【ツッコミ】未信も「一乗海の機」かー相手の主張をねじ曲げ、信疑決判を否定している自分に気づかない著者

信疑決判を否定する「真偽検証」の邪義  未信も「一乗海の機」か

によると、いよいよ化けの皮がはがれて、著者の主張は浄土真宗ではないことがよりハッキリしてきました。以下の発言は、浄土真宗の破壊です。

**********************
>「その一念の真実(18願)に向かっての19願、20願」というのが親鸞会の特徴です。

「一乗海の機となるまでの間を引入せんために要門方便を開きたもう」
(同じじゃないか?)



>親鸞会流「三願転入の教え」の帰結するところは、「信心決定に向かっての修善の勧め」

「非本願の仮門なれども欣慕して「大経」真実に転入せしむるための説教ぞとなり。」

「『大経』真実に転入せしむるため」の「仮門の説教」とありますが。

(「信心決定に向かっての修善の勧め」と同じじゃないの?)

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「信心決定に向かって善(要門の行)を修せよ」というのが、「相伝義書」を根拠とした著者の主張のようです。まず、「欣慕」の意味を取り違えているからこのような珍説が出てくるのでしょう。「欣慕」については、「化身土文類」を見てみましょう。

釈家(善導)の意によりて『無量寿仏観経』を案ずれば、顕彰隠密の義あり。顕といふは、すなはち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。しかるに二善・三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。すなはちこれ顕の義なり。(化身土文類)

『観経』の顕説として説かれている定散二善は、報土の真因ではありません。真実十八願とは異なって説かれた釈尊の方便の教説であり、浄土を慕い願わせるための善であるということです。それを「如来の異の方便、欣慕浄土の善根」と仰せです。既に十八願による救いを求めている人には、定散の行を勧められていません。

信心決定に向かって定散の行を勧めることの誤りについて詳しくは、

『親鸞会の邪義を正す』”三願転入の教え”の誤り1

をご覧下さい。

「信心決定に向かって善(要門の行)を修せよ」などという珍説が無い証拠に、親鸞聖人は、

また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。(信文類)

と言われ、要門の行である定散二善は方便化土である懈慢界に往生する自力の善根であり、さとりを得るまでに長い時をついやす遠回りの善であると仰っています。でありますから、

定散の善は諸行往生のことばにをさまるなり。この善は他力のなかの自力の善なり。この自力の行人は、来迎をまたずしては、辺地・胎生・懈慢界までも生るべからず。このゆゑに第十九の誓願に、「もろもろの善をして浄土に回向して往生せんとねがふ人の臨終には、われ現じて迎へん」と誓ひたまへり。臨終まつことと来迎往生といふことは、この定心・散心の行者のいふことなり。(末灯鈔)

とも仰っています。前後を読んでも、どこにも「信心決定に向かって善を修せよ」とは書いてありません。それどころか、このお言葉の少し後には、

浄土宗のなかに真あり、仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。(同)

と言われて、選択本願と定散二善を比較しています。選択本願を浄土真宗と言われるのに対し、定散二善は方便仮門と仰せです。著者は、浄土真宗にあらざる方便仮門に腰を据え、諸行往生を勧める偽の浄土真宗を伝承する者と言えましょう。

勿論、蓮如上人も「信心決定に向かって善を修せよ」などと教えられていません。

そもそも、阿弥陀如来をたのみたてまつるについて、自余の万善万行をば、すでに雑行となづけてきらへるそのこころはいかんぞなれば、(乃至)さて南無阿弥陀仏といへる行体には、一切の諸神・諸仏・菩薩も、そのほか万善万行も、ことごとくみなこもれるがゆゑに、なにの不足ありてか、諸行諸善にこころをとどむべきや。すでに南無阿弥陀仏といへる名号は、万善万行の総体なれば、いよいよたのもしきなり。(御文章2帖目9通)

阿弥陀仏に救われるに、善をせよと勧めるどころではありません。自余の万善万行は、すでに雑行となづけてきらわれていると仰っています。ですから信心決定に向かって善を勧める親鸞会、そしてブログ著者はきらわれている雑行を勧めているということです。雑行の勧めは浄土真宗にはありません。著者の主張がでたらめであるということがよくわかりますね。
それでも「信心決定に向かって善(要門の行)を修せよ」というのが浄土真宗の教えだと言いたければ、そう教えられた親鸞聖人、蓮如上人のお言葉を提示して下さい。



つぎに、

**********************
>既に18願により報土往生を願う人に、信心決定に向かっての修善を勧めていると見られるようなところはどこにも見出すことはできませんでした。

「信心決定に向かって」というからには当然、信前です。

「一乗海の機となるまでの間を引入せんために要門方便を開きたもう故に」

を読みながら「修善を勧めている」ところは無い、と言う。

それは「既に18願により報土往生を願う人」だから、と。

つまり、信前でも「既に18願により報土往生を願う人」は「一乗海の機」だと仰る。

その後に、重ねて

>既に親鸞聖人の教えを聞いて、本願力回向による平生の救いを求めるようになった人に、自力諸行往生、自力念仏往生を誓われた19願・20願の方便願を説き与えることは祖師の上にはありません。

これは「既に親鸞聖人の教えを聞いて、本願力回向による平生の救いを

求めるようになった人」は「一乗海の機」だという見解です。

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そんなことは当ブログでは言っていません。訳の分からないことを当ブログの主張であると公言していますが、主張の歪曲にも程があります。

「相伝義書」に無理やり当てはめての解釈なのでしょうが、金科玉条にしている「相伝義書」には弘願と要門の関係が言われているのであって、要門だから定散の行を修しなさいとはどこにも書かれていません。

ちなみに著者がこの後で挙げている「行文類」のお言葉は、念仏の機と諸善の機の比較対論であります。著者が勧めるような定散の行を修している諸善の機は、本願を疑う機であり(信疑対)、仏意にかなわないから非である(是非対)などと教えられています。「行文類」は選択本願の行である他力念仏一つを浄土往生の行と定められていて、定散の行が入りこむ隙間はありません。

また、信疑決判とは、生死に止まるのは本願を疑うからであり、報土に往生するのは本願を疑いなく信じるからであるということです。
著者のように定散の行を勧めることは、聞く者を定散自力の心に迷わせ、仏智疑惑に止まらせることになります。
もはや、著者が正しい浄土真宗を伝承する者でないことは明々白々です。親鸞会と無関係を装い、根拠のない珍説を主張し、真宗教義を破壊するのはやめて頂きたいと願うばかりです。
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愚禿の名乗り

単なるカマッテちゃんだから、もう相手にしない方がいいと思うな。
http://ikiruimiwositte.blog83.fc2.com/blog-entry-17.html
こんなこと書いてる人だから、他者の言葉を理解する能力がちょっと欠けているのかも。
御開山の、「愚禿」という名乗りを、「愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の」人だ、と言いかねませんよ(笑

>林遊@なんまんだぶ様

確かにその通りですね。ただせっかく書いた原稿もありますから、もう一つ記事を書いてそれでもまともな根拠を示してこなかったら、相手にする価値なしとツッコミを終了したいと思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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