【検証】蓮如上人は雑行を勧められているのか?

18願の救いを求めて諸善をせよという教えは浄土真宗にはありません。それどころか、救いを求めて修する諸行、諸善は雑行と名づけて嫌われています。
親鸞聖人の教えに雑行の勧めはありませんが、では蓮如上人はどうでしょうか? 親鸞会では「親鸞聖人の教えを一器の水を一器に移すが如く教えられたというお方が蓮如上人」と説いています。その蓮如上人に18願の救いを求めて諸善をせよ(善をしなければ信仰は進まない)という教えがなければ、それこそはっきりいたします。今回は80通の御文章で見てみます。

・信心をとり弥陀をたのまんとおもひたまはば、(乃至)、もろもろの雑行をこのむこころをすて(1帖目10通)
・信心といへるそのすがたはいかやうなることぞといへば、まづもろもろの雑行をさしおきて(1帖目13通)
・自余の浄土宗はもろもろの雑行をゆるす、わが聖人(親鸞)は雑行をえらびたまふ。このゆゑに真実報土の往生をとぐるなり。(1帖目15通)
・これによりて一心一向に弥陀一仏の悲願に帰して、ふかくたのみたてまつりて、もろもろの雑行を修する心をすて(2帖目1通)
・その信心をとらんずるやうはいかんといふに、それ弥陀如来一仏をふかくたのみたてまつりて、自余の諸善・万行にこころをかけず(2帖目2通)
・そもそもその信心をとらんずるには、(乃至)ただもろもろの雑行をすてて、正行に帰するをもつて本意とす。(2帖目7通)
・それ、当流親鸞聖人のをしへたまへるところの他力信心のおもむきといふは、(乃至)もろもろの雑行をすてて専修専念なれば(2帖目8通)
・そもそも、阿弥陀如来をたのみたてまつるについて、自余の万善万行をば、すでに雑行となづけてきらへるそのこころはいかんぞなれば、(乃至)さて南無阿弥陀仏といへる行体には、一切の諸神・諸仏・菩薩も、そのほか万善万行も、ことごとくみなこもれるがゆゑに、なにの不足ありてか、諸行諸善にこころをとどむべきや。(2帖目9通)
・さればかやうに弥陀を一心にたのみたてまつるも、なにの功労もいらず。(2帖目10通)
・しかればこの阿弥陀如来をばいかがして信じまゐらせて、後生の一大事をばたすかるべきぞなれば、なにのわづらひもなく、もろもろの雑行雑善をなげすてて(乃至)このほかには別の仏をもたのみ、また余の功徳善根を修してもなににかはせん。(3帖目4通)
・それ南無阿弥陀仏と申すはいかなるこころぞなれば、(乃至)されば雑行雑善をなげすてて専修専念に弥陀如来をたのみたてまつりて(3帖目6通)
・しかるにいまわれら凡夫は、阿弥陀仏をばいかやうに信じ、なにとやうにたのみまゐらせて、かの極楽世界へは往生すべきぞといふに、ただひとすぢに弥陀如来を信じたてまつりて、その余はなにごともうちすてて(3帖目7通)
・後生のためには内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして(3帖目13通)
・さればわれらごときの愚痴闇鈍の衆生は、なにとこころをもち、また弥陀をばなにとたのむべきぞといふに、もろもろの雑行をすてて(4帖目14通)
・このゆゑにいかなる女人なりといふとも、もろもろの雑行をすてて(5帖目2通)
・まよひの衆生の一念に阿弥陀仏をたのみまゐらせて、もろもろの雑行をすてて(5帖目8通)
・「帰命」といふは、衆生の、もろもろの雑行をすてて、阿弥陀仏後生たすけたまへと一向にたのみたてまつるこころなるべし。(5帖目9通)
・聖人(親鸞)一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ。そのゆゑは、もろもろの雑行をなげすてて(5帖目10通)
・「南無」といふ二字のこころは、もろもろの雑行をすてて、疑なく一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなり。(5帖目11通)
・それ、信心をとるといふは、やうもなく、ただもろもろの雑行雑修自力なんどいふわろき心をふりすてて、一心にふかく弥陀に帰するこころの疑なきを真実信心とは申すなり。(5帖目15通)
・阿弥陀如来をふかくたのみまゐらせて、もろもろの雑行をふりすてて(5帖目17通)
・当流聖人(親鸞)のすすめまします安心といふは、(乃至)もろもろの雑行雑修のこころをさしおきて(5帖目18通)
・当流の安心といふは、なにのやうもなく、もろもろの雑行雑修のこころをすてて(5帖目21通)


一通り拝読して、御文を抜き出してみましたが、どこにも他力の信心を獲るために諸善をせよ(善をしなければ信仰は進みませんよ)という教えはありません。もしそんな教えが80通の御文章の中にありましたら、ぜひお知らせください。読者の皆さんも、既に何通りも読まれている方もあると思いますが、改めて一通り拝読されてはいかがかと思います。


なお、親鸞会では

これにつけても、人間は老少不定ときくときは、いそぎいかなる功徳善根をも修し、いかなる菩提涅槃をもねがふべきことなり。(4帖目3通)

のお言葉をもって諸善を勧められた根拠とする場合があります。しかし直後を読んでみますと、

しかるに今の世も末法濁乱とはいひながら、ここに阿弥陀如来の他力本願は今の時節はいよいよ不可思議にさかりなり。(同)

とあり、阿弥陀如来の他力本願一つ勧められています。阿弥陀仏に救われるについて蓮如上人は、今まで挙げてきたように諸善を勧められていません。それどころか、「阿弥陀如来をたのみたてまつるについて、自余の万善万行をば、すでに雑行となづけてきらへる」と仰っていることは既に述べました。

親鸞聖人が18願の救いを求めて諸善を勧められていないのですから、蓮如上人が勧められていないのは当たり前のことです。
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No title

いつもM野ブログへの対応お疲れ様です。
M野さんに限らず、親鸞会会員は「高森会長の言うことが正しい」という大前提からスタートして聖人の御言葉を読むから、変な解釈しかできないし、高森会長の言うことが聖人の御言葉に反してても流してしまうんですよね。
高森会長の言うことに合った部分だけしか聖人の御言葉を受け入れられない。だから必然的に断章取義になる。私もかつてはそうでした。
時間はかかると思いますが、愚直な繰り返しが、「教えだけは正しいから」としがみついている会員の目を覚まさせることになると思います。
陰ながら応援しています。頑張ってください。

No title

これらの、雑行を捨てよのお言葉を現役時代は以下のように理解していました。

雑行を捨てよというのは、19願、20願の横の道を進んでおり信心決定の近い人に対して最後の一押しとして教えられたものである。我々はまだまだ横の道の出発点にも立っていないのだから、高森先生の勧められるようにまず諸善万行を必死にやらなければならない。雑行をやっていない人に捨てよとは言われないのだから、やはりまず雑行をしなければならない。

今思えば非常に奇異な解釈ですが、当時は大真面目でしたね。

コメント返信

>最初の名無し様

ありがとうございます。
本当に仰る通りと思います。会員の皆さんには、親鸞聖人ではなく高森会長が第一という思考をしていることに気付いてもらいたいですね。そして、高森会長を通してではなく、直の聖人の教えを聞いて頂きたいと思います。


>2番目の名無し様

いわゆる、雑行をすてるために雑行をせよという論法ですね。「寝ていて転んだ例しなし」のような悪徳な例を用いて、雑行が何か分からなければ捨てることができないという理屈で諸善(雑行)を勧められていました。自分もかつては貴方のように聞いていました。

しかし、雑行をすてるために雑行をせよと教えられたお言葉はありませんから、今ではハッキリと根拠のない珍説であると指摘することができますね。会員さんには、すてよと言われる雑行を勧められていること、しかし実際には雑行でもない善もどきの善を勧められていることを知って頂きたいです。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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