三帖和讃のこころ

教行信証の構造については「化土巻は信前のことという言い方は適切か?」にて書きましたので、今日は『三帖和讃』全体のこころを確認したいと思います。



『浄土和讃』の巻頭に二首の和讃が詠まれています。

「弥陀の名号となへつつ
 信心まことにうるひとは
 憶念の心つねにして
 仏恩報ずるおもひあり」

「誓願不思議をうたがひて
 御名を称する往生は
 宮殿のうちに五百歳
 むなしくすぐとぞときたまふ」

そして、この二首は「冠頭讃」といわれています。そのこころを伺ってみましょう。


まず、『聖典セミナー 「浄土和讃」 黒田覚忍著』(6ページ)
□「三帖和讃」全体の大意□
から引用です。

『巻頭に二首の和讃を置かれていますのは、「三帖和讃」全体の序文の意味をもつと考えられます。
第一首目は真実信心を勧め、第二首目は本願を疑うことを誡めておられます。
それで古来この冠頭二首和讃は、勧信誡疑を述べられているといわれています。

 信を勧め疑いを誡めるということは、この冠頭二首和讃のみの特徴ではありません。
それは「三帖和讃」全体の底に流れている聖人のお心です。
それでこの二首の和讃は、全体の意をわずかに二首によって述べられたという意味で、和讃の大意を述べられているともみられます。
初めに「三帖和讃」全体の大意を述べて、序文の意とされるのです。』


次に、利井鮮妙師の「浄土和讃摘解」からの引用です。

『抑そも此の巻頭の二首は、三帖和讃の綱要を略示して以て一部の序分とする意也。
即ち第一首は最初「彌陀成佛のこのかたは」の讃より正像末の終わり「如來大悲」の讃に至る意を標し、后讃は疑惑讃の意を標す。
三帖廣しと雖も、此の二首に攝まるもの也。
而して古來此の二首を二意として、前讃は勸信、后讃は誡疑と解すれども、是れ宜しからず。

今は二首一意として二首共に他力の行信を勸むるにありと伺う。
依って初めの一首は直勸、次讃は反勸にして、后讃の自力念佛を誡むるが即ち裏より他力行信を勸むるにありとする。
爾れば后讃の意は誓願不思議を疑ふものは、たとひ彌陀の名號を勇猛に稱へても、多く流轉を免れず、たまたま仕遂げても化土に生れて宮殿の内に五百歳空しく過ぐる樣な果報を得るから、早く疑惑の心を捨て離れて憶念の心常にして御恩報ずる身になれと反面より他力本願を勸めたまふが后讃の意なれば、二首一意と心得べきなり。』


前者の黒田覚忍師は「古来この冠頭二首和讃は、勧信誡疑を述べられている」という説をそのまま受け継ぎ、後者の利井鮮妙師は「初めの一首は直勸、次讃は反勸」だと述べられています。

黒田・利井両師とも、親鸞聖人のお勧めは他力の行信以外にないことが『三帖和讃』の冠頭二首に教えられており、それが三帖和讃全体を貫いているこころであることを仰っています。

皆さん一人一人が早く他力の行信を獲て、如来聖人の御心にかなう身となって頂きたく思います。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
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(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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