大事なのは、只今、私が救われる、救われているということ

ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへつてまた曠劫を経歴せん。誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法聞思して遅慮することなかれ。(総序)


親鸞聖人の、弘誓の強縁に遇えた、真実の浄信を獲させて頂けた、何とも感激に満ち溢れた告白です。

このお言葉は、真実の浄信は今から多生億劫かかって求めなければ獲られないということではありません。今まで多生億劫もの間獲られなかったものが、今獲られたということです。

平生業成の「平生」とは、「今から死ぬまでの間のいつか」ではありません。今から求めていった先のことではありません。「只今」ということです。平生業成とは、只今往生の業事が成弁するということです。


ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。(総序)

しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。(化身土文類)

しかるにこの光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて他力の信心といふことをばいますでにえたり。(御文章2帖目13通)


このように、親鸞聖人、蓮如上人は阿弥陀仏の救いを「いま」で語られています。
今までの自分がどうであるとか、自分はまだ未熟な機ではないのかとか、そういう心配は無用です。大事なのは、只今、私が救われる、救われているということです。只今救う本願を聞くことです。
「未熟な私には方便が必要」という思いそのものが、「現在の未熟な私を助ける力は、阿弥陀仏にはない」と本願力を疑う自力の計らいですから、そのような考えは捨てて、只今救う本願を聞いて下さい。

南無阿弥陀仏
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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