『観無量寿経』の「顕の義」(顕説)と「彰の義」(隠彰)ー顕説に腰を据えた親鸞会教義。しかしてその実態は…

『観無量寿経』の「顕の義」(顕説)と「彰の義」(隠彰)は、「化身土文類」の中の「三経隠顕問答」に教えられています。

問ふ。『大本』(大経)の三心と『観経』の三心と一異いかんぞや。
答ふ。釈家(善導)の意によりて『無量寿仏観経』を案ずれば、顕彰隠密の義あり。


【現代語訳】
 問うていう。『無量寿経』に説かれる至心・信楽・欲生の三心と『観無量寿経』に説かれる至誠心・深心・回向発願心の三心とは、同じなのであろうか、異なるのであろうか。
 答えていう。善導大師の解釈された意向にしたがって『観無量寿経』をうかがうと、顕彰隠密の義がある。


親鸞聖人は、『大無量寿経』に説かれている三心(至心・信楽・欲生)と、『観無量寿経』に説かれている三心(至誠心・深心・回向発願心)とは同じなのか異なるのかと問いを出し、それに対して答えておられます。
それには顕彰隠密の義があると仰っています。そして結論から先に言うと、顕の義によれば異なるが、彰の義によれば同じであると教えられています。

まことに知んぬ、これいましこの『経』(観経)に顕彰隠密の義あることを。二経(大経・観経)の三心、まさに一異を談ぜんとす、よく思量すべきなり。『大経』・『観経』、顕の義によれば異なり、彰の義によれば一なり、知るべし。

【現代語訳】
 これによって、まことに知ることができた、すなわち『観無量寿経』には顕彰隠密の義があることを。『無量寿経』の三心と『観無量寿経』の三心とが同じであるか、異なるかを述べるにあたっては、よくこのことを考えなければならない。この二つの経は顕の義によれば異なるが、彰の義によれば同じである。よく知るがよい。


ちなみに「顕彰隠密」とはどういうことなのか、WikiArcの解説を挙げておきます。

浄土真宗で、『観経』と『小経』の説相を解釈するのに用いる名目で略して隠顕(おんけん)といい、顕を顕説(けんぜつ)、隠を隠彰(おんしょう)ともいう。
顕説とは顕著に説かれている教義で、『観経』では定散諸行往生(じょうさんしょぎょうおうじょう)すなわち要門の教義であり、『小経』では自力念仏往生すなわち真門の教義である。隠彰とは隠微(おんび)にあらわされている真実義で、両経ともに他力念仏往生の法すなわち弘願(ぐがん)法である。



さて、それでは実際に聖人のお言葉によって、顕の義と彰の義を見てみましょう。まずは顕の義です。

顕といふは、すなはち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。しかるに二善・三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。すなはちこれ顕の義なり。

【現代語訳】
 その顕とは、定善・散善のさまざまな善を顕すものであり、往生するものについて上・中・下の三輩の区別をし、至誠心・深心・回向発願心の三心を示している。しかし、定善・散善の二善、世福・戒福・行福の三福は、報土に生れるまことの善ではない。三輩のそれぞれがおこす三心は、それぞれの能力に応じておこす自力の心であって、他力の一心ではない。これは釈尊が弘願とは異なる方便の法として説かれたものであり、浄土往生を願わせるために示された善である。これが『観無量寿経』の表に説かれている意味であり、すなわち顕の義である。

「しかるに二善・三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。」ですから、他力の一心を得て報土往生するために定散二善をせよと勧められているわけがありません。

ここで、親鸞会の会員の皆さんが誤解している「往生浄土の方便の善」について少し説明します。親鸞会では「往生浄土の方便の善」について、「獲信の因縁(宿善)になる善」と教えています。『教学聖典(5)』には、

問(42)
「阿弥陀如来に向かっての諸善は、すべて宿善になる」と教えられている親鸞聖人の『ご和讃』と、その根拠を示せ。

答(42)
〇諸善万行ことごとく
 至心発願せるゆえに
 往生浄土の方便の
 善とならぬはなかりけり
 (浄土和讃)


とあり、『本願寺なぜ答えぬ』p.165~p.166には、

 臨終現前の願により(第十九願)
 釈迦は諸善をことごとく
 観経一部にあらわして
 定散諸機をすすめけり

 諸善万行ことごとく
 至心発願せるゆえに
 往生浄土の方便の
 善とならぬはなかりけり

 仏教で修善をすすめるのは獲信の方便(因縁)に、ほかならない。
”獲信の因縁にならぬ諸善はなかりけり”
 親鸞聖人のご金言である。


と書かれています。これは間違いです。
「往生浄土の方便の善」とは、「化身土文類」の言葉で言えば「如来の異の方便」であり、「欣慕浄土の善根」ということです。「如来の異の方便」「欣慕浄土の善根」とは、釈尊が弘願(第十八願)とは異なって説かれた方便の教えであり、浄土を慕い願わせるために示された善ということです。
方便だから他力の信心を獲るためにやらなければならないとか、修めた善が宿善となり、宿善薄かったのが厚くなってやがて開発して救われるというものでは更々ありませんので、誤解されている方は直ちにその誤解を改めて下さい。


話を戻し、続けて彰の義を見てみます。

彰といふは、如来の弘願を彰し、利他通入の一心を演暢す。達多(提婆達多)・闍世(阿闍世)の悪逆によりて、釈迦微笑の素懐を彰す。韋提別選の正意によりて、弥陀大悲の本願を開闡す。これすなはちこの経の隠彰の義なり。

【現代語訳】
その彰とは、阿弥陀仏の弘願を彰すものであり、すべてのものが等しく往生する他力の一心を説きあらわしている。提婆達多や阿闍世のおこした悪事を縁として、浄土の教えを説くという、釈尊がこの世にお出ましになった本意を彰し、韋提希がとくに阿弥陀仏の浄土を選んだ真意を因として、阿弥陀仏の大いなる慈悲の本願を説き明かされたのである。これが『観無量寿経』の底に流れる隠彰の義である。

阿弥陀仏の弘願とは第十八願であり、他力の一心を彰されているのが彰の義です。

まとめると、

観経の顕説ー十九願意ー化土往生
観経の隠彰ー十八願意ー報土往生


です。

そして、報土往生の真因である利他の一心、利他通入の一心を勧められているのが親鸞聖人です。定散二善に励んでいった結果は報土往生ではなく、「諸機の三心は自利各別」ですから化土往生です。聖人が化土往生を誡められていることは当ブログにて散々取り上げてきました。

しかし、親鸞会は、仏教を知らない人をターゲットに珍しい教えを説いて真宗教義をねじ曲げ本願を破壊しています。『観無量寿経』の顕説に腰を据えて、他力の信心を獲る因縁になるといって定散二善をすすめているのです。そのようなことは親鸞聖人はどこにも教えられていません。

そして、善と言っても名ばかりで、勧められていることは主に会員集めの勧誘と献金です。その為には手段も選ばず、本願寺や会長出身の団体である「浄土真宗華光会」を陰に陽に非難し、大学では偽装勧誘をしたり、嘘をついて大学職員から逃げ回ったり、次々と建物を建てては仏法の為にと言って財施を募ったり、そのくせ会計報告はされないも同然であったり、お世辞にも「廃悪修善をすすめている」「光に向かっている」とは言えません。
教義がでたらめである証拠に、熱心な会員は親鸞会で推進される活動に一生懸命ですが、何十年と聞き求めている人や講師部員であっても「宿善厚くなって開発して救われた」とか、「廃悪修善に励んでいった結果、善のできない自分と知らされ願に相応した」と喜んでいる人がありません。それどころか、「自分は救われた」と個人体験談を話してはならないようです。また、「誰誰は信心決定している」と言ってはならないそうですが、自分は会員時代、先輩や講師から「高森先生は信心決定の体験と…」と何回も聞き、後輩にも話していました。高森会長だけは特別なのでしょうか?
論が間違いですから証拠もないのは当たり前ですが、未だに間違った教えにしがみつき、助からない教えを聞いている会員さんが哀れです。どうか風前のともしびのような命が尽きる前に気づいて、正しい真宗の教えを聞いて真実信心に基づいて頂きたいと願わずにおれません。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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