時代と共に変わる教え(3)-「高森氏 なぜか記した 体験記」

『元会員から見た浄土真宗親鸞会』ああなった、こうなったの体験談を掲載する『顕真』10月号

に、「ああなった」「こうなった」の体験談に注意せよと教えている親鸞会が、「ああなった」「こうなった」の体験談を『顕真』10月号に載せているという矛盾点が暴露されています。

しかし、元々高森会長からして「ああなった」「こうなった」の体験談を語っていました。また、親鸞会発行の著書にも体験談を載せ、10年ほど前まではT本さんの『獲信の記録』というビデオを学生部(現在の学友部)では見せられていたのです。

例えば、『なぜ親鸞会をやめたのか』高森顕徹氏の獲信体験には、

何とかして私達に、地獄の存在、極楽の有無を確実に指してくれる人はないか。
求めつつ、ややもすればこの解答をなし得ざるを自身の偉きが如く考え、人をも迷わし、自分も迷いながら、実に毎日仮夢をやっていたのであります。はからずも夏休み数日前に、増井君をはじめ数名の求道者諸兄の御指導を受け、半信半疑、なお私の心は悶えました。親切にも休暇中『仏敵』の書をお借りして読ませていただき、また家にあった書物により、さらにまた華光をも送っていただき、次第にその迷雲も晴れ、今日までの悪疑を恥づるに余念がありません。ただただ「そのままこい」「そのままでよい」とは何と有難いことでしょうか。南無阿弥陀仏々々々々々々
これも諸兄の方々のお骨折りによるものと、さらに大悲の無限の方便摂化に、ただ感泣するのみであります。毎日毎夜、念仏は楽しい時に苦しい時に、無造作に口より出づる蓄音機にさせていただいて、有難き弥陀の呼び声を聞かせていただけます・・・ただただうれしさで一杯なのであります。南無阿弥陀仏
今や、地獄極楽の存在など疑ってみようとする心の恐ろしさに身をば悶えるのであります。ただ南無阿弥陀仏々々々々々々
しかし日常生活は煩悩の起こりづめで、ことさらに変わったところもなく、といってそれとて一時の間で、後は悲しみも楽しみにさせていただいております。今後ともますます諸兄の御指導をお願い致す次第であります。

【華光会発行『華光』第5巻第5号「私の信仰体験」】


と自分の「ああなった」「こうなった」の体験談を記しています。「善知識 なぜか記さぬ 体験記」ならぬ、「高森氏 なぜか記した 体験記」ですね。


また、『法戦1』には、「自己の信仰体験」というトピックで、以下のように書かれています。

 さて次に貴方方にはどんな信仰体験があるのか判りませんが、しきりに編集長の信仰体験を追及しておられますが、仏法求めるきっかけは違っても、真実久遠の弥陀に救われた魂の道程は同じですから、私の体験を述べさせて頂きましょう。
 阿弥陀如来から賜った信心なれば、みんな一味の信心であります。他力金剛の信心は人から認可されるものでもなければ、金で売買出来るものでもありません。親鸞聖人が「たとえ、大千世界が火の海原になってもそこをかきわけてでも仏の教えを聞け」といわれ、蓮如上人が「火の中をわけても法は聞くべきに雨風雪はものの数かは」と仰有っておられる様に、自力一杯命懸けで求めたものでなければ、自力無功と切り堕とされて久遠の弥陀と対面するという体験は出来ません。
 それは土蔵秘事の人々の言うような善知識の言葉ではありません。不思議というよりいいようがない明らかな仏の呼び声でした。尚こびりついて離れない自力の執心に悲泣悶絶、誰あって声のかけ手のない苦しいドン底に突き落とされた時に、私は久遠の弥陀のみ声をハッキリ聞かせて頂いたのです。「なげ倒された覚えがありますか」とYさん(法論の相手)は仰有っていられますが、三定死の境地はそんな生やさしい、苦しみではありませんでした。(p.59~p.60)


まさに上のような文章を、「このような 悩み苦しみ オレはした だから聞けたと 自慢体験」と言うのではないのでしょうか?


他にも、親鸞会発行『絶対の幸福』には「獲信の記録」と題して谷口春子女史の「ああなった」「こうなった」の体験談がp.188~p.193に亘って書かれています。長いので途中を抜粋いたします。

その時、布教使の方が説法の中で、『オギャッと生まれた赤ちゃんでさえ死ぬことがあるんですよ』と言われた時、心がドキッとして声が出なくなってしまいました。オギャッと生まれた赤ちゃんでも死ぬことがあるのに、私は十三まで命ながらえさせてもらっていながら、しかもお寺に生まれていながら、仏とも法とも知らないではありませんか、それでは余りにも情けない。そう思いまして説法が終わったらすぐ布教使の方の休まれる座敷へ行ってまた法の話を聞かせてもらおうと思いましたが、布教使の方の座敷には、大勢の同行の方たちが次から次へと出入りして、とうとうお話をきく機会が得られませんでした。
 仕方がないからもう寝ようと思って床に入ったのですが、その日の夜はなかなかねられません。日頃から父に、死ねば地獄へ堕ちると聞かされていましたし、オギャッと生れた赤ちゃんでさえ死ぬことがあるんだから、私も、今、眠ったまま死んでしまったらどうしようと思うと、心配で心配でとうとう朝まで一睡もできま せんでした。

(中略)

そうしてそれから二時間位、お話を聞かせて頂いたのですが、お坊さまの一言一言が、私の腹にピシッピシッとこたえました。小さい時からたえず父に仏法の話を教えられていたからでしょう。しかし、どれだけ話を聞いてもますます心配、不安がふえるばかりでした。そうして二時間近く話してもらってもどうにもならない自分でしたので、そろそろ同行の人達も来そうだし、膳をかたずけようと、それをもって本堂を通っていった時です。本堂で阿弥陀仏のお姿をチラッと見た時『アア、自分のような者は絶対助からん』と、もうこれ以上堕ちるところがないというところまで堕ちてゆきました。その地獄の底で生きた阿弥陀仏とお値いする事ができたのです。
 『ああ、ただ南無阿弥陀仏のまことひとつを信じさせて頂いたあとは何もない』と、おどり上がったその時の喜びはとても言葉にあらわされない、口で言えるようなちっぽけなものではありませんでした。泉の如く救われた喜びが湧き上がり、不思議不思議としか思えませんでした。そのようにして信心決定の身にさせて頂いたのが今から五十七年前の、私が十三才の時だったのです。


こちらも、「このような 悩み苦しみ オレはした だから聞けたと 自慢体験」と親鸞会が非難していることとどこが違うのでしょうか?



このように、親鸞会において個人の「ああなった」「こうなった」の体験談は会長始め幾人も語られてきましたし、書籍にも現に残っているのです。ところが現在はそれをなかったかのように、『個人名を挙げての「信・不信」は言うべきことでも、書くべきことでもない』とか、『「私はああだった」「こうなった」のは体験談は私事であり教えを聞くべきだ』というような内容のことを教えています。体験談を読むこと、聞くことを禁じ、体験を語る団体には近づかないようにしていながら、過去のこうした現実、そして今回の『顕真』10月号の記事内容は一体どういうことでしょうか?

それにしても、『法戦』の高森氏の体験記にある

自力一杯命懸けで求めたものでなければ、自力無功と切り堕とされて久遠の弥陀と対面するという体験は出来ません。

は、自力無功と書いていながら、「自力一杯命懸けで求めたものでなければ」と自力一杯求めた功を認め、救いに条件をつけている表現だと思うのは私だけでしょうか? 謎は深まるばかりです。
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なるほど

「自力一杯命懸けで求めたものでなければ、自力無功と切り堕とされて久遠の弥陀と対面するという体験は出来ません。」
というのは、完全に誤りなのですね。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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