれません。

以上をわきまえた上での師の発言であるということに注意して、以下を読んで下さい。

『念仏と流罪』に掲載されている質疑応答では、「宗教には知識が浅いのですが、真宗の教えとキリスト教の教えが近いように思います。そのことについて教えて下さい」という問いに対して、まず「私はキリスト教について何も知りません」という梯師の発言はさもあろうと思います。真宗の僧侶である師は、他宗教であるキリスト教の教義について無責任な発言を避けてそのように回答したのでしょう。
また質問者が、「真宗の教えとキリスト教の教えが近いように思う」と発言しているのですから、質問者はキリスト教に関心があるのかもしれません。もしそうならば、質疑応答のような答えであったら相手は師の話をすっと聞けるのではないでしょうか?
逆に「キリスト教は外道で無間地獄に堕ちる」などといきなり話をされたら質問者はどう思うでしょうか?
仏教は対機説法であると親鸞会でも何度も聞きましたが、これはその通りです。その時その場で、どんな人にどのような話をするかは大変大事なことです。宿善・無宿善の機を分別して法を説けということを蓮如上人は何度もお手紙に書かれています。無宿善の機にむやみに法義を話すと、相手は聞かないばかりかかえって謗法罪のもといとなりかねません。参考までに根拠を挙げておきますと、

それ、当流の他力信心のひととほりをすすめんとおもはんには、まづ宿善・無宿善の機を沙汰すべし。さればいかに昔より当門徒にその名をかけたるひとなりとも、無宿善の機は信心をとりがたし。まことに宿善開発の機はおのづから信を決定すべし。されば無宿善の機のまへにおいては、正雑二行の沙汰をするときは、かへりて誹謗のもとゐとなるべきなり。この宿善・無宿善の道理を分別せずして、手びろに世間のひとをもはばからず勧化をいたすこと、もつてのほかの当流の掟にあひそむけり。
されば『大経』(下)にのたまはく、「若人無善本不得聞此経」ともいひ、「若聞此経 信楽受持 難中之難 無過斯難」ともいへり。また善導は「過去已曾 修習此法 今得重聞 則生歓喜」(定善義)とも釈せり。いづれの経釈によるとも、すでに宿善にかぎれりとみえたり。しかれば宿善の機をまもりて、当流の法をばあたふべしときこえたり。
このおもむきをくはしく存知して、ひとをば勧化すべし。ことにまづ王法をもつて本とし、仁義を先として、世間通途の義に順じて、当流安心をば内心にふかくたくはへて、外相に法流のすがたを他宗・他家にみえぬやうにふるまふべし。このこころをもつて当流真実の正義をよく存知せしめたるひととはなづくべきものなり。(御文章3帖目12通)


等々、様々なお手紙に書かれています。そういうことをわきまえず、キリスト教の教義はすべて知り尽くしたかのように振る舞い、「外道だ」「無間地獄に堕ちる」と発言をするブログの著者よりは、梯師はよほど好感がもてると思います。単に人気取りということではなく、相手に応じた話の仕方というものがあるということです。

それに、蓮如上人の「永く無間地獄に沈む」のお言葉は秘事法門について仰っていることで、「キリスト教信者=無間地獄行き」と言うことを仰っているのではありません。これは断章主義者の言うことであり、これこそ因果の道理を無視した外道の発言です。人の業がそれぞれ違うのに、一緒くたに必堕無間と運命論的に定まっているような主張だからです。

こんな断章の仕方は親鸞会でよく見られるものです。ブログ著者は、親鸞会で教えられていることを知らないといいながら、どうやら親鸞会教義に染まっている人のようです。自分を偽って周囲を欺き、妄語を平気で犯す人物が因果の道理がどうのと言ってもまるで説得力がありません。


また、「正信偈」を引いて外道を破られているというなら、同じく「正信偈」では

万善自力貶勤修

と言われて、万善の自力では浄土往生できないと勤修を貶されています。報土を願う人に定散二善といった自力諸行を勧める親鸞会やブログの著者は、このお言葉に反したことをしていないでしょうか?

さらに、十八願の救いを求める人への自力諸善の勧めは、因から言えば雑行を、果から言えば化土往生を勧めていることになります。これは断じて真宗教義ではありません。

このブログ著者は、高森会長同様、親鸞会で言うところの「内外廃立」は威勢よくやるのですが、最も肝心な「真仮廃立」がなされていません。廃捨すべき仮の行信(定散二善)を勧めているのですから、仮を立てています。
それでも、自分は真宗に明るいと言いたげなブログ著者が自説を貫くなら、十八願の救いを求める人、報土往生を願う人に定散二善を勧められた親鸞聖人のお言葉を出して頂きたいものです。文証を示せないのはインチキの証拠です。


『念仏と流罪 承元の法難と親鸞聖人』33-34ページには、

はかりみれば、それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて、選んで浄土門に入るべし。浄土門に入らんと欲はば、正雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛てて選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正助二業のなかに、なほ助業を傍らにして選びて正定をもつぱらにすべし。正定の業とは、すなはちこれ仏の名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに。
(『選択集』三選之文 『註釈版聖典(七祖篇)』一一八五頁)

と説かれているのがそれです。
 速やかに生死を離れようと思うならば、この穢土でさとりの完成を求める聖道門と、浄土に往生してさとりを完成しようとする浄土門との二門があるなかで、しばらく聖道門をさしおいて、選んで浄土門に入って往生することを求めなさい。浄土門に入ろうと思えば、経典には往生の行として正行と雑行という二種の往生行が説かれているが、本来は聖道門の行であった非往生行を往生行に転換しているような雑行を抛て、もともと往生の行である正行を選んで修行しなさい。その正行に読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養という五種の行があります。しかし、阿弥陀仏の名号を称える称名以外の四行は、称名するところに自然に付き随ってくる助業です。それに引き替え、阿弥陀仏が第十八願において一切の衆生が必ず往生することができる決定往生の行として選び定められた正定業は、第四の称名だけです。ですから正行を実践しようとするならば、助業を傍らにさしおいて、専ら正定の業である称名念仏だけを行うようにしなさい。称名すれば必ず往生することができます。阿弥陀仏が本願においてそのように選び定めていてくださるからです、といわれているのです。


と書かれているのですが、ブログ著者はこのようなところは読んでいないのでしょうか?
著者には仮の行信を勧めたり、一部を断章して批判したりしてばかりいずに、ブログのタイトル通り正しい真宗教義、すなわち選択本願(十八願)の行信を伝承して頂きたいものです。

昨日の記事の通り、仮の行信に腰を据えて雑行を勧めるような教えは浄土真宗ではありません。著者が真宗教義を正しく理解していないことはこれではっきり致しましたので、このブログへのツッコミは、親鸞聖人や蓮如上人が「信心決定に向かって善(定散の行)を修せよ」と教えられたお言葉を挙げるまで中断したいと思います。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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