安心の一義と日常生活

阿弥陀仏の救いは我々の煩悩とは無関係ですから、信心を語る時は疑情(自力の計らい)を問題とし、煩悩は問題としません。本願に救われるのにどんな悪も障りとはなりませんし、どんな善も必要ありません。また、救われた後にどんな悪を犯そうが救いが取り消されることはありませんし、報土往生のためにはどんな善も必要ありません。これは安心の一義についてです。


ところがこの安心の一義、つまり煩悩と救いは無関係であるということ、救いには善もほしからず悪もおそれずということを得手に解釈し、「煩悩のままに振る舞っていてもいい」という邪義に陥る人があります。これは間違った考えであり、親鸞聖人はお手紙で何回もその誤りを指摘されています。
日常生活を営む上では、煩悩のままに振る舞っていたら成り立ちません。節度をもって、より良くなっていくように努めていくのがあるべき念仏者の姿と思います。


阿弥陀仏のお心は、「お前を助けるぞ」ということです。それを計らいなく聞き受けたのが信心です。本願を信じ念仏する者は、今まで後生と踏み出すと不安だったのが、阿弥陀さまにお任せして往生安堵の心にさせられます。

ところが悲しいことに煩悩は変化しません。食べたい、飲みたい、金が欲しい、性欲を満たしたい、誉められたい、悪く言われたくない、ねむたい、楽したい、などの欲望、またそれを妨げられた時の怒り、自惚れなどの煩悩は変わらないのです。もう少し何とかなったらよかろうと思いますが、もとより煩悩具足の凡夫と見抜かれた上で助けるという阿弥陀仏の本願ですから、こうした汚い心は変化しないのです。
ただ、先ほど申し上げたように、煩悩のままに振る舞っていいということではありません。煩悩にまかせて思ってはならないことを思い、言ってはならないことを言い、やってはならないことをやるのは、仏法が分かっていない者です。

例えば、他人のものを勝手に取るのはいけないことだと教えているものが他人の著者を勝手に盗作したり、あまつさえ新装改訂版まで出版し販売したり、息子の不倫疑惑事件をもみ消したり、相手の主張をねじ曲げ論点をスライドしてあくまで自説が正しいと我を通したり、そのくせ教義批判への反論を要求した特専部員を除名にしたり、善とは名ばかりの会員獲得の勧誘と献金を会員に勧めたりする人は、仏法が分かっている者と言えるでしょうか? 大学で会員獲得のため偽装勧誘をしたり、大学職員に嘘をついて逃げ回ったり、本尊を取り返しに深夜に押し掛けたりしている団体は、仏法が分かっている者達と言えるでしょうか?
そんな人物や団体が廃悪修善だの善の勧めだのと言っても全く説得力がありません。

その上、善悪因果の道理の考えで本願の救いを求めさせているのですから、微塵劫を超過しても仏願力に帰すということはありません。自力で自力を捨て去ることは不可能です。

本願力回向の教えに反し、捨自帰他の教えを破壊することばかり説く人物や団体は良く見て自力修行の者達、実態は教えを利用した悪徳宗教ビジネス団体とその構成員だということです。

安心の一義と、日常生活は別扱いした方がよかろうと思います。これをごっちゃにする所に、本願力回向の教えに自力を持ち込む原因があるのだろうと推測します。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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